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【人の身体】(101)
という場合の、101とは、巻第一の第一段落、という意味です。


読みやすいように、原文に若干手を加えてあるようです。原文にもっと忠実なテキストを求めておられる方は、下記のPDFファイルが有益かと思います。

https://www.nakamura-u.ac.jp/institute/media/library/kaibara/archive03.html

(2022年2月1日)

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この資料に関するコメント
本文の訳注と 覚えページ

 原文『養生訓』全巻


貝原篤信(=貝原益軒)編録

(巻第一)

総論上

【人の身体】(101)

: 人の身は父母を本(もと)とし、天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、また養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。これ天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不孝なり。

:況(いわんや)大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食・色慾を恣(ほしいまま)にし、元気をそこなひ病を求め、生付(うまれつき)たる天年を短くして、早く身命を失ふこと、天地父母へ不孝のいたり、愚なる哉(かな)。人となりてこの世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさんこと、誠に人の各(おのおの)願ふ処ならずや。この如(ごと)くならむことをねがはば、先ず右の道をかうが(考)へ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。これ人生第一の大事なり。

:人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふこと、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危(あやうき)をおそるること、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財(たから)の山を前につんでも用なし。

然れば、道にしたがひ身をたもちて、長命なるほど大なる福(さいわい)なし。故に寿(いのちなが)きは、『尚書』に、「五福の第一」とす。これ万福の根本なり。

【養生の術】(102)

 万(よろず)の事つとめてやまざれば、必ずしるし(験)あり。たとへば、春たねをまきて夏よく養へば、必ず秋ありて、なりはひ多きが如し。もし養生の術をつとめまなんで、久しく行はば、身つよく病なくして、天年をたもち、長生を得て、久しく楽まんこと、必然のしるしあるべし。この理うたがふべからず。

【草木と身体】(103)

 園に草木をうへて愛する人は、朝夕心にかけて、水をそそぎ土をかひ、肥をし、虫を去て、よく養ひ、そのさかえを悦び、衰へをうれふ。草木は至りて軽し。わが身は至りて重し。豈(あに)、我が身を愛すること、草木にもしかざるべきや。思はざること甚(はなはだ)し。夫養生の術をしりて行なふこと、天地父母につかへて孝をなし、次にはわが身、長生安楽のためなれば、不急なるつとめは先ずさし置て、わかき時より、はやくこの術をまなぶべし。身を慎み生を養ふは、これ人間第一のおもくすべきことの至(り)也。

【内欲と外邪】(104)

 養生の術は、先ずわが身をそこなふ物を去べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪となり。内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡の慾、言語をほしゐままにするの慾と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の慾を云。外邪とは天の四気なり。風・寒・暑・湿を云。内慾をこらゑて、少なくし、外邪をおそれてふせぐ、これを以て、元気をそこなはず、病なくして天年を永くたもつべし。

【内欲をこらえるのが養生の道】(105)

 凡そ養生の道は、内慾をこらゆるを以て本とす。本をつとむれば、元気つよくして、外邪をおかさず。内慾をつつしまずして、元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、大病となり天命をたもたず。内慾をこらゆるに、その大なる条目は、飲食をよき程にして過さず。脾胃をやぶり病を発する物をくらはず。色慾をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。久しく睡ることをいましめ、久しく安坐せず、時々身をうごかして、気をめぐらすべし。ことに食後には、必ず数百歩、歩行すべし。

もし久しく安坐し、また、食後に穏坐し、ひるいね、食気いまだ消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。常に元気をへらすことをおしみて、言語を少なくし、七情をよきほどにし、七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひを少なくすべし。慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、しづかにしてさはがしからず、心はつねに和楽なるべし。

憂ひ苦むべからず。これ皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。また、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎてやぶられず。この内外の数(あまた)の慎は、養生の大なる条目なり。これをよく慎しみ守るべし。

【生まれつきの寿命は長い】(106)

 凡(すべて)の人、生れ付たる天年はおほくは長し。天年をみじかく生れ付たる人はまれなり。生れ付て元気さかんにして、身つよき人も、養生の術をしらず、朝夕元気をそこなひ、日夜精力をへらせば、生れ付たるその年をたもたずして、早世する人、世に多し。また、天性は甚(はなはだ)虚弱にして多病なれど、多病なる故に、つつしみおそれて保養すれば、かへつて長生する人、これまた、世にあり。この二つは、世間眼前に多く見る所なれば、うたがふべからず。

慾を恣にして身をうしなふは、たとえば刀を以て自害するに同じ。早きとおそきとのかはりはあれど、身を害することは同じ。

【命は我にあり=老子の言葉】(107)

 「人の命は我にあり、天にあらず」と老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のままなり。身つよく長命に生れ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。これ皆、人のしわざなれば、「天にあらず」といへり。もしすぐれて天年みじかく生れ付たること、顔子などの如くなる人にあらずむば、わが養のちからによりて、長生する理也。

たとへば、火をうづみて炉中に養へば久しくきえず。風吹く所にあらはしおけば、たちまちきゆ。蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず、もしふかくかくし、よく養なへば、夏までもつがごとし。

【外物の利用は大切】(108)

 人の元気は、もとこれ天地の万物を生ずる気なり。これ人身の根本なり。人、この気にあらざれば生ぜず。生じて後は、飲食、衣服、居処の外物の助によりて、元気養はれて命をたもつ。飲食、衣服、居処の類も、また、天地の生ずる所なり。生るるも養はるるも、皆天地父母の恩なり。外物を用て、元気の養とする所の飲食などを、かろく用ひて過さざれば、生付たる内の元気を養ひて、いのちながくして天年をたもつ。

もし外物の養をおもくし過せば、内の元気、もし外の養にまけて病となる。病おもくして元気つくれば死す。たとへば草木に水と肥との養を過せば、かじけて枯るるがごとし。故に人ただ心の内の楽を求めて、飲食などの外の養をかろくすべし。外の養おもければ、内の元気損ず。

【心気を養い色欲をつつしむ】(109)

 養生の術は先ず心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、を少なくし、心をくるしめず、気をそこなはず、これ心気を養ふ要道なり。また、臥すことをこのむべからず。久しく睡り臥せば、気滞りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚(はなはだ)元気をそこなふ。いましむべし。酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。食は半飽に食ひて、十分にみ(満)つべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。

また、わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必ず命短かし。もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。また風・寒・暑・湿の外邪をおそれふせぎ、起居・動静を節にし、つつしみ、食後には歩行して身を動かし、時々導引して腰腹をなですり、手足をうごかし、労動して血気をめぐらし、飲食を消化せしむべし。一所に久しく安坐すべからず。これ皆養生の要なり。

養生の道は、病なき時つつしむにあり。病発(おこ)りて後、薬を用ひ、針灸を以て病をせむるは養生の末なり。本をつとむべし。

【欲をこらえて忍を守る】(110)

 人の耳・目・口・体の見ること、きくこと、飲食ふこと、好色をこのむこと、各そのこのめる慾あり。これを嗜慾と云。嗜慾とは、このめる慾なり。慾はむさぼる也。飲食色慾などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節に過て、身をそこなひ礼儀にそむく。万の悪は、皆慾を恣(ほしいまま)にするよりおこる。耳・目・口・体の慾を忍んでほしゐまゝにせざるは、慾にかつの道なり。もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に忍ぶと、恣にするとは、善と悪とのおこる本なり。

養生の人は、ここにおゐて、専ら心を用ひて、恣なることをおさえて慾をこらゆるを要とすべし。恣の一字をさりて、忍の一字を守るべし。

【外邪をふせぐ努力をする】(111)

 風・寒・暑・湿は外邪なり。これにあたりて病となり、死ぬるは天命也。聖賢といへど免れがたし。されども、内気実してよくつつしみ防がば、外邪のおかすことも、またまれなるべし。飲食色慾によりて病生ずるは、全くわが身より出る過也。これ天命にあらず、わが身のとがなり。万のこと、天より出るは、ちからに及ばず。わが身に出ることは、ちからを用てなしやすし。風・寒・暑・湿の外邪をふせがざるは怠なり。飲食好色の内慾を忍ばざるは過なり。怠と過とは、皆慎しまざるよりおこる。

【畏れることを忘れない】(112)

 身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。これを行へば生命を長くたもちて病なし。おやに孝あり、君に忠あり、家をたもち、身をたもつ。行なふとしてよろしからざることなし。その一字なんぞや。「畏」(おそるる)の字これなり。畏るるとは身を守る心法なり。ことごとに心を小にして気にまかせず、過なからんことを求め、つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍ぶにあり。これ畏るるは、慎しみにおもむく初なり。畏るれば、つつしみ生ず。畏れざれば、つつしみなし。

故に朱子、晩年に「敬」の字をときて曰く、「敬」は「畏」の字これに近し。

【元気を減らしてはいけない】(113)

 養生の害二あり。元気をへらす一なり。元気を滞(とどこお)らしむる二也。飲食・色慾・労動を過せば、元気やぶれてへる。飲食・安逸・睡眠を過せば、滞りてふさがる。耗(へる)と滞ると、皆元気をそこなふ。

【心は安らかに!】(114)

 心は身の主也。しづかにして安からしむべし。身は心のやつこ(奴)なり。うごかして労せしむべし。心やすくしづかなれば、天君ゆたかに、くるしみなくして楽しむ。身うごきて労すれば、飲食滞らず、血気めぐりて病なし。

【薬と鍼灸はなるべく用いない】(115)

 凡そ薬と鍼灸を用るは、やむことを得ざる下策なり。飲食・色慾を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。腹中の痞満して食気つかゆる人も、朝夕歩行し身を労動して、久坐・久臥を禁ぜば、薬と針灸とを用ひずして、痞塞(ひさい)のうれひなかるべし。これ上策とす。薬は皆気の偏なり。参*(さんき)・朮甘(じゅつかん)の上薬といへども、その病に応ぜざれば害あり。

況(いわんや)中・下の薬は元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉ありて補なし。病に応ぜざれば元気をへらす。灸もその病に応ぜざるに妄に灸すれば、元気をへらし気を上す。薬と針灸と、損益あることかくのごとし。やむことを得ざるに非ずんば、鍼・灸・薬を用ゆべからず。只、保生の術を頼むべし。

【君主の政治と身体の養生】(116)

 古の君子は、礼楽をこのんで行なひ、射・御を学び、力を労動し、詠歌・舞踏して血脈を養ひ、嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しみ防て、かくのごとくつねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。これ君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。病多きは皆養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体(ゆいたい)にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療(いや)すは、甚(はなはだ)末のこと、下策なり。

たとへば国をおさむるに、徳を以てすれば民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。また保養を用ひずして、只薬と針灸を用ひて病をせむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下を治むる道なく、臣民うらみそむきて、乱をおこすをしづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつと(尊)ぶにたらず。養生をよくせずして、薬と針・灸とを頼んで病を治するも、またかくの如し。

【身体を動かして安楽になりなさい】(117)

 身体は日々少づつ労動すべし。久しく安坐すべからず。毎日飯後に、必ず庭圃の内数百足しづかに歩行すべし。雨中には室屋の内を、幾度も徐行すべし。この如く日々朝晩(ちょうばん)運動すれば、針・灸を用ひずして、飲食・気血の滞なくして病なし。針灸をして熱痛甚しき身の苦しみをこらえんより、かくの如くせば痛なくして安楽なるべし。

【寿命は養生で延びる】(118)

 人の身は百年を以て期(ご)とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。世上の人を見るに、下寿をたもつ人少なく、五十以下短命なる人多し。人生七十古来まれなり、といへるは、虚語にあらず。長命なる人すくなし。五十なれば不夭と云て、わか死にあらず。人の命なんぞこの如くみじかきや。これ、皆、養生の術なければなり。短命なるは生れ付て短きにはあらず。十人に九人は皆みづからそこなへるなり。ここを以て、人皆養生の術なくんばあるべからず。

【人生は六十から】(119)

 人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず、古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行悔多し。人生の理も楽もいまだしらず。五十にいたらずして死するを夭(わかじに)と云。これまた、不幸短命と云べし。長生すれば、楽多く益多し。日々にいまだ知らざることをしり、月々にいまだ能せざることをよくす。この故に学問の長進することも、知識の明達なることも、長生せざれば得がたし。

ここを以て養生の術を行なひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成べきほどは弥(いよいよ)長生して、六十以上の寿域に登るべし。古人長生の術あることをいへり。また、「人の命は我にあり。天にあらず」ともいへれば、この術に志だにふかくば、長生をたもつこと、人力を以ていかにもなし得べき理あり。うたがふべからず。只気あらくして、慾をほしゐままにして、こらえず、慎なき人は、長生を得べからず。

【内敵と外敵に注意しなさい】(120)

 およそ人の身は、よはくもろくして、あだなること、風前の燈火(とぼしび)のきえやすきが如し。あやうきかな。つねにつつしみて身をたもつべし。いはんや、内外より身をせむる敵多きをや。先ず飲食の欲、好色の欲、睡臥の欲、或(は)怒、悲、憂を以て身をせむ。これ等は皆我身の内よりおこりて、身をせむる欲なれば、内敵なり。中につゐて飲食・好色は、内欲より外敵を引入る。尤おそるべし。風・寒・暑・湿は、身の外より入て我を攻る物なれば外敵なり。

人の身は金石に非ず。やぶれやすし。況(や)内外に大敵をうくること、かくの如くにして、内の慎、外の防なくしては、多くの敵にかちがたし。至りてあやうきかな。この故に人々長命をたもちがたし。用心きびしくして、つねに内外の敵をふせぐ計策なくむばあるべからず。敵にかたざれば、必ずせめ亡されて身を失ふ。内外の敵にかちて、身をたもつも、その術をしりて能(く)ふせぐによれり。生れ付たる気つよけれど、術をしらざれば身を守りがたし。

たとへば武将の勇あれども、知なくして兵の道をしらざれば、敵にかちがたきがごとし。内敵にかつには、心つよくして、忍の字を用ゆべし。忍はこらゆる也。飲食・好色などの欲は、心つよくこらえて、ほしいままにすべからず。心よはくしては内欲にかちがたし。内欲にかつことは、猛将の敵をとりひしぐが如くすべし。これ内敵にかつ兵法なり。外敵にかつには、畏の字を用て早くふせぐべし。たとへば城中にこもり、四面に敵をうけて、ゆだんなく敵をふせぎ、城をかたく保が如くなるべし。

風・寒・暑・湿にあはば、おそれて早くふせぎしりぞくべし。忍の字を禁じて、外邪をこらえて久しくあたるべからず。古語に「風を防ぐこと、箭を防ぐが如くす」といへり。四気の風寒、尤おそるべし。久しく風寒にあたるべからず。凡そ、これ外敵をふせぐ兵法なり。内敵にかつには、けなげにして、つよくかつべし。外敵をふせぐは、おそれて早くしりぞくべし。けなげなるはあしし。

【元気を保つ方法二つ】(121)

 生を養ふ道は、元気を保つを本とす。元気をたもつ道二あり。まづ元気を害する物を去り、また、元気を養ふべし。元気を害する物は内慾と外邪となり。すでに元気を害するものをさらば、飲食・動静に心を用て、元気を養ふべし。たとへば、田をつくるが如し。まづ苗を害する莠(はぐさ)を去て後、苗に水をそそぎ、肥をして養ふ。養生もまたかくの如し。まづ害を去て後、よく養ふべし。たとへば悪を去て善を行ふがごとくなるべし。気をそこなふことなくして、養ふことを多くす。これ養生の要なり。つとめ行なふべし。

【楽しみ三つ=善・楽・楽】(122)

 およそ人の楽しむべきこと三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても、この三の楽なければ、まことの楽なし。故に富貴はこの三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、また養生の道をしらずして、身に病多く、そのはては短命なる人は、この三楽を得ず。人となりてこの三楽を得る計なくんばあるべからず。この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。

【天地の命と人の命】(123)

 天地のよはひは、邵尭夫(しょうぎょうふ)の説に、十二万九千六百年を一元とし、今の世はすでにその半に過たりとなん。前に六万年あり、後に六万年あり。人は万物の霊なり。天地とならび立て、三才と称すれども、人の命は百年にもみたず。天地の命長きにくらぶるに、千分の一にもたらず。天長く地久きを思ひ、人の命のみじかきをおもへば、ひとり愴然としてなんだ下れり。かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を弥(いよいよ)みじかくするはなんぞや。

人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず。

【睡ってばかりいてはいけない】(124)

 養生の術は、つとむべきことをよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。つとむべきことをつとめずして、臥すことをこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、甚(だ)養生に害あり。久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。ことにふすことをこのみ、眠り多きをいむ。食後には必ず数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。眠りふすべからず。

父母につかへて力をつくし、君につかへてまめやかにつとめ、朝は早くおき、夕はおそくいね、四民ともに我が家事をよくつとめておこたらず。士となれる人は、いとけなき時より書をよみ、手を習ひ、礼楽をまなび、弓を射、馬にのり、武芸をならひて身をうごかすべし。農・工・商は各その家のことわざ(事業)をおこたらずして、朝夕よくつとむべし。婦女はことに内に居て、気鬱滞しやすく、病生じやすければ、わざをつとめて、身を労動すべし。

富貴の女も、おや、しうと、夫によくつかへてやしなひ、お(織)りぬ(縫)ひ、う(紡)みつむ(績)ぎ、食品をよく調(ととのえ)るを以て、職分として、子をよくそだて、つねに安坐すべからず。かけまくもかたじけなき天照皇大神も、みづから神の御服(みぞ)をおらせたまひ、その御妹稚日女尊(わかひるめのみこと)も、斎機殿(いみはたどの)にましまして、神の御服をおらせ給ふこと、『日本紀』に見えたれば、今の婦女も昔かかる女のわざをつとむべきことこそ侍べれ。

四民ともに家業をよくつとむるは、皆これ養生の道なり。つとむべきことをつとめず、久しく安坐し、眠り臥すことをこのむ。これ大に養生に害あり。かくの如くなれば、病おほくして短命なり。戒むべし。

【養生の術を学ばねばならない】(125)

 人の身のわざ多し。そのことをつとむるみちを術と云。万のわざつとめならふべき術あり。その術をしらざれば、そのことをなしがたし。その内いたりて小にて、いやしき芸能も、皆その術をまなばず、そのわざをならはざれば、そのことをなし得がたし。たとへば蓑をつくり、笠をはるは至りてやすく、いやしき小なるわざ也といへども、その術をならはざれば、つくりがたし。いはんや、人の身は天地とならんで三才とす。かく貴とき身を養ひ、いのちをたもつて長生するは、至りて大事なり。その術なくんばあるべからず。

その術をまなばず、そのことをならはずしては、などかなし得んや。然るにいやしき小芸には必ず師をもとめ、おしへをうけて、その術をならふ。いかんとなれば、その器用あれどもその術をまなばずしては、なしがたければなり。人の身はいたりて貴とく、これをやしなひてたもつは、至りて大なる術なるを、師なく、教なく、学ばず、習はず、これを養ふ術をしらで、わが心の慾にまかせば、豈その道を得て生れ付たる天年をよくたもたんや。故に生を養なひ、命をたもたんと思はば、その術を習はずんばあるべからず。

夫養生の術、そくばくの大道にして、小芸にあらず。心にかけて、その術をつとめまなばずんば、その道を得べからず。その術をしれる人ありて習得ば、千金にも替えがたし。天地父母よりうけたる、いたりておもき身をもちて、これをたもつ道をしらで、みだりに身をもちて大病をうけ、身を失なひ、世をみじかくすること、いたりて愚なるかな。天地父母に対し大不孝と云べし。その上、病なく命ながくしてこそ、人となれる楽おほかるべけれ。病多く命みじかくしては、大富貴をきはめても用なし。貧賤にして命ながきにおとれり。

わが郷里の年若き人を見るに、養生の術をしらで、放蕩にして短命なる人多し。またわが里の老人を多く見るに、養生の道なくして多病にくるしみ、元気おとろへて、はやく老耄す。この如くにては、たとひ百年のよはひをたもつとも、楽なくして苦み多し。長生も益なし。いけるばかりを思ひでにすともともいひがたし。

【養生の術を学ぶ暇がないという異論】(126)

 或人の曰く、養生の術、隠居せし老人、また年わかくしても世をのがれて、安閑無事なる人は宜しかるべし。士として君父につかへて忠孝をつとめ、武芸をならひて身をはたらかし、農工商の夜昼家業をつとめていとまなく、身閑ならざる者は養生成りがたかるべし。かかる人、もし養生の術をもつぱら行はば、その身やはらかに、そのわざゆるやかにして、事の用にたつべからずと云。これ養生の術をしらざる人のうたがひ、むべなるかな。

養生の術は、安閑無事なるを専(もっぱら)とせず。心を静にし、身をうごかすをよしとす。身を安閑にするは、かへつて元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。たとへば、流水はくさらず、戸枢(こすう)はくちざるが如し。これうごく者は長久なり、うごかざる物はかへつて命みじかし。これを以て、四民ともに事をよくつとむべし。安逸なるべからず。これすなわち養生の術なり。

【命を惜しむという異論=常と変】(127)

 或人うたがひて曰く。養生をこのむ人は、ひとゑにわが身をおもんじて、命をたもつを専にす。されども君子は義をおもしとす。故に義にあたりては、身をすて命をおしまず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへにおもんじて、少なる髪・膚まで、そこなひやぶらざらんとせば、大節にのぞんで命をおしみ、義をうしなふべしと云。答て曰く、およそのこと、常あり、変あり。常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。その時にあたりて義にしたがふべし。

無事の時、身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで、命をすててかへり見ざるは、変におるの義なり。常におるの道と、変に居るの義と、同じからざることをわきまへば、このうたがひなかるべし。君子の道は時宜にかなひ、事変に随ふをよしとす。たとへば、夏はかたびらを着、冬はかさねぎするが如し。一時をつねとして、一偏にかかはるべからず。殊に常の時、身を養ひて、堅固にたもたずんば、大節にのぞんでつよく、戦ひをはげみて命をすつること、身よはくしては成がたかるべし。

故に常の時よく気を養なはば、変にのぞんで勇あるべし。

【三欲を忍ぶ=昼に寝てはいけない】(128)

 いにしへの人、三慾を忍ぶことをいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、眠りの欲なり。飲食を節にし、色慾をつつしみ、睡を少なくするは、皆慾をこらゆるなり。飲食・色欲をつつしむことは人しれり。只睡の慾をこらえて、いぬることを少なくするが養生の道なることは人しらず。眠りを少なくすれば、無病になるは、元気めぐりやすきが故也。眠り多ければ、元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥しねぶるはよし、昼いぬるは尤(も)害あり。

宵にはやくいぬれば、食気とゞこほりて害あり。ことに朝夕飲食のいまだ消化せず、その気いまだめぐらざるに、早くいぬれば、飲食とどこほりて、元気をそこなふ。古人睡慾を以て、飲食・色慾にならべて三慾とすること、むべなるかな。おこたりて、眠りを好めば、癖になりて、睡多くして、こらえがたし。眠りこらえがたきことも、また、飲食・色慾と同じ。初は、つよくこらえざれば、ふせぎがたし。つとめて眠りを少なくし、ならひてなれぬれば、おのづから、眠りすくなし。ならひて睡を少なくすべし。

【言葉を慎む】(129)

 言語をつつしみて、無用の言をはぶき、言を少なくすべし。多く言語すれば、必ず気へりて、また気のぼる。甚(だ)元気をそこなふ。言語をつつしむも、また徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。

【しばしの辛抱】(130)

 古語に曰く、「莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る」。須臾とはしばしの間を云。大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。酒食・色慾など、しばしの間、少の慾をこらえずして大病となり、一生の災となる。一盃の酒、半椀の食をこらえずして、病となることあり。慾をほしゐままにすること少なれども、やぶらるることは大なり。たとへば、蛍火程の火、家につきても、さかんに成て、大なる禍となるがごとし。

古語に曰(い)ふ。「犯す時は微にして秋毫の若し、病を成す重きこと、泰山のごとし」。この言むべなるかな。凡そ小のこと、大なる災となること多し。小なる過より大なるわざはひとなるは、病のならひ也。慎しまざるべけんや。常に右の二語を、心にかけてわするべからず。

【養生の道で長生きを】(131)

 養生の道なければ、生れ付つよく、わかく、さかんなる人も、天年をたもたずして早世する人多し。これ天のなせる禍にあらず、みづからなせる禍也。天年とは云がたし。つよき人は、つよきをたのみてつつしまざる故に、よはき人よりかへつて早く死す。また、体気よはく、飲食少なく、常に病多くして、短命ならんと思ふ人、かへつて長生する人多し。これよはきをおそれて、つつしむによれり。この故に命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるとによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といへるが如し。

【神仏に祈るよりも養生を慎みなさい】(132)

 世に富貴・財禄をむさぼりて、人にへつらひ、仏神にいのり求むる人多し。されども、そのしるしなし。無病長生を求めて、養生をつつしみ、身をたもたんとする人はまれなり。富貴・財禄は外にあり。求めても天命なければ得がたし。無病長生は我にあり、もとむれば得やすし。得がたきことを求めて、得やすきことを求めざるはなんぞや。愚なるかな。たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。

【気血を滞(とどこお)らせてはいけない】(133)

 陰陽の気天にあつて、流行して滞らざれば、四時よく行はれ、百物よく生(な)る。偏にして滞れば、流行の道ふさがり、冬あたたかに夏さむく、大風・大雨の変ありて、凶害をなせり。人身にあっても、またしかり。気血よく流行して滞らざれば、気つよくして病なし。気血流行せざれば、病となる。その気上に滞れば、頭疼・眩暈となり、中に滞ればまた腹痛となり、痞満となり、下に滞れば腰痛・脚気となり、淋疝・痔漏となる。この故によく生を養ふ人は、つとめて元気の滞なからしむ。

【心に主をもちなさい】(134)

 養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。主あれば、思慮して是非をわきまへ、忿をおさえ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして忿と慾をこらえず、ほしゐまゝにしてあやまり多し。

【楽あれば苦あり=快さの後に災い】(135)

 万のこと、一時心に快きことは、必ず後に殃(わざわい)となる。酒食をほしゐまゝにすれば快けれど、やがて病となるの類なり。はじめにこらゆれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらゆれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、「忍過ぎてこと喜ぶに堪えたり」と、いへるは、欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。

【聖人は予防をする】(136)

 「聖人は未病を治す」とは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、そのおかすことはすこしなれども、後に病をなすことは大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。病をうくれば、病苦のみならず、いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、のみたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。

病なき時、かねて養生よくすれば病おこらずして、目に見えぬ大なるさいはいとなる。孫子が曰く「よく兵を用る者は赫々の功なし」。云意は、兵を用る上手は、あらはれたるてがら(手柄)なし、いかんとなれば、兵のおこらぬさきに戦かはずして勝ばなり。また曰く「古の善く勝つ者は、勝ち易きに勝つ也」。養生の道も、またかくの如くすべし。心の内、わづかに一念の上に力を用て、病のいまだおこらざる時、かちやすき慾にかてば病おこらず。良将の戦はずして勝やすきにかつが如し。これ上策なり。これ未病を治するの道なり。

【養生はおっかながってしなさい】(137)

 養生の道は、恣(ほしいまま)なるを戒(いましめ)とし、慎(つつしむ)を専(もっぱら)とす。恣なるとは慾にまけてつつしまざる也。慎はこれ恣なるのうら也。つつしみは畏(おそるる)を以て本とす。畏るるとは大事にするを云。俗のことわざに、用心は臆病にせよと云がごとし。孫真人も「養生は畏るるを以て本とす」といへり。これ養生の要也。養生の道におゐては、けなげなるはあしく、おそれつつしむこと、つねにちい(小)さき一はし(橋)を、わたるが如くなるべし。これ畏るなり。

わかき時は、血気さかんにして、つよきにまかせて病をおそれず、慾をほしゐままにする故に、病おこりやすし。すべて病は故なくてむなしくはおこらず、必ず慎まざるよりおこる。殊に老年は身よはし、尤おそるべし。おそれざれば老若ともに多病にして、天年をたもちがたし。

【欲を少なくしなさい】(138)

 人の身をたもつには、養生の道をたのむべし。針・灸と薬力とをたのむべからず。人の身には口・腹・耳・目の欲ありて、身をせむるもの多し。古人のをしえに、養生のいたれる法あり。孟子にいはゆる「慾を寡くする」、これなり。宋の王昭素も、「身を養ふことは慾を寡するにしくはなし」と云。省心録にも、「慾多ければ即ち生を傷(やぶ)る」といへり。およそ人のやまひは、皆わが身の慾をほしゐままにして、つつしまざるよりおこる。養生の士はつねにこれを戒とすべし。

【病は気から=気を分散する】(139)

 気は、一身体の内にあまねく行わたるべし。むねの中一所にあつむべからず。いかり、かなしみ、うれひ、思ひ、あれば、胸中一所に気とどこほりてあつまる。七情の過て滞るは病の生る基なり。

【欲・養気・理を慎みなさい】(140)

 俗人は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二ながら失へり。仙術の士は養気に偏にして、道理を好まず。故に礼儀をすててつとめず。陋儒は理に偏にして気を養はず。修養の道をしらずして天年をたもたず。この三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。


(巻第二)

総論下

【食気を巡らす=食後に歩行三百歩】(201)

 凡そ朝は早くおきて、手と面を洗ひ、髪をゆひ、事をつとめ、食後にはまづ腹を多くなで下し、食気をめぐらすべし。また、京門のあたりを手の食指のかたはらにて、すぢかひにしばしばなづべし。腰をもなで下して後、下にてしづかにうつべし。あらくすべからず。もし食気滞らば、面を仰ぎて三四度食毒の気を吐くべし。朝夕の食後に久しく安坐すべからず。必ず眠り臥すべからず。久しく坐し、眠り臥せば、気ふさがりて病となり、久しきをつめば命みじかし。

食後に毎度歩行すること、三百歩すべし。おりおり五六町歩行するは尤よし。

【家にいても身体を動かしなさい】(202)

 家に居て、時々わが体力の辛苦せざる程の労動をなすべし。吾起居のいたつがはしきをくるしまず、室中のこと、奴婢をつかはずして、しばしばみづからたちて我身を運用すべし。わが身を動用すれば、おもひのままにして速にこと調ひ、下部をつかふに心を労せず。これ「心を清くして事を省く」の益あり。かくのごとくにして、常に身を労動すれば気血めぐり、食気とどこほらず、これ養生の要術也。身をつねにやすめおこたるべからず。我に相応せることをつとめて、手足をはたらかすべし。

時にうごき、時に静なれば、気めぐりて滞らず。静に過ればふさがる。動に過ればつかる。動にも静にも久しかるべからず。

【じっとしていてはいけない】(203)

 華陀が言に、「人の身は労動すべし。労動すれば穀気きえて、血脈流通す」といへり。およそ人の身、慾を少なくし、時々身をうごかし、手足をはたらかし、歩行して久しく一所に安坐せざれば、血気めぐりて滞らず。養生の要務なり。日々かくのごとくすべし。『呂氏春秋』曰く、「流水腐らず、戸枢(こすう)螻(むしば)まざるは、動けば也。形気もまた然り」。いふ意(こころ)は、流水はくさらず、たまり水はくさる。から戸のぢくの下のくるゝ(枢)は虫くはず。

この二のものはつねにうごくゆへ、わざはひなし。人の身も、またかくのごとし。一所に久しく安坐してうごかざれば、飲食とゞこほり、気血めぐらずして病を生ず。食後にふすと、昼臥すと、尤(も)禁ずべし。夜も飲食の消化せざる内に早くふせば、気をふさぎ病を生ず。これ養生の道におゐて尤いむべし。

【『千金方』の言葉=行・坐・臥・視はダメ】(204)

 『千金方』に曰く、養生の道、「久しく行き、久しく坐し、久しく臥し、久しく視る」ことなかれ。

【食後に寝てはダメ】(205)

 酒食の気いまだ消化せざる内に臥してねぶれば、必ず酒食とゞこほり、気ふさがりて病となる。いましむべし。昼は必ず臥すべからず。大に元気をそこなふ。もし大につかれたらば、うしろによりかゝりてねぶるべし。もし臥さば、かたはらに人をおきて、少ねぶるべし。久しくねぶらば、人によびさまさしむべし。

【昼寝もダメ】(206)

 日長き時も昼臥すべからず。日永き故、夜に入て、人により、もし体力つかれて早くねぶることをうれへば、晩食の後、身を労動し、歩行し、日入の時より臥して体気をやすめてよし。臥して必ずねぶるべからず。ねぶれば甚(だ)害あり。久しく臥べからず。秉燭(へいしょく)のころ、おきて坐すべし。かくのごとくすれば夜間体に力ありて、眠り早く生ぜず。もし日入の時よりふさゞるは尤よし。

【自信過剰は注意!】(207)

 養生の道は、たの(恃)むを戒しむ。わが身のつよきをたのみ、わかきをたのみ、病の少(し)いゆるをたのむ。これ皆わざはひの本也。刃のと(鋭)きをたのんで、かたき物をきれば、刃折る。気のつよきをたのんで、みだりに気をつかへば、気へる。脾腎のつよきをたのんで、飲食・色慾を過さば、病となる。

【欲と身と何れが大切か?】(208)

 爰(ここ)に人ありて、宝玉を以てつぶてとし、雀をうたば、愚なりとて、人必ずわらはん。至りて、おもき物をすてゝ、至りてかろき物を得んとすればなり。人の身は至りておもし。然るに、至りてかろき小なる欲をむさぼりて身をそこなふは、軽重をしらずといふべし。宝玉を以て雀をうつがごとし。

【自分を大事にしすぎて害を招く?】(209)

 心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず。凡そわが身を愛し過すべからず。美味をくひ過し、芳*(ほううん)をのみ過し、色をこのみ、身を安逸にして、おこたり臥すことを好む。皆これ、わが身を愛し過す故に、かへつてわが身の害となる。また、無病の人、補薬を妄に多くのんで病となるも、身を愛し過すなり。子を愛し過して、子のわざはひとなるが如し。

【欲・忍が長命と短命の分かれ道】(210)

 一時の慾をこらへずして病を生じ、百年の身をあやまる。愚なるかな。長命をたもちて久しく安楽ならんことを願はゞ、慾をほしゐまゝにすべからず。慾をこらゆるは長命の基也。慾をほしゐまゝにするは短命の基也。恣なると忍ぶとは、これ寿(いのちながき)と夭(いのちみじかき)とのわかるる所也。

【遠き慮なければ、近き憂い】(211)

 『易』に曰く、「患(うれい)を思ひ、予(かね)てこれを防ぐ」。いふ意(こころ)は後の患をおもひ、かねてそのわざはひをふせぐべし。『論語』にも「人遠き慮(おもんぱかり)なければ、必ず近きうれひあり」との玉へり。これ皆、初に謹んで、終をたもつの意なり。

【酒食・色欲から苦しみ】(212)

 人、慾をほしゐまゝにして楽しむは、その楽しみいまだつきざる内に、はやくうれひ生ず。酒食・色慾をほしゐまゝにして楽しむ内に、はやくたたりをなして苦しみ生ずるの類也。

【有限の元気で無限の欲を追う】(213)

 人、毎日昼夜の間、元気を養ふことと元気をそこなふこととの、二の多少をくらべ見るべし。衆人は一日の内、気を養ふことは常に少なく、気をそこなふことは常に多し。養生の道は元気を養ふことのみにて、元気をそこなふことなかるべし。もし養ふことは少なく、そこなふこと多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。この故に衆人は病多くして短命なり。かぎりある元気をもちて、かぎりなき慾をほしゐまゝにするは、あやうし。

【日々慎めば過ちなし】(214)

 古語曰く、「日に慎しむこと一日、寿(いのちながく)して終に殃(わざわい)なし」。言心は一日々々をあらためて、朝より夕まで毎日つヽしめば、身にあやまちなく、身をそこなひやぶることなくして、寿して、天年をおはるまでわざはひなしと也。これ身をたもつ要道なり。

【初めが肝心、後の楽のために】(215)

 飲食・色慾をほしゐまヽにして、そのはじめ少(し)の間、わが心に快きことは、後に必ず身をそこなひ、ながきわざはひとなる。後にわざはひなからんことを求めば、初わが心に快からんことをこのむべからず。万のことはじめ快くすれば、必ず後の禍となる。はじめつとめてこらゆれば、必ず後の楽となる。

【養生の要は?】(216)

 養生の道、多くいふことを用ひず。只飲食を少なくし、病をたすくる物をくらはず、色慾をつゝしみ、精気をおしみ、怒・哀・憂・思を過さず。心を平にして気を和らげ、言を少なくして無用のことをはぶき、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、また時々身をうごかし、歩行し、時ならずして眠り臥すことなく、食気をめぐらすべし。これ養生の要なり。

【飲食と眠りで身をそこなう?】(217)

 飲食は身を養ひ、眠り臥は気を養なふ。しかれども飲食節に過れば、脾胃をそこなふ。眠り臥すこと時ならざれば、元気をそこなふ。この二は身を養はんとして、かへつて身をそこなふ。よく生を養ふ人は、つとにおき、よは(夜半)にいねて、昼いねず、常にわざをつとめておこたらず、眠りふすことを少なくして、神気をいさぎよくし、飲食を少なくして、腹中を清虚にす。かくのごとくなれば、元気よく、めぐりふさがらずして、病生ぜず。

発生の気その養を得て、血気をのづからさかんにして病なし。これ寝食の二の節に当れるは、また養生の要也。

【楽より寿に至る】(218)

 貧賎なる人も、道を楽しんで日をわたらば、大なる幸なり。しからば一日を過す間も、その時刻永くして楽多かるべし。いはんや一とせをすぐる間、四の時、おりおりの楽、日々にきはまりなきをや。この如くにして年を多くかさねば、その楽長久にして、そのしるしは寿かるべし。知者の楽み、仁者の寿は、わが輩及がたしといへども、楽より寿にいたれる次序は相似たるなるべし。

【徳を養い身をやしなう】(219)

 心を平らかにし、気を和かにし、言を少なくし、しづかにす。これ徳を養ひ身をやしなふ。その道一なり。多言なると、心さはがしく気あらきとは、徳をそこなひ、身をそこなふ。その害一なり。

【肉食の少ない山中の人は長命、魚を食べる海辺の人は短命】(220)

 山中の人は多くはいのちながし。古書にも「山気は寿(じゅ)多し」と云、また「寒気は寿」ともいへり。山中はさむくして、人身の元気をとぢかためて、内にたもちてもらさず。故に命ながし。暖なる地は元気もれて、内にたもつこと少なくして、命みじかし。また、山中の人は人のまじはり少なく、しづかにして元気をへらさず、万ともしく不自由なる故、おのづから欲すくなし。殊に魚類まれにして肉にあかず。これ山中の人、命ながき故なり。

市中にありて人に多くまじはり、事しげければ気へる。海辺の人、魚肉をつねに多くくらふゆえ、病おほくして命みじかし。市中にをり海辺に居ても、慾を少なくし、肉食を少なくせば害なかるべし。

【一人静かに日を送る楽】(221)

 ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆これ心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人もこの楽つねに得やすし。もしよくこの楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。

【忍は身の宝、怒りと欲は災い】(222)

 古語に、「忍は身の宝也」といへり。忍べば殃(わざわい)なく、忍ばざれば殃あり。忍ぶはこらゆるなり。恣ならざるを云。忿(いかり)と慾とはしのぶべし。およそ養生の道は忿・慾をこらゆるにあり。忍の一字守るべし。武王の銘に曰く「之を須臾(しゅゆ)に忍べば、汝の躯を全す」。『尚書』に曰く。「必ず忍ぶこと有れば、それ乃ち済すこと有り」。古語に云。「莫大の過ちは須臾の忍びざるに起る」。これ忍の一字は、身を養ひ徳を養ふ道なり。

【胃の気は元気の別名】(223)

 胃の気とは元気の別名なり。冲和(ちゅうが)の気也。病甚しくしても、胃の気ある人は生く。胃の気なきは死す。胃の気の脉とは、長からず、短からず、遅(ち)ならず、数(さく)ならず、大ならず、小ならず、年に応ずること、中和にしてうるはし。この脉、名づけて言がたし。ひとり、心に得べし。元気衰へざる無病の人の脉かくの如し。これ古人の説なり。養生の人、つねにこの脉あらんことをねがふべし。養生なく気へりたる人は、わかくしてもこの脉とも(乏)し。これ病人なり。

病脉のみ有て、胃の気の脉なき人は死す。また、目に精神ある人は寿(いのちなが)し。精神なき人は夭(いのちみじか)し。病人をみるにもこの術を用ゆべし。

【心が豊かで争わないと長寿】(224)

 養生の術、荘子が所謂(いわゆる)、庖丁が牛をときしが如くなるべし。牛の骨節(こっせつ)のつがひは間(ひま)あり。刀の刃はうすし。うすき刃をもつて、ひろき骨節の間に入れば、刃のはたらくに余地ありてさはらず。こゝを以て、十九年牛をときしに、刀新にとぎたてたるが如しとなん。人の世にをる、心ゆたけくして物とあらそはず、理に随ひて行なへば、世にさはりなくして天地ひろし。かくのごとくなる人は命長し。

【憂い悲しみでなく喜び楽しみ】(225)

 人に対して、喜び楽しみ甚(し)ければ、気ひらけ過てへる。我ひとり居て、憂悲み多ければ、気むすぼほれてふさがる。へるとふさがるとは、元気の害なり。

【心を喜ばして怒らない】(226)

 心をしづかにしてさはがしくせず、ゆるやかにしてせまらず、気を和にしてあらくせず、言を少なくして声を高くせず、高くわらはず、つねに心をよろこばしめて、みだりにいからず、悲を少なくし、かへらざることをくやまず、過あらば、一たびはわが身をせめて二度悔ず、只天命をやすんじてうれへず、これ心気をやしなふ道なり。養生の士、かくのごとくなるべし。

【唾液は大切、吐いちゃいけない】(227)

 津液(しんえき)は一身のうるほひ也。化して精血となる。草木に精液なければ枯る。大せつの物也。津液は臓腑より口中に出づ。おしみて吐べからず。ことに遠くつばき吐べからず、気へる。

【唾液は飲んで、痰は吐き出せ】(228)

 津液をばのむべし。吐べからず。痰をば吐べし、のむべからず。痰あらば紙にて取べし。遠くはくべからず。水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再び津液とはならず。痰、内にあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。この理をしらざる人、痰を吐ずしてのむは、ひが事也。痰を吐く時、気をもらすべからず。酒多くのめば痰を生じ、気を上(のぼ)せ、津液をへらす。

【病のときは急がずに慎重に!】(229)

 何事もあまりよくせんとしていそげば、必ずあしくなる。病を治するも、またしかり。医をゑらばず、みだりに医を求め、薬を服し、また、鍼・灸をみだりに用ひ、たゝりをなすこと多し。導引・按摩も、またしかり。わが病に当否をしらで、妄に治(じ)を求むべからず。湯治も、またしかり。病に応ずると応ぜざるをゑらばず、みだりに湯治して病をまし、死にいたる。

およそ薬治・鍼・灸・導引・按摩・湯治。この六のこと、その病とその治との当否をよくゑらんで用ゆべし。その当否をしらで、みだりに用ゆれば、あやまりて禍をなすこと多し。これよくせんとして、かへつてあしくする也。

【良きも悪きも習慣から、良きに慣れよ】(230)

 凡そ、よきこと悪しきこと、皆ならひよりおこる。養生のつゝしみ、つとめもまたしかり。つとめ行ひておこたらざるも、慾をつゝしみこらゆることも、つとめて習へば、後にはよきことになれて、つねとなり、くるしからず。またつゝつしまずして悪しきことになれ、習ひ癖となりては、つゝつしみつとめんとすれども、くるしみてこらへがたし。

【力以上のムリをしない】(231)

 万のこと、皆わがちからをはかるべし。ちからの及ばざるを、しゐて、そのわざをなせば、気へりて病を生ず。分外をつとむべからず。

【元気を惜しんで老いを迎える】(232)

 わかき時より、老にいたるまで、元気を惜むべし。年わかく康健なる時よりはやく養ふべし。つよきを頼みて、元気を用過すべからず。わかき時元気をおしまずして、老て衰へ、身よはくなりて、初めて保養するは、たとへば財多く富める時、おごりて財をついやし、貧窮になりて財ともしき故、初めて倹約を行ふが如し。行はざるにまされども、おそくしてそのしるしすくなし。

【嗇で気を養って長命】(233)

 気を養ふに嗇(しょく)の字を用ゆべし。老子この意をいへり。嗇はおしむ也。元気をおしみて費やさゝざる也。たとへば吝嗇なる人の、財多く余あれども、おしみて人にあたへざるが如くなるべし。気をおしめば元気へらずして長命なり。

【自分を欺いてはいけない】(234)

 養生の要は、自欺(みずからあざむく)ことをいましめて、よく忍ぶにあり。自欺とは、わが心にすでに悪しきとしれることを、きらはずしてするを云。悪しきとしりてするは、悪をきらふこと、真実ならず、これ自欺なり。欺くとは真実ならざる也。食の一事を以ていはゞ、多くくらふが悪しきとしれども、悪しきをきらふ心実ならざれば、多くくらふ。これ自欺也。その余事も皆これを以てしるべし。

【養生の術を知って自害をしてはいけない】(235)

 世の人を多くみるに、生れ付て短命なる形相ある人はまれなり。長寿を生れ付たる人も、養生の術をしらで行はざれば、生れ付たる天年をたもたず。たとへば、彭祖といへど、刀にてのどぶゑ(喉笛)をたゝば、などか死なざるべきや。今の人の欲をほしゐまゝにして生をそこなふは、たとへば、みづからのどぶえをたつが如し。のどぶゑをたちて死ぬると、養生せず、欲をほしゐまゝにして死ぬると、おそきと早きとのかはりはあれど、自害することは同じ。

気つよく長命なるべき人も、気を養なはざれば必ず命みじかくして、天年をたもたず。これ自害するなり。

【完璧ではなく、ほどほどにせよ】(236)

 凡(すべて)のこと、十分によからんことを求むれば、わが心のわづらひとなりて楽なし。禍もこれよりおこる。また、人の我に十分によからんことを求めて、人のたらざるをいかりとがむれば、心のわづらひとなる。また、日用の飲食・衣服・器物・家居・草木の品々も、皆美をこのむべからず。いさゝかよければ事たりぬ。十分によからんことを好むべからず。これ、皆わが気を養なふ工夫なり。

【道理を知れば死ぬ人はいない】(237)

 或人の曰く、「養生の道、飲食・色慾をつゝしむの類、われ皆しれり。然れどもつゝつしみがたく、ほしゐまゝになりやすき故、養生なりがたし」といふ。我おもふに、これいまだ養生の術をよくしらざるなり。よくしれらば、などか養生の道を行なはざるべき。水に入ればおぼれて死ぬ。火に入ればやけて死ぬ。砒霜をくらへば毒にあてられて死ぬることをば、たれもよくしれる故、水火に入り、砒霜をくらひて、死ぬる人なし。

多慾のよく生をやぶること、刀を以て自害するに同じき理をしれらば、などか慾を忍ばざるべき。すべてその理を明らかにしらざることは、まよひやすくあやまりやすし。人のあやまりてわざはひとなれることは、皆不知よりおこる。赤子のはらばひて井におちて死ぬるが如し。灸をして身の病をさることをしれる故、身に火をつけ、熱く、いためるをこらえて多きをもいとはず。これ灸のわが身に益あることをよくしれる故なり。

不仁にして人をそこなひくるしむれば、天のせめ人のとがめありて、必ずわが身のわざはひとなることは、その理明らかなれども、愚者はしらず。あやうきことを行ひ、わざはひをもとむるは不知よりおこる。盗は只たからをむさぼりて、身のとがにおち入(る)ことをしらざるが如し。養生の術をよくしれらば、などか慾にしたがひてつゝしまずやは有べき。

【楽しみを失ってはいけない】(238)

 聖人やゝもすれば楽をとき玉ふ。わが愚を以て聖心おしはかりがたしといへども、楽しみはこれ人のむまれ付たる天地の生理なり。楽しまずして天地の道理にそむくべからず。つねに道を以て欲を制して楽を失なふべからず。楽を失なはざるは養生の本也。

【畏れ慎めば病なく長寿】(239)

 長生の術は食色の慾を少なくし、心気を和平にし、事に臨んで常に畏・慎あれば、物にやぶられず、血気おのづから調ひて、自然に病なし。かくの如くなれば長生す。これ長生の術也。この術を信じ用ひば、この術の貴とぶべきこと、あたかも万金を得たるよりも重かるべし。

【酒は微酔、花は半開ほどほどに】(240)

 万の事十分に満て、その上にくはへがたきは、うれひの本なり。古人の曰く、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。この言むべなるかな。酒十分にのめばやぶらる。少のんで不足なるは、楽みて後のうれひなし。花十分に開けば、盛過て精神なく、やがてちりやすし。花のいまだひらかざるが盛なりと、と古人いへり。

【一時の浮気は一生の持病】(241)

 一時の浮気をほしゐまゝにすれば、一生の持病となり。或(は)即時に命あやうきことあり。莫大の禍はしばしの間こらえざるにおこる。おそるべし。

【養生は中庸が大切】(242)

 養生の道は、中を守るべし。中を守るとは過不及なきを云。食物はうゑを助くるまでにてやむべし。過てほしゐまゝなるべからず。これ中を守るなり。物ごとにかくの如くなるべし。

【心は従容、言語は少なし】(243)

 心をつねに従容(しょうよう)としづかにせはしからず、和平なるべし。言語はことにしづかにして少なくし、無用の事いふべからず。これ尤気を養ふ良法也。

【静で元気を保ち、動で元気を巡らす】(244)

 人の身は、気を以て生の源、命の主とす。故(に)養生をよくする人は、常に元気を惜みてへらさず。静にしては元気をたもち、動ゐては元気をめぐらす。たもつとめぐらすと、二の者そなはらざれば、気を養ひがたし。動静その時を失はず、これ気を養ふの道なり。

【大風雨と雷のとき】(245)

 もし大風雨と雷はなはだしくば、天の威をおそれて、夜といへどもかならずおき、衣服をあらためて坐すべし。臥すべからず。

【客は長居をするな】(246)

 客となつて昼より他席にあらば、薄暮より前に帰るべし。夜までかたれば主客ともに労す。久しく滞座すべからず。

【気はいろいろと変わる、病は気より生ず】(247)

 『素問』に「怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすぼう)る」といへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調るにあり。調ふるは気を和らぎ、平にする也。凡そ気を養ふの道は、気をへらさると、ふさがらざるにあり。気を和らげ、平にすれば、この二のうれひなし。

【臍下丹田は生命】(248)

 臍下三寸を丹田と云。腎間の動気こゝにあり。『難経』に、「臍下腎間の動気は人の生命也。十二経の根本也」といへり。これ人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみいそがはしき時も、この如くすべし。

もしやむ事を得ずして、人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。或(あるいは)芸術をつとめ、武人の槍・太刀をつかひ、敵と戦ふにも、皆この法を主とすべし。これ事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。凡そ技術を行なふ者、殊に武人はこの法をしらずんばあるべからず。また道士の気を養ひ、比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。これ主静の工夫、術者の秘訣なり。

【七情に注意する】(249)

 七情は喜・怒・哀・楽・愛・悪・慾也。医家にては喜・怒・憂・思・悲・恐・驚と云。また、六慾あり、耳・目・口・鼻・身・意の慾也。七情の内、怒と慾との二、尤徳をやぶり、生をそこなふ。忿を懲し、慾を塞ぐは『易経』の戒なり。忿は陽に属す。火のもゆるが如し。人の心を乱し、元気をそこなふは忿なり。おさえて忍ぶべし。慾は陰に属す。水の深きが如し。人の心をおぼらし、元気をへらすは慾也。思ひてふさぐべし。

【養生は「少」、「十二少」を守れ】(250)

 養生の要訣一あり。要訣とはかんようなる口伝也。養生に志あらん人は、これをしりて守るべし。その要訣は少の一字なり。少とは万のこと皆少なくして多くせざるを云。すべてつつまやかに、いはゞ、慾を少なくするを云。慾とは耳・目・口・体のむさぼりこのむを云。酒食をこのみ、好色をこのむの類也。およそ慾多きのつもりは、身をそこなひ命を失なふ。慾を少なくすれば、身をやしなひ命をのぶ。

慾を少なくするに、その目録十二あり。「十二少」と名づく。必ずこれを守るべし。食を少なくし、飲ものを少なくし、五味の偏を少なくし、色欲を少なくし、言語を少なくし、事を少なくし、怒を少なくし、憂を少なくし、悲を少なくし、思を少なくし、臥事を少なくすべし。かやうにことごとに少すれば、元気へらず、脾腎損せず。これ寿をたもつの道なり。十二にかぎらず、何事も身のわざと欲とを少なくすべし。一時に気を多く用ひ過し、心を多く用ひ過さば、元気へり、病となりて命みじかし。

物ごとに数多く、はゞ広く用ゆべからず。数少なく、はばせばきがよし。孫思*(そんしばく)が『千金方』にも、養生の「十二少」をいへり。その意同じ。目録はこれと同じからず。右にいへる十二少は、今の時宜にかなへるなり。

【養生の大要四つ】(251)

 内慾を少なくし、外邪をふせぎ、身を時々労動し、眠りを少なくす。この四は養生の大要なり。

【気を養う法】(252)

 気を和平にし、あらくすべからず。しづかにしてみだりにうごかすべからず。ゆるやかにして、急なるべからず。言語を少なくして、気をうごかすべからず。つねに気を臍(ほぞ)の下におさめて、むねにのぼらしむべからず。これ気を養ふ法なり。

【気を巡らし、体を養う】(253)

 古人は詠歌・舞踏して血脉を養ふ。詠歌はうたふ也。舞踏は手のまひ足のふむ也。皆心を和らげ、身をうごかし、気をめぐらし、体をやしなふ。養生の道なり。今導引・按摩して気をめぐらすがごとし。

【養生の四寡】(254)

 おもひを少なくして神を養ひ、慾を少なくして精を養ひ、飲食を少なくして胃を養ひ、言を少なくして気を養ふべし。これ養生の四寡なり。

【摂生の七養】(255)

 摂生の七養あり。これを守るべし。一には言を少なくして内気を養ふ。二には色慾を戒めて精気を養ふ。三には滋味を薄くして血気を養ふ。四には津液をのんで臓気を養ふ。五には怒をおさえて肝気を養ふ。六には飲食を節にして胃気を養ふ。七には思慮を少なくして心気を養ふ。これ『寿親養老補書』に出たり。

【修養の五宜】(256)

 孫真人が曰く「修養の五宜(ごぎ)あり。髪は多くけづるに宜し。手は面にあるに宜し。歯はしばしばたゝくに宜し。津(つばき)は常にのむに宜し。気は常に練るに宜し」。練るとは、さはがしからずしてしづかなる也。

【行・坐・立・臥・語は久しくてはいけない】(257)

 久しく行き、久しく坐し、久しく立、久しく臥し、久しく語るべからず。これ労動ひさしければ気へる。また、安逸ひさしければ気ふさがる。気へるとふさがるとは、ともに身の害となる。

【養生の四要】(258)

 養生の四要は、暴怒をさり、思慮を少なくし、言語を少なくし、嗜慾を少なくすべし。

【四損】(259)

 『病源集』に唐椿が曰く、「四損は、遠くつばきすれば気を損ず。多くねぶれば神を損ず。多く汗すれば血を損ず。疾(とく)行けば筋を損ず」。

【老人の痰切り】(260)

 老人はつよく痰を去薬を用べからず。痰をことごとく去らんとすれば、元気へる。これ古人の説也。

【呼吸の方法】(261)

 呼吸は人の鼻よりつねに出入る息也。呼は出る息也。内気をはく也。吸は入る息なり。外気をすふ也。呼吸は人の生気也。呼吸なければ死す。人の腹の気は天地の気と同くして、内外相通ず。人の天地の気の中にあるは、魚の水中にあるが如し。魚の腹中の水も外の水と出入して、同じ。人の腹中にある気も天地の気と同じ。されども腹中の気は臓腑にありて、ふるくけがる。天地の気は新くして清し。

時々鼻より外気を多く吸入べし。吸入ところの気、腹中に多くたまりたるとき、口中より少づつしづかに吐き出すべし。あらく早くはき出すべからず。これふるくけがれたる気をはき出して、新しき清き気を吸入る也。新とふるきと、かゆる也。これを行なふ時、身を正しく仰ぎ、足をのべふし、目をふさぎ、手をにぎりかため、両足の間、去事五寸、両ひぢと体との間も、相去事おのおの五寸なるべし。一日一夜の間、一両度行ふべし。久してしるしを見るべし。気を安和にして行ふべし。

【鼻より清気を入れ、口より濁気を出す】(262)

 『千金方』に、常に鼻より清気を引入れ、口より濁気を吐出す。入ること多く出すこと少なくす。出す時は口をほそくひらきて少吐べし。

【ふだんの呼吸はゆるやか】(263)

 常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田に入べし。急なるべからず。

【調息の法】(264)

 調息の法、呼吸をとゝのへ、しづかにすれば、息やうやく微也。弥(いよいよ)久しければ、後は鼻中に全く気息なきが如し。只臍の上より微息往来することをおぼゆ。かくの如くすれば神気定まる。これ気を養ふ術なり。呼吸は一身の気の出入する道路也。あらくすべからず。

【養生の術で心・身を養う】(265)

 養生の術、まづ心法をよくつゝしみ守らざれば、行はれがたし。心を静にしてさはがしからず、いかりをおさえ慾を少なくして、つねに楽んでうれへず。これ養生の術にて、心を守る道なり。心法を守らざれば、養生の術行はれず。故に心を養ひ身を養ふの工夫二なし、一術なり。

【夜更かしはするな】(266)

 夜書をよみ、人とかたるに三更をかぎりとすべし。一夜を五更にわかつに、三更は国俗の時皷の四半過、九の間なるべし。深更までねぶらざれば、精神しづまらず。

【塵埃などを払って清潔に】(267)

 外境いさぎよければ、中心もまたこれにふれて清くなる。外より内を養ふ理あり。故に居室は常に塵埃をはらひ、前庭も家僕に命じて、日々いさぎよく掃はしむべし。みづからも時々几上の埃をはらひ、庭に下りて、箒をとりて塵をはらふべし。心をきよくし身をうごかす、皆養生の助なり。

【陽と陰、春夏と秋冬、易道の陽陰】(268)

 天地の理、陽は一、陰は二也。水は多く火は少し。水はかはきがたく、火は消えやすし。人は陽類にて少なく、禽獣虫魚は陰類にて多し。この故に陽は少なく陰は多きこと、自然の理なり。すくなきは貴とく多きはいやし。君子は陽類にて少なく、小人は陰類にて多し。易道は陽を善として貴とび、陰を悪としていやしみ、君子を貴とび、小人をいやしむ。水は陰類なり。暑月はへるべくしてますます多く生ず。寒月はますべくしてかへつてかれてすくなし。

春夏は陽気盛なる故に水多く生ず。秋冬は陽気変る故水すくなし。血は多くへれども死なず。気多くへれば忽(たちまち)死す。吐血・金瘡・産後など、陰血大に失する者は、血を補へば、陽気いよいよつきて死す。気を補へば、生命をたもちて血も自(おのずから)生ず。古人も「血脱して気を補ふは、古聖人の法なり」、といへり。人身は陽常に少なくして貴とく、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴とんでさかんにすべし。陰をいやしんで抑ふべし。

元気生生すれば、真陰もまた生ず。陽盛(さかん)なれば陰自(おのずから)長ず。陽気を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄・知母・黄栢等、苦寒の薬を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃の気衰て、血を滋生せずして、陰血もまた消ぬ。また、陽不足を補はんとて、烏附(うぶ)等の毒薬を用ゆれば、邪火を助けて陽気もまた亡ぶ。これは陽を補ふにはあらず。丹渓(の)陽有余陰不足論は何の経に本づけるや、その本拠を見ず。もし丹渓一人の私言ならば、無稽の言信じがたし。

易道の陽を貴とび、陰を賎しむの理にそむけり。もし陰陽の分数を以てその多少をいはゞ、陰有余陽不足とは云べし。陽有余陰不足とは云がたし。後人その偏見にしたがひてくみするは何ぞや。凡そ、識見なければその才弁ある説に迷ひて、偏執に泥(なず)む。丹渓はまことに古よりの名医なり。医道に功あり。彼補陰に専なるも、定めてその時の気運に宜しかりしならん。然れども医の聖にあらず。偏僻の論、この外にも猶多し。打まかせて悉くには信じがたし。

功過相半せり。その才学は貴ぶべし。その偏論は信ずべからず。王道は偏なく党なくして平々なり。丹渓は補陰に偏して平々ならず。医の王道とすべからず。近世は人の元気漸(ようやく)衰ろふ。丹渓が法にしたがひ、補陰に専ならば、脾胃をやぶり、元気をそこなはん。只東垣が脾胃を調理する温補の法、医中の王道なるべし。明の医の作れる『軒岐救生論』、『類経』等の書に、丹渓を甚(はなはだ)誹(そし)れり。その説頗(すこぶ)る理あり。

然れどもこれまた一偏に僻して、丹渓が長ずる所をあはせて、蔑(ないがしろ)にす。枉(まが)れるをためて直(なおき)に過と云べし。凡そ古来術者の言、往々偏僻多し。近世明季の医、殊にこの病あり。択んで取捨すべし。只、李中梓が説は、頗(すこぶる)平正にちかし。


(巻第三)

飲食上

【飲食は元気のもと、まず脾胃を調る】(301)

 人の身は元気を天地にうけて生ずれ共、飲食の養なければ、元気うゑて命をたもちがたし。元気は生命の本也。飲食は生命の養也。この故に、飲食の養は人生日用専一の補にて、半日もかきがたし。然れ共、飲食は人の大欲にして、口腹の好む処也。そのこのめるにまかせ、ほしゐまゝにすれば、節に過て必ず脾胃をやぶり、諸病を生じ、命を失なふ。五臓の初(はじめ)て生ずるは、腎を以て本とす。

生じて後は脾胃を以て五臓の本とす。飲食すれば、脾胃まづこれをうけて消化し、その精液を臓腑におくる。臓腑の脾胃の養をうくること、草木の土気によりて生長するが如し。これを以て養生の道は先ず脾胃を調るを要とす。脾胃を調るは人身第一の保養也。古人も飲食を節にして、その身を養ふといへり。

【禍は口より出で、病は口より入る】(302)

 人生日々に飲食せざることなし。常につゝしみて欲をこらへざれば、過やすくして病を生ず。古人「禍は口よりいで、病は口より入」といへり。口の出しいれ常に慎むべし。

【聖人の飲食の法】(303)

 『論語』郷党篇に記せし聖人の飲食の法、これ養生の要なり。聖人の疾を慎み給ふことかくの如し。法とすべし。

【飯・羮・酒は熱くして飲食する】(304)

 飯はよく熱して、中心まで和らかなるべし。こはくねばきをいむ。煖なるに宜し。羮(あつもの)は熱きに宜し。酒は夏月も温なるべし。冷飲は脾胃をやぶる。冬月も熱飲すべからず。気を上せ、血液をへらす。

【飯を炊く方法】(305)

 飯を炊く法多し。たきぼしは壮実なる人に宜し。*(ふたたびいい)は積聚気滞(しゃくじゅきたい)ある人に宜し。湯取飯(ゆとりいい)は脾胃虚弱の人に宜し。粘りて糊の如くなるは滞塞す。硬(こわ)きは消化しがたし。新穀の飯は性つよくして虚人はあしゝ。殊に早稲は気を動かす。病人にいむ。晩稲は性かろくしてよし。

【濃厚なものより淡泊なもの、肉は控え目】(306)

 凡(すべて)の食、淡薄なる物を好むべし。肥濃・油膩の物多く食ふべからず。生冷・堅硬なる物を禁ずべし。あつ物、只一によろし。肉も一品なるべし。*(さい)は一二品に止まるべし。肉を二かさぬべからず。また、肉多くくらふべからず。生肉をつゞけて食ふべからず。滞りやすし。羹に肉あらば、*(さい)には肉なきが宜し。

【飲食欲を押さえる】(307)

 飲食は飢渇をやめんためなれば、飢渇だにやみなばその上にむさぼらず、ほしゐままにすべからず。飲食の欲を恣にする人は義理をわする。これを口腹の人と云(いい)いやしむべし。食過たるとて、薬を用ひて消化すれば、胃気、薬力のつよきにうたれて、生発の和気をそこなふ。おしむべし。食飲する時、思案し、こらへて節にすべし。心に好み、口に快き物にあはゞ、先ず心に戒めて、節に過んことをおそれて、恣にすべからず。

心のちからを用ひざれば、欲にかちがたし。欲にかつには剛を以てすべし。病を畏るゝには怯(つたな)かるべし。つたなきとは臆病なるをいへり。

【腹八分にすべし、満腹は禍あり】(308)

 珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり。少しの間、欲をこらゆれば後の禍なし。少のみくひて味のよきをしれば、多くのみくひてあきみちたるにその楽同じく、且後の災なし。万のむくひて味のよきをしれば、多くのみくひて、あきみちたるにその楽同じく、且後の災なし。万に事十分にいたれば、必ずわざはひとなる。飲食尤満意をいむべし。また、初に慎めば必ず後の禍なし。

【偏った食事の五味偏勝を避けよ】(309)

 五味偏勝とは一味を多く食過すを云。甘き物多ければ、腹はりいたむ。辛き物過れば、気上りて気へり、瘡(かさ)を生じ、眼あしゝ。鹹(しおはゆ)き物多ければ血かはき、のんどかはき、湯水多くのめば湿を生じ、脾胃をやぶる。苦き物多ければ脾胃の生気を損ず。酸き物多ければ気ちゞまる。五味をそなへて、少づゝ食へば病生ぜず。諸肉も諸菜も同じ物をつゞけて食すれば、滞りて害あり。

【メリットのある物を選んで食べよ】(310)

 食は身をやしなふ物なり。身を養ふ物を以て、かへつて身をそこなふべからず。故に、凡そ食物は性よくして、身をやしなふに益ある物をつねにゑらんで食ふべし。益なくして損ある物、味よしとてもくらふべからず。温補して気をふさがざる物は益あり。生冷にして瀉(はき)下し、気をふさぎ、腹はる物、辛くし(て)熱ある物、皆損あり。

【飯を食べ過ぎないように】(311)

 飯はよく人をやしなひ、またよく人を害す。故に飯はことに多食すべからず。常に食して宜しき分量を定むべし。飯を多くくらへば、脾胃をやぶり、元気をふさぐ。他の食の過たるより、飯の過たるは消化しがたくして大いに害あり。客となりて、あるじ心を用ひてまうけたる品味を、箸を下さゞれば、主人の盛意を空しくするも快からずと思はゞ、飯を常の時より半減して*(さい)の品味を少づゝ食すべし。この如くすればさい多けれど食にやぶられず。

飯を常の如く食して、また魚鳥などの、*(さい)数品多くくらへば必ずやぶらる。飯後にまた茶菓子と*(もち)・餌(だんご)などくらひ、或後段とて麪類など食すれば、飽満して気をふさぎ、食にやぶらる。これ常の分量に過れば也。茶菓子・後段は分外の食なり。少食して可也。過すべからず。もし食後に小食せんとおもはゞ、かねて飯を減ずべし。

【口腹の欲に引かれて、道理を忘れる】(312)

 飲食の人は、人これをいやしむ。その小を養つて大をわするゝがためなりと、孟子ののたまへるごとく、口腹の欲にひかれて道理をわすれ、只のみくひ、あきみちんことをこのみて、腹はりいたみ、病となり、酒にゑひて乱に及ぶは、むけにいやしむべし。

【夜食・夜酒に関する注意】(313)

 夜食する人は、暮て後、早く食すべし。深更にいたりて食すべからず。酒食の気よくめぐり、消化して後ふすべし。消化せざる内に早くふせば病となる。夜食せざる人も、晩食の後、早くふすべからず。早くふせば食気とゞこをり、病となる。凡そ夜は身をうごかす時にあらず。飲食の養を用ひず、少うゑても害なし。もしやむことを得ずして夜食すとも、早くして少きに宜し。夜酒はのむべからず。若(もし)のむとも、早くして少のむべし。

【少々食をひかえても、栄養不足にはなららい】(314)

 俗のことばに、食をひかへすごせば、養たらずして、やせおとろふと云。これ養生知不人の言也。欲多きは人のむまれ付なれば、ひかえ過すと思ふがよきほどなるべし。

【多く食べるのはよくない】(315)

 すけ(好)る物にあひ、うゑたる時にあたり、味すぐれて珍味なる食にあひ、その品おほく前につらなるとも、よきほどのかぎりの外は、かたくつゝしみてその節にすぐすべからず。*(さい)多く食ふべからず。魚鳥などの味の濃く、あぶら有て重き物、夕食にあしし。菜類も薯蕷(やまのいも)・胡蘿蔔(にんじん)・菘菜(うきな)・芋根(いも)・慈姑(くわい)などの如き、滞りやすく、気をふさぐ物、晩食に多く食ふべからず。食はざるは尤よし。

【常に控え目にする】(316)

 飲食ものにむかへば、むさぼりの心すすみて、多きにすぐることをおぼえざるは、つねの人のならひ也。酒・食・茶・湯、ともによきほどと思ふよりも、ひかえて七八分にて猶も不足と思ふ時、早くやむべし。飲食して後には必ず十分にみつるもの也。食する時、十分と思へば、必ずあきみちて分に過て病となる。

【酒食を過ごしたときは?】(317)

 酒食を過し、たたりをなすに、酒食を消すつよき薬を用ひざれば、酒食を消化しがたし。たとへば、敵わが領内に乱入し、あだをなして、城郭を攻破らんとす。こなたよりも強兵を出して防戦せしめ、わが士卒多く打死にせざれば敵にかちがたし。薬を用て食を消化するは、これわが腹中を以て敵・身方の戦場とする也。

飲食する所の酒食、敵となりて、わが腹中をせめやぶるのみならず、吾が用る所のつよき薬も、皆病を攻れば元気もへる。敵兵も身方の兵も、わが腹中に入乱れ戦って、元気を損じやぶること甚し。敵をわが領内に引入て戦はんより、外にふせぎて内に入らざらしめんにはしかじ。

酒食を過さずしてひかへば、敵とはなるべからず。つよき薬を用てわが腹中を敵・身方の合戦場とするは、胃の気をそこなひて、うらめし。

【五思とは何か?】(318)

 食する時、五思あり。一には、この食の来る所を思ひやるべし。幼くしては父の養をうけ、年長じては君恩によれり。これを思て忘るべからず。或君父ならずして、兄弟・親族・他人の養をうくることあり。これまたその食の来る所を思ひて、そのめぐみ忘るべからず。農工商のわがちからにはむ者も、その国恩を思ふべし。

二には、この食もと農夫勤労して作り出せし苦みを思ひやるべし。わするべからず。みづから耕さず、安楽にて居ながら、その養をうく。その楽を楽しむべし。

三には、われ才徳・行儀なく、君を助け、民を治むる功なくして、この美味の養をうくること、幸甚し。

四には、世にわれより貧しき人多し。糟糠の食にもあくことなし。或はうえて死する者あり。われは嘉穀をあくまでくらひ、飢餓の憂なし。これ大なる幸にあらずや。

五には上古の時を思ふべし。上古には五穀なくして、草木の実と根葉を食して飢をまねがる。その後、五穀出来ても、いまだ火食をしらず。釜・甑(こしき)なくして煮食せず、生にてかみ食はば、味なく腸胃をそこなふべし。今白飯をやはらかに煮て、ほしゐままに食し、またあつものあり、さいありて朝夕食にあけり。且酒醴ありて心を楽しましめ、気血を助く。

されば朝夕食するごとに、この五思の内、一二なりとも、かはるがはる思ひめぐらし忘るべからず。然らば日々に楽も、またその中に有べし。これ愚が臆説なり。妄(みだり)にここに記す。僧家には食時の五観あり。これに同じからず。

【夕食は軽く】(319)

 夕食は朝食より滞やすく消化しがたし。晩食は少きがよし。かろく淡き物をくらふべし。晩食にさいの数多きは宜しからず。さい多く食ふべからず。魚鳥などの味の濃く、あぶら有て重き物、夕食にあしし。

菜類も薯蕷(やまのいも)、胡蘿蔔(にんじん)、菘菜(うきな)、芋根(いも)、慈姑(くわい)などの如き、滞りやすく、気をふさぐ物、晩食に多く食ふべからず。食はざるは尤よし。

【食べたらいけない物】(320)

 飯のすゑり、魚のあざれ、肉のやぶれたる、色の悪しき物、臭(か)の悪しき物、*(にえばな)をうしなへる物くらはず。朝夕の食事にあらずんばくらふべからず。また、早くしていまだ熟せず、或いまだ生ぜざる物根をほりとりてめだちをくらふの類、また、時過ぎてさかりを失へる物、皆、時ならざる物也。くらふべからず。これ『論語』にのする処、聖人の食し給はざる物なり。聖人身を慎み給ふ、養生の一事なり。法とすべし。

また、肉は多けれども、飯の気にかたしめずといへり。肉を多く食ふべからず。食は飯を本とす。何の食も飯より多かるべからず。

【飯はたくさん食べる。肉は少しでもよい】(321)

 飲食の内、飯は飽ざれば飢を助けず。あつものは飯を和せんためなり。肉はあかずしても不足なし。少なくらって食をすゝめ、気を養ふべし。菜は穀肉の足らざるを助けて消化しやすし。皆その食すべき理あり。然共多かるべからず。

【穀物は肉に勝る】(322)

 人身は元気を本とす。穀の養によりて、元気生々してやまず。穀肉を以て元気を助くべし。穀肉を過して元気をそこなふべからず。元気穀肉にかてば寿(いのちなが)し。穀肉元気に勝てば夭(みじか)し。また古人の言に「穀はかつべし。肉は穀にかたしむべからず」といへり。

【内臓の弱い人は我慢をしなさい】(323)

 脾胃虚弱の人、殊(ことに)老人は飲食にやぶられやすし。味よき飲食にむかはゞ忍ぶべし。節に過べからず。心よはきは慾にかちがたし。心つよくして慾にかつべし。

【友と一緒のときは食べ過ぎ、飲み過ぎに注意!】(324)

 交友と同じく食する時、美饌にむかえば食過やすし。飲食十分に満足するは禍の基なり。花は半開に見、酒は微酔にのむといへるが如くすべし。興に乗じて戒を忘るべからず。慾を恣にすれば禍となる。楽の極まれるは悲の基なり。

【持病に悪い物はメモしておいて食べない】(325)

 一切の宿疾を発する物をば、しるして置きてくらふべからず。宿疾とは持病也。即時に害ある物あり。時をへて害ある物あり。即時に傷なしとて食ふべからず。

【食い過ぎのときは飲食をやめる】(326)

 傷食の病あらば、飲食をたつべし。或食をつねの半減し、三分の二減ずべし。食傷の時はやく温湯に浴すべし。魚鳥の肉、魚鳥のひしほ、生菜、油膩の物、ねばき物、こわき物、もちだんご、つくり菓子、生菓子などくらふべからず。

【まだ消化をしていないときは、次の食を抜く】(327)

 朝食いまだ消化せずんば、昼食すべからず。点心などくらふべからず。昼食いまだ消化せずんば、夜食すべからず。前夜の宿食、猶滞らば、翌朝食すべからず。或半減し、酒肉をたつべし。およそ食傷を治すること、飲食をせざるにしくはなし。飲食をたてば、軽症は薬を用ずしていゆ。

養生の道しらぬ人、殊に婦人は智なくして食滞の病にも早く食をすゝむる故、病おもくたる。ねばき米湯など殊に害となる。みだりにすゝむべからず。病症により、殊に食傷の病人は、一両日食せずしても害なし。邪気とゞこほりて腹みつる故なり。

【煮物に関する注意】(328)

 煮過して*(にえばな)を失なへる物と、いまだ煮熟せざる物くらふべからず。魚を煮るにに煮ゑざるはあしゝ。煮過してにえばなを失なへるは味なく、つかへやすし。よき程の節あり。魚を蒸たるは久しくむしても、にえばなを失なはず。魚をにるに水おおきは味なし。この事、李笠翁が『閑情寓寄』にいへり。

【調味料には毒消しの意味もある】(329)

 聖人その醤(あえしお)を得ざればくひ給わず。これ養生の道也。醤とはひしほにあらず、その物にくはふべきあはせ物なり。今こゝにていはゞ、塩酒、醤油、酢、蓼、生薑、わさび、胡椒、芥子、山椒など、各その食物に宜しき加へ物あり。これをくはふるはその毒を制する也。只その味のそなはりてよからんことをこのむにあらず。

【老いて色欲はなくなっても、食欲はやまない】(330)

 飲食の慾は朝夕におこる故、貧賤なる人もあやまり多し。況富貴の人は美味多き故、やぶられやすし。殊に慎むべし。中年以後、元気へりて、男女の色欲はやうやく衰ふれども、飲食の慾はやまず。老人は脾気よはし。故に飲食にやぶられやすし。老人のにはかに病をうけて死するは、多くは食傷也。つゝしむべし。

【新鮮なものを食べる】(331)

 諸(もろもろ)の食物、皆あたらしき生気る物をくらふべし。ふるくして臭(か)あしく、色も味もかはりたる物、皆気をふさぎて、とゞこほりやすし。くらふべからず。

【好きなものばかりを食べてはいけない】(332)

 すける物は脾胃のこのむ所なれば補となる。李笠翁も本姓甚すける物は、薬にあつべしといへり。尤この理あり。されどすけるまゝに多食すれば、必ずやぶられ、好まざる物を少なくらふにおとる。好む物を少食はゞ益あるべし。

【食べるべき五つの物】(333)

 清き物、かうばしき物、もろく和かなる物、味かろき物、性よき物、この五の物をこのんで食ふべし。益ありて損なし。これに反する物食ふべからず。この事もろこしの食にも見えたり。

【弱っている人には、魚・鳥の肉を少量】(334)

 衰弱虚弱の人は、つねに魚鳥の肉を味よくして、少づゝ食ふべし。参*(じんぎ)の補にまされり。性よき生魚を烹炙よくすべし。塩つけて一両日過たる尤よし。久しければ味よからず。且滞りやすし。生魚の肉*(にくみそ)につけたるを炙煮て食ふもよし。夏月は久しくたもたず。

【胃腸の弱い人の食べ物】(335)

 脾虚の人は生魚をあぶりて食するに宜し。煮たるよりつかえず。小魚は煮て食するに宜し。大なる生魚はあぶりて食ひ、或煎酒を熱くして、生薑わさびなどを加え、浸し食すれば害なし。

【大きな魚は油が多いので、薄く切る】(336)

 大魚は小魚より油多くつかえやすし。脾虚の人は多食すべからず。薄く切て食へばつかえず。大なる鯉・鮒大に切、或全身を煮たるは、気をふさぐ。うすく切べし。蘿蔔(だいこん)、胡蘿蔔(にんじん)、南瓜、菘菜(うきな)なども、大に厚く切て煮たるは、つかえやすく、薄く切て煮るべし。

【生魚もよいものである】(337)

 生魚、味をよく調へて食すれば、生気ある故、早く消化しやすくしえつかえず。煮過し、または、ほして油多き肉、或塩につけて久しき肉は、皆生気なき隠物なり。滞やすし。この理をしらで生魚より塩蔵をよしとすべからず。

【生臭くて脂の多い魚は食べちゃダメ】(338)

 甚腥(なまぐさ)く脂多き魚食ふべからず。魚のわたは油多し。食べからず。**(なしもの)ことにつかえやすし。痰を生ず。

【刺身、膾などには気を付ける】(339)

 さし身、鱠(なます)は人により斟酌すべし。酢過たるをいむ。虚冷の人はあたゝめ食ふべし。鮓は老人・病人食ふべからず、消化しがたし。殊に未熟の時、また熟し過て日をへたる、食ふべからず。ゑびの鮓毒あり。うなぎの鮓消化しがたし。皆食ふべからず。大なる鳥の皮、魚の皮のあつきは、かたくして油多し。食ふべからず。消しがたし。

【肉・いか・たこなどを多く食べてはいけない】(340)

 諸獣の肉は、日本の人、腸胃薄弱なる故に宜しからず。多く食ふべからず。烏賊・章魚など多く食ふべからず。消化しがたし。鶏子・鴨子、丸ながら煮たるは気をふさぐ。ふはふはと俗の称するはよし。肉も菜も大に切たる物、また、丸ながら煮たるは、皆気をふさぎてつかえやすし。

【生魚は塩にうすく漬けてから食べる】(341)

 生魚あざらけきに塩を淡くつけ、日にほし、一両日過て少あぶり、うすく切て酒にひたし食ふ。脾に妨なし。久しきは滞りやすし。

【味噌・醤油・酢に関する注意】(342)

 味噌、性和(やわらか)にして脾胃を補なふ。たまりと醤油はみそより性するどなり。泄瀉する人に宜しからず。酢は多く食ふべからず。脾胃に宜しからず。然れども積聚(しゃくじゅ)ある人は小食してよし。*醋(げんそ)を多く食ふべからず。

【生野菜がダメな人は干してから煮て食べるとよい】(343)

 脾胃虚して生菜をいむ人は、乾菜を煮食ふべし。冬月蘿蔔(らふく)をうすく切りて生ながら日に乾す。蓮根、牛蒡、薯蕷(やまのいも)、うどの根、いづれもうすく切りてほす。椎蕈、松露、石茸(いわたけ)、もほしたるがよし。松蕈塩漬よし。壷廬(ゆうがお)切て塩に一夜つけ、おしをかけ置てほしたるがよし。瓠畜(かんぴょう)もよし。白芋の茎熱湯をかけ日にほす。これ皆虚人の食するに宜し。

枸杞(くこ)、五加(うこぎ)、*(ひゆ)、菊、蘿摩(らも)、鼓子花(ひるがお)葉など、わか葉をむし、煮てほしたるをあつ物とし、味噌にてあへ物とす。菊花は生にてほす。皆虚人に宜し。老葉はこはし。海菜(みる)は冷性也。老人・虚人に宜しからず。昆布多く食へば気をふさぐ。

【自分の気に入らない味のものは養分にならない】(344)

 食物の気味、わが心にかなはざる物は、養とならず。かへつて害となる。たとひ我がために、むつかしくこしらへたる食なりとも、心にかなはずして、害となるべき物は食ふべからず。また、その味は心にかなへり共、前食いまだ消化せずして、食ふことを好まずば食すべからず。

わざととゝのへて出来たる物をくらはざるも、快からずとて食ふはあしゝ。別に使令する家僕などにあたへて食はしむれば、我が食せずしても快し。他人の饗席にありても、心かなはざる物くらふべからず。また、味心にかなへりとて、多く食ふは尤あしゝ。

【少々の我慢をして過食をしない】(345)

 凡そ食飲をひかへこらゆること久き間にあらず。飲食する時須臾の間、欲を忍ぶにあり。また、分量は多きにあらず。飯は只二三口、*(さい)は只一二片、少の欲をこらゑて食せざれば害なし。酒もまたしかり。多飲の人も少こらえて、酔過さゞれば害なし。

【胃に好ましい物を食べ、胃が嫌う物は食べない】(346)

 脾胃のこのむと、きらふ物をしりて、好む物を食し、きらふ物を食すべからず。脾胃の好む物は何ぞや。あたたかなる物、やはらかなる物、よく熟したる物、ねばりなき物、味淡くかろき物、にえばなの新に熟したる物、きよき物、新しき物、香よき物、性平和なる物、五味の偏ならざる物、これ皆、脾胃の好む物なり。これ、脾胃の養となる。くらふべし。

【胃が嫌う物は、……。】(347)

 脾胃のきらふ物は生しき物、こはき物、ねばる物、けがらはしく清からざる物、くさき物、煮ていまだ熟せざる物、煮過して*(にえばな)を失へる物、煮て久しくなるもの、菓(このみ)のいまだ熟せざる物、ふるくして正味を失なへる物、五味の偏なる物、あぶら多くして味おもきもの、これ皆、脾胃のきらふ物也。これをくらへば脾胃を損ず。食ふべからず。

【下痢を続けると短命になっちゃう】(348)

 酒食を過し、或は時ならずして飲食し、生冷の物、性あしく病をおこす物をくひて、しばしば泄瀉すれば、必ず胃の気へる。久しくかさなりては、元気衰へて短命なり。つゝしむべし。

【塩・酢・辛いものは食べちゃいけない】(349)

 塩と酢と辛き物と、この三味を多く食ふべからず。この三味を多くくらひ、渇きて湯を多くのめば、湿を生じ、脾をやぶる。湯・茶・羹多くのむべからず。右の三味をくらつて大にかはかば葛の粉か天花粉を熱湯にたてゝ、のんで渇をとゞむべし。多く湯をのむことをやめんがためなり。葛などのねば湯は気をふさぐ。

【腹がいっぱいになったら、げっぷをするのもよい】(350)

 酒食の後、酔飽せば、天を仰で酒食の気をはくべし。手を以て面及腹・腰をなで、食気をめぐらすべし。

【食後には軽い運動、そしてじっとしていない】(351)

 わかき人は食後に弓を射、鎗、太刀を習ひ、身をうごかし、歩行すべし。労動を過すべからず。老人もその気体に応じ、少労動すべし。案(おしまずき)によりかゝり、一処に久しく安坐すべからず。気血を滞らしめ、飲食消化しがたし。

【胃腸の弱い人や老人は、餅・団子・饅頭などはダメ】(352)

 脾胃虚弱の人、老人などは、*(もち)・*(だんご)・饅頭(まんじゅう)などの類、堅くして冷たる物くらふべからず。消化しがたし。つくりたる菓子、生菓子の類くらふこと斟酌すべし。おりにより、人によりて甚害あり。晩食の後、殊にいむべし。

【寒いときに薬酒などはどうであろう】(353)

 古人、寒月朝ごとに、性平和なる薬酒を少のむべし。立春以後はやむべしといへり。人により宜かるべし。焼酒(しょうちゅう)にてかもしたる薬酒は用ゆべからず。

【肉や果物は少なめに!】(354)

 肉は一臠を食し、菓(くだもの)は一顆(ひとつぶ)を食しても、味をしることは肉十臠を食し、菓百顆を食したると同じ。多くくひて胃をやぶらんより、少なくひてその味をしり、身に害なきがまされり。

【水は清潔で甘いのがよい】(355)

 水は清く甘きを好むべし。清からざると味悪しきとは用ゆべからず。郷土の水の味によって、人の性(うまれつき)かはる理なれば、水は尤ゑらぶべし。また悪水のもり入たる水、のむべからず。薬と茶を煎ずる水、尤よきをゑらぶべし。

【雨水や雪水はよく、屋根漏れ水やたまり水はダメ】(356)

 天よりすぐに下る雨水は性よし、毒なし。器にうけて薬と茶を煎ずるによし。雪水は尤よし。屋漏(あまだり)の水、大毒あり。たまり水はのむべからず。たまり水の地をもり来る水ものむべからず。井のあたりに、汚濁のたまり水あらしむべからず。地をもり通りて井に入る甚いむべし。

【体温くらいの湯冷ましがよい】(357)

 湯は熱きをさまして、よきころの時のむはよし。半沸きの湯をのめば腹はる。

【胃腸の中がいっぱいにならないほうが元気が巡る】(358)

 食すくなければ、脾胃の中に空処ありて、元気めぐりやすく、食消化しやすくして、飲食する物、皆身の養となる。これを以て病少なくして身つよくなる。もし食多くして腹中にみつれば、元気のめぐるべき道をふさぎ、すき間なくして食消せず。これを以てのみくふ物、身の養とならず、滞りて元気の道をふさぎ、めぐらずして病となる。甚しければもだえて死す。これ食過て腹にみち、気ふさがりて、めぐらざる故也。食後に病おこり、或頓死するはこの故也。

凡そ大酒・大食する人は、必ず短命なり。早くやむべし。かへすがへす老人は腸胃よはき故に、飲食にやぶられやすし。多く飲食すべからず。おそるべし。

【過食で死ぬこともある】(359)

 およそ人の食後に俄にわづらひて死ぬるは、多くは飲食の過て、飽満し、気をふさげばなり。初まづ生薑に塩を少加えてせんじ、多く飲しめて多く吐しむべし。その後食滞を消し、気をめぐらす薬を与ふべし。卒中風として、蘇合円・延齢丹など与ふべからず。あしゝ。

また少にても食物を早く与ふべからず。殊ねばき米湯など、与ふべからず。気弥(いよいよ)塞りて死す。一両日は食をあたへずしてよし。この病は食傷なり。世人多くはあやまりて卒中風とす。その治応ぜず。

【腹が減ったり喉が渇いても、いっぺんに大食い・大飲みはダメ】(360)

 うえて食し、かはきて飲むに、飢渇にまかせて、一時に多く飲食すれば、飽満して脾胃をやぶり、元気をそこなふ。飢渇の時慎むべし。また飲食いまだ消化せざるに、またいやかさねに早く飲食すれば、滞りて害となる。よく消化して後、飲食を好む時のみ食ふべし。この如くすれば、飲食皆養となる。

【老人や子供は、いつも温かいものを食べるのがよい】(361)

 四時老幼ともに、あたたかなる物くらふべし。殊に夏月は伏陰内にあり。わかく盛なる人も、あたたかなる物くらふべし。生冷を食すべからず。滞やすく泄瀉しやすし。冷水多く飲むべからず。

【夏に瓜などや冷たい麺類を多く食べると、秋になってから患う】(362)

 夏月、瓜菓・生菜多く食ひ、冷麪をしばしば食し、冷水を多く飲めば、秋必瘧痢を病む。凡そ病は故なくしてはおこらず。かねてつゝしむべし。

【食後には湯茶で口を漱ぐ】(363)

 食後に湯茶を以て口を数度すゝぐべし。口中清く、牙歯にはさまれる物脱し去る。牙杖にてさすことを用ひず。夜は温なる塩茶を以て口をすゝぐべし。牙歯堅固になる。口をすゝぐには中下の茶を用ゆべし。これ、東坡が説なり。

【よその土地に行ったとき】(364)

 人、他郷にゆきて、水土かはりて、水土に服せず、わづらふことあり。先ず豆腐を食すれば脾胃調(ととのい)やすし。これ、時珍が『食物本草』の注に見えたり。

【肉食をしない人は長命、魚肉を多く食べると短命】(365)

 山中の人、肉食ともしくて、病少なく命長し。海辺、魚肉多き里にすむ人は、病多くして命短し、と『千金方』にいへり。

【温かい朝粥を食べれば唾が出てよい】(366)

 朝早く、粥を温に、やはらかにして食へば、腸胃をやしなひ、身をあたため、津液を生ず。寒月尤よし。これ、張来が説也。

【香りを付け、悪臭を消し、毒を去って、食欲を増すものがある】(367)

 生薑、胡椒、山椒、蓼、紫蘇、生蘿蔔(だいこん)、生葱(ひともじ)など、食の香気を助け、悪臭を去り、魚毒を去り、食気をめぐらすために、その食品に相宜しからき物を、少づゝ加へて毒を殺すべし。多く食すべからず。辛き物多ければ気をへらし、上升し、血液をかはかす。

【食事のときには、最初おかずを食べないほうがよい】(368)

 朝夕飯を食するごとに、初一椀は羹ばかり食して、*(さい)を食せざれば、飯の正味をよく知りて、飯の味よし。後に五味の*(さい)を食して、気を養なふべし。初より*(さい)をまじえて食へば、飯の正味を失なふ。後に*(さい)を食へば、*(さい)多からずしてたりやすし。これ身を養ふによろしくて、また貧に処(す)るによろし。

魚鳥・蔬菜の*(さい)を多く食はずして、飯の味のよきことを知るべし。菜肉多くくらへば、飯のよき味はしらず。貧民は*(さい)肉ともしくして、飯と羹ばかり食ふ故に、飯の味よく食滞の害なし。

【寝るときに食べ物が消化できていないと痰が出るので注意!】(369)

 臥にのぞんで食滞り、痰ふさがらば、少(すこし)消導の薬をのむべし。夜臥して痰のんどにふさがるはおそるべし。

【昼間は間食をしないほうがよろしい】(370)

 日短き時、昼の間、点心(てんじん)食ふべからず。日永き時も、昼は多食はざるが宜し。

【晩食は朝食より少なめに】(371)

 晩食は朝食より少なくすべし。*(さい)肉も少きに宜し。

【煮た物は柔らかくして食べる】(372)

 一切の煮たる物、よく熱して柔なるを食ふべし。こはき物、未熟物、煮過して*(にえばな)を失へる物、心にかなはざる物、食ふべからず。

【客になったときのゴージャスな食卓に注意!】(373)

 我が家にては、飲食の節慎みやすし、他の饗席にありては烹調・生熱の節我心にかなはず。*(さい)品多く過やすし。客となりては殊に飲食の節つつしむべし。

【食後には激しい運動をしてはいけない】(374)

 飯後に力わざすべからず。急に道を行べからず。また、馬をはせ、高きにのぼり、険路に上るべからず。


(巻第四)

飲食下

【蘇東坡の意見】(401)

 東坡(とうば)日(く)、「早晩の飲食一爵一肉に過す。尊客あれば之を三にす。へらすべくして、ますべからず。我をよぶ者あればこれを以てつぐ。一に日(く)、分を安すんじて以て福を養なふ。二に日(く)、胃を寛(ゆる)くして以て気を養なふ。三に日(く)、費(ついえ)をはぶきて以て財を養なふ」。東坡がこの法、倹約養生のため、ともにしかるべし。

【朝夕とも副品は一つでよいという意見】(402)

 朝夕一*(さい)を用ゆべし。その上に醤(ひしお)か肉醢(ししびしお)か或(あるいは)*(つけもの)か一品を加ふるもよし。あつものは、富める人も常に只一なるべし。客に饗するに二用るは、本汁、もし心に叶はずば、二の汁を用させん為也。常には無用の物也。

唐の高侍郎と云し人、兄弟あつものと肉を二にせず、朝夕一品のみ用ゆ。晩食には只蔔匏(ふくほう)をくらふ。大根と夕がほとを云。范忠宣と云し富貴の人、平生肉をかさねず。その倹約養生二ながら則とすべし。

【味の優れた野菜は他の物と一緒に煮ない】(403)

 松蕈、竹筍、豆腐など味すぐれたる野菜は、只一種煮食すべし。他物と両種合わせ煮れば、味おとる。李笠翁が『閑情萬寄』にかくいへり。「味あしければ腸胃に相応せずして養とならず」。

【餅と団子の食べ方】(404)

 *(もち)・餌(だんご)の新に成て、再び煮ずあぶらずして、即食するは消化しがたし。むしたるより、煮たるがやはらかにして、消化しやすし。'もち'は数日の後、焼煮て食ふに宣し。

【朝夕の食事、何れかを淡泊に】(405)

 朝食、肥濃の物ならば、晩食は必ず淡薄に宣し。晩食豊腴(ほうゆ)ならば、明朝の食はかろくすべし。

【新鮮なものを食べるのがよい】(406)

 諸の食物、陽気の生理ある新きを食ふべし。毒なし。日久しく歴(へ)たる陰気欝滞(うったい)せる物、食ふべからず。害あり。煮過して*(にえばな)を失へるも同じ。

【陽気を失って陰気になったものは食べてはいけない】(407)

 一切の食、陰気の欝滞せる物は毒あり。くらふべからず。(『論語』)郷党篇(きょうとうへん)にいへる、聖人の食し給はざる物、皆、陽気を失て陰物となれるなり。穀肉などふたをして時をへるは、陰鬱の気にて味を変ず。魚鳥の肉など久しく時をへたる、また、塩につけて久しくして、色臭(か)味変ず。これ皆陽気を失へる也。菜蔬(さいそ)など久しければ、生気を失ひて味変ず。この如くなるは皆陰物なり。腸胃に害あり。また、害なきも補養をなさず。

水など新に汲むは陽気さかんにて、生気あり。久しきを歴(ふ)れば陰物となり、生気を失なふ。一切の飲食、生気を失ひて、味と臭(か)と色と少にても、かはりたるは食ふべからず。ほして色かはりたると、塩に浸して不損とは、陰物にあらず食ふに害なし。然共、乾物の気のぬけたると、塩蔵の久して、色臭(か)味変じたるも皆陰物也。食ふべからず。

【夏に蓋をしておいたもの、冬に霜に当たった野菜はダメ】(408)

 夏月、暑中にふたをして、久しくありて、熱気に蒸欝(むしうつ)し、気味悪しくなりたる物、食ふべからず。冬月、霜に打れたる菜、また、のきの下に生じたる菜、皆くらべからず。これ皆陰物なり。

【瓜は暑いときだけ食べるべし】(409)

 瓜は風涼の日、及秋月清涼の日、食ふべからず。極暑の時食ふべし。

【あぶり餅・あぶり肉は熱湯に漬けてから食べる】(410)

 炙*(あぶりもち)・炙肉すでに炙りて、また、熱湯に少ひたし、火毒を去りて食ふべし。然れずは津液(しんえき)をかはかす。また、能喉痺(よくこうひ)を発す。

【茄子に関する注意】(411)

 茄子、本草等の書に、性好まずと云。生なるは毒あり、食ふべからず。煮たるも瘧痢(ぎゃくり)傷寒(しょうかん)などには、誠に忌むべし。他病には、皮を去切(さりきり)て米*(しろみず)に浸し、一夜か半日を歴(へ)てやはらかに煮て食す。害なし。葛粉、水に溲(こね)て、切て線条(せんじょう)とし、水にて煮、また、*汁(みそしる)に鰹魚(かつお)の末(まつ)を加へ、再び煮て食す。瀉を止め、胃を補ふ。保護に益あり。

【胃弱の人はダイコン・ニンジン・イモ・ゴボウなどがよい】(412)

 胃虚弱の人は、蘿蔔(だいこん)、胡蘿蔔(にんじん)、芋、薯蕷(やまのいも)、牛蒡(ごぼう)などうすく切てよく煮たる、食ふべし。大にあつくきりたると、煮ていまだ熟せざると、皆、脾胃(ひい)をやぶる。一度うすみそか、うすじょうゆにて煮、その汁にひたし置、半日か、一夜か間置て、再び前の汁にて煮れば、大に切りたるも害なし、味よし。鶏肉、野猪(やちょ)肉などもこの如くすべし。

【ダイコンは野菜の王様】(413)

 蘿蔔は菜中の上品也。つねにに食ふべし。葉のこはきをさり、やはらかなる葉と根と、豆*(二文字で「みそ」)にて煮熟して食ふ。脾を補ひ痰(たん)を去り、気をめぐらす。大根の生しく辛きを食すれば、気へる。然ども食滞ある時、少食して害なし。

【菜についての誤り】(414)

 菘(な)は京都のはたけ菜水菜、いなかの京菜也。蕪(かぶ)の類也。世俗あやまりて、ほりいりなと訓ず。味よけれども性よからず。仲景曰く、「薬中に甘草ありて、菘を食へば病除かず。根は九十月のころ食へば、味淡くして可也。うすく切てくらふべし、あつく切たるは気をふさぐ。十一月以後、胃虚の人くらへば滞塞(たいそく)す」。

【あぶったり熱湯にとおして食べたほうがよいもの】(415)

 諸菓、寒具(ひがし)など、炙(あぶり)食へば害なし。味も可也。甜瓜(あまうり)は核(さね)を去て蒸食す。味よくして胃をやぶらず。熟柿も木練も皮共に、熱湯にてあたヽめ食すべし。乾柿(ほしがき)はあぶり食ふべし。皆、脾胃虚の人に害なし。梨子(なし)は大寒なり。蒸煮て食すれば、性やはらぐ。胃虚寒の人は、食ふべからず。

【病気によって食べて悪いものがある。妊娠中は注意!】(416)

 人は病症によりて禁宣(きんぎ)の食物各(おのおの)かはれり。よくその物の性を考がへ、その病に随ひて精(くわ)しく禁宣を定むべし。また、婦人懐胎(かいたい)の間、禁物多し。かたく守らしむべし。

【豆腐に関する注意】(417)

 豆腐には毒あり。気をふさぐ。されども新しきをにて、*(にえばな)を失はざる時、早く取あげ、生**(なまだいこん)のおろしたるを加へ食すれば害なし。

【前の食事が未消化のまま後の食事をしてはいけない】(418)

 前食未だ消化せんば、後食相つぐべからず。

【薬や補薬を飲むときは、甘い物や脂っこい物などを避ける】(419)

 薬を服す時、あまき物、油膩(ゆに)の物、獣の肉、諸菓、*(もち)、餌(だんご)、生冷の物、一切気を塞ぐ物、食うべからず。服薬の時多食へば薬力とヾこほりて力なし。酒は只一盞(さん)に止るべし。補薬を服する日、ことさらこの類いむべし。凡そ薬を服する日は、淡き物を食して薬力をたすくすべし、味こき物を食して薬力を損ずべからず。

【ダイコン・ニンジン・カボチャなど甘い野菜は小さく切る】(420)

 **(だいこん)、菘、薯蕷(やまのいも)、芋、慈姑(くわい)、胡蘿蔔(にんじん)、南瓜(ぼぶら)、大葱白(ひともじのしろね)等の甘き菜は、大に切て煮食すれば、つかへて気をふさぎ、腹痛す。薄く切べし。或(あるいは)辛き物をくはへ、また、物により酢を少(すこし)加るもよし。再び煮ることを右に記せり。

また、この如きの物、一時に二三品くらふべからず。また、甘き菜の類、およそつかえやすき物、つヾけ食ふべからず。生魚、肥肉、厚味の物つづけ食ふべからず。

【ショウガに関する風聞】(421)

 薑(はじかみ)を八九月食へば、来春眼をうれふ。

【豆腐・蒟蒻など醤油で似たものを冷えてから食べてはダメ】(422)

 豆腐、菎蒻(こんにゃく)、薯蕷(やまのいも)、芋、慈姑(くわい)、蓮根などの類、豆油(しょうゆ)にて煮たるもの、既に冷へて温ならざるは食ふべからず。

【明け方に腹の具合が悪いときは朝食を減らす。酒はダメ】(423)

 暁のころ、腹中鳴動し、食つかへて腹中不快ば、朝食を減ずべし。気をふさぐ物、肉、菓など食ふべからず。酒を飲べからず。

【酒気が残っているときは、餅・団子などを食べてはいけない】(424)

 飲酒の後、酒気残らば、*(もち)、餌(だんご)、諸穀食、寒具(ひがし)、諸菓、醴(あまざけ)、*(にごりざけ)、油膩(ゆに)の物、甘き物、気をふさぐ物、飲食すべからず。酒気めぐりつきて後、飲食すべし。

【固い肉やダイコンは煮ておいて、そのまま煮直すとよい】(425)

 鳥獣のこはき肉、前日より豆油(しょうゆ)及び*汁(みそしる)を以て煮て、その汁を用ひて翌日再び煮れば、大に切たるも、やはらかになりて味よし。つかえず。蘿蔔(だいこん)もまた同じ。

【鶻突羹は病人にもよい】(426)

 鶻突羹(こつとつこう)は鮒魚(ふな)をうすく切て、山椒などくはへ、味噌にて久しく煮たるを云。脾胃(ひい)を補ふ。脾虚(ひきょ)の人、下血(げけつ)する病人などに宣し。大に切たるは気をふさぐ、あしヽ。

【果物の種で未成熟なものには毒がある】(427)

 凡そ諸菓の核(さね)いまだ成ざるをくらふべからず、菓(このみ)に双仁(そうじん)ある物、毒あり。山椒、口をとぢて開かざるは、毒あり。

【怒ったり心配をして食事をしてはいけない】(428)

 怒(いかり)の後、早すべからず。食後、怒るべからず。憂ひて食すべからず。食して憂ふべからず。

【腹が空になってから食事をする】(429)

 腹中の食いまだ消化せざるに、また食すれば、性よき物も毒となる。腹中、空虚になりて食すべし。

【夜長の寒いときは飲食の量を減らす】(430)

 永夜、寒甚(はなはだし)き時、もし夜飲食して寒を防ぐに宣しくば、晩饌(ばんせん)の酒飯を、数口減ずべし。また、やむことを得ずして、人の招に応じ、夜話に、人の許(もと)にゆきて食客とならば、晩*(ばんせん)の酒食をかさねて減ずべし。この如くにして、夜少飲食すればやぶれなし。夜食は、朝晩より進みやすし。心に任せて恣(ほしいまま)にすべからず。

【塩分を減らすと水分を多く飲まず、胃の調子がよい】(431)

 朝夕の食、塩味をくらふことすくなければ、のんどかはかず、湯茶を多くのまず。脾に湿を生ぜずして、胃気発生しやすし。

【中華・朝鮮の人よりも日本人は胃が弱い】(432)

 中華、朝鮮の人は、脾胃つよし。飯多く食し、六蓄の肉を多く食つても害なし。日本の人はこれにことなり、多く穀肉を食すれば、やぶられやすし。これ日本人の異国の人より体気(たいき)よはき故也。

【空腹のとき生の果物はダメ】(433)

 空腹に、生菓食ふべからず。つくり菓子、多く食ふべからず。脾胃の陽気を損ず。

【疲れたときに多く食べると眠くなり、食気がふさがってしまう】(434)

 労倦(ろうけん)して多く食すれば、必ず眠り臥すことをこのむ。食して即臥(そくが)し、ねむれば、食気塞りてめぐらず、消化しがたくして病となる。故に労倦したる時は、くらふべからず。労をやめて後、食ふべし。食してねむらざるがため也。

【百病の早死には飲食によることが多い】(435)

 『古今医統』(ここんいとう)に、「百病の横夭(おうよう)は多く飲食による。飲食の患(うれい)は色欲に過たり」といへり。色慾は楢も絶べし。飲食は半日もたつべからず。故飲食のためにやぶらるヽこと多し。食多ければ積聚(しゃくじゅ)となり、飲多ければ痰癖(たんぺき)となる。

【病人の欲しがるものについての注意】(436)

 病人の甚食せんことをねがふ物あり。くらひて害に成食物、また、冷水などは願に任せがたし。然共(しかれども)病人のきはめてねがふ物を、のんどにのみ入ずして、口舌に味はヽしめてその願を達するも、志を養ふ養生の一術也。およそ飲食を味はひてしるは舌なり。のんどにあらず。口中にかみて、しばしふくみ、舌に味はひて後は、のんどにのみこむも、口に吐出すも味をしることは同じ。穀、肉、酒、羹、酒は、腹に入て臓腑(ぞうふ)を養なふ。

この外の食は、養のためにあらず。のんどにのまず、腹に入らずとも有なん。食して身に害ある食物といへど、のんどに入(いら)ずして口に吐出せば害なし。冷水も同じ。久しく口にふくみて舌にこヽろみ、吐出せば害なし。水をふくめば口中の熱を去り、牙歯(がし)を堅くす。然共、むさぼり多くしてつヽしまざる人には、この法は用がたし。

【多く食べてはいけないもの】(437)

 多く食べてはいけない物。諸の*(もち)、餌(だんご)、*(ちまき)、寒具(ひがし)、冷麪、麪類、饅頭、河濡(そばきり)、砂糖、醴(あまざけ)、焼酒、赤小豆(あずき)、酢、豆油(しょうゆ)、*魚(ふな)、泥鰌(どじょう)、蛤蜊(はまぐり)、鰻*魚(うなぎ)、鰕(えび)、章魚(たこ)、烏賊(いか)、鯖(さば)、鰤魚(ぶり)、**(しおから)、海鰌(くじら)、生**(なまだいこん)、胡蘿蔔(にんじん)、薯蕷(やまのいも)、菘根(な)、蕪菁(かぶら)、油膩(ゆに)の物、肥濃(ひのう)の物。

【老人や体の弱い人が食べてはいけないもの】(438)

 老人、虚人、物、一切生冷の物、堅硬の物、稠黏(ちゅうねん)の物、油膩(ゆに)の物、冷麪、冷てこはき*(もち)、餌(だんご)、粽(ちまき)、冷饅頭、并(ならびに)皮、糯飯(こわいい)、生味噌、醴(あまざけ)の製法好(よ)からざると、冷なると。海鰌(くじら)、海鰮(いわし)、鮪(しび)、梭魚(かます)、諸生菓、皆脾胃(ひい)発生の気をそこなふ。

【誰もが食べてはいけないもの】(439)

 凡(すべて)の人、食ふべからざる物、生冷の物、堅硬の物、未だ熟せぬ物、ねばき物、ふるくして気味の変じたる物、製法心に叶はざる物、塩からき物、酢の過たる物、*(にえばな)を失へる物、臭(か)悪き物、色悪き物、味変じたる物、魚餒(あざれ)、肉敗たる、豆腐の日をへたると、味悪しきと、*(にえばな)を失へると、冷たると、索麪(そうめん)に油あると、諸品煮て未だ熟せずと、灰(あく)有る酒、酸味ある酒、いまだ時ならずして熟せざる物、すでに時過たる物、食ふべからず。

夏月、雉(きじ)食ふべからず。魚鳥の皮こはき物、脂(あぶら)多き物、甚なまぐさき物、諸魚二目同じからざる物、腹下に丹の字ある物、諸鳥みづから死して足伸ざる物、諸獣毒箭(どくや)にあたりたる物、諸鳥毒をくらつて死したる物、肉の脯(ほじし)、屋濡水(あまだりみず)にぬれたる物、米器の内に入置たる肉、肉汁を器に入置て、気をとじたる物、皆毒あり。肉の脯(ほじし)、並塩につけたる肉、夏をへて臭味(しゅうみ)悪しき、皆食ふべからず。

【中国には食医という役職があった】(440)

 いにしへ、もろこしに食医の官あり。食養によつて百病を治すと云。今とても食養なくんばあるべからず。殊(ことに)老人は脾胃よはし、尤(もつとも)食養宣しかるべし。薬を用(もちう)るは、やむことを得ざる時の事也。

【食い合わせの具体例】(441)

 同食(くいあわせ)の禁忌多し、その要(おも)なるをこヽに記す○猪(ぶた)肉に、生薑(しょうが)、蕎麦(そば)、こすい(胡すい)(4410)、炊豆(いりまめ)、梅、牛肉、鹿(ろく)肉、鼈(すっぽん)、鶴、鶉(うずら)をいむ○牛肉に黍(きび)、韮(にら)、生薑、栗子をいむ○兎肉に生薑、橘皮、芥子(からし)、鶏、鹿(しし)、獺(かわうそ)○鹿に生菜、鶏、雉(きじ)、鰕(えび)をいむ○鶏肉と鶏子(たまご)とに芥子(からし)、蒜(にんにく)、生葱、糯米(もちごめ)、李子(すもも)、魚汁、鯉(こい)魚、兎、獺、鼈、雉を忌(いむ)○雉肉に蕎麦、木耳(きくらげ)、胡桃(くるみ)、鮒、鮎魚(なまず)、をいむ○野鴨(かも)に胡桃(くるみ)、木耳(きくらげ)をいむ○鴨子(あひるのたまご)に、李子、鼈肉○雀肉(すずめ)に李子、醤(ひしお)○鮒に芥子、蒜(にら)、*(あめ)、鹿、芹(せり)、鶏、雉○魚酢(うおのすし)に麦醤(むぎひしお)、蒜(にんにく)、緑豆(ぶんどう)○鼈(すっぽん)肉に*(ひゆ)菜、芥子(からし)菜、桃子(もも)鴨(あひる)肉○蟹に柿、橘、棗(なつめ)○李子に蜜を忌(いむ)○橙、橘に獺(かわうそ)肉○棗に葱(ひともじ)○枇杷(びわ)に熱麪○楊梅(やまもも)に生葱(ねぎ)○銀杏(ぎんなん)に鰻*(うなぎ)○諸瓜に油餅○黍(きび)米に蜜○緑豆(ぶんどう)に榧子(かや)を食し合すれば人を殺す○*(ひゆ)に蕨(わらび)○乾筍(かんじゅん)に砂糖○紫蘇茎葉と鯉魚(こい)○草石蠶(ちょうろぎ)と諸魚○魚鱠(なます)と瓜、冷水○菜瓜と魚鱠と一にすべからず○鮓(すし)肉に髪有るは人を害す○麦醤、蜂蜜と同食すべからず○越瓜(しろうり)と鮓肉○酒後に茶を飲べからず腎をやぶる○酒後芥子及辛き物を食へば筋骨を緩くす○茶と榧(かや)と同時に食へば、身重し○和俗の云、蕨粉(わらびこ)を餅とし緑豆を'あん'にして食へば、人殺す。

また曰う、*魚(このしろ)を、木棉子(わたざね)の火にて、やきて食すれば人を殺す。また曰う、胡椒(こしょう)と沙菰米(さごべ)と同食すれば人を殺す。また胡椒と桃、李、楊梅(やまもも)同食すべからず。また曰う、松簟(まつたけ)を米を貯(たくわえ)る器中に入おけるを食ふべからず。また曰う、南瓜(ぼぶら)を、魚膾(なます)に合せ食すべからず。

【薬とマッチしない食べ物】(442)

 黄*(おうぎ)を服する人は、酒を多くのむべからず。甘草(かんぞう)を服する人は、菘菜(な)を食ふべからず。地黄(ぢおう)を服するには、蘿蔔(だいこん)、蒜(にんにく)、葱(ひともじ)の三白をいむ。菘(な)は忌(いま)ず。荊芥(けいがい)を服するには生魚をいむ。土茯苓(さんきらい)を服するには茶をいむ。凡そ、この如き類はかたく忌むべし。薬と食物とのおそれいむは、自然の理なり。番木*(まちん)の鳥を殺し、磁石の針を吸の類も、皆天然の性也。この理疑ふべからず。

【穢らわしい食べ物?】(443)

 一切の食物の内、園菜(そののな)、極めて穢(けがら)はし。その根葉に久しくそみ入たる糞汚(ふんお)、にはかに去がたし、水桶を定め置、水を多く入て菜をひたし、上におもりをおき、一夜か一日か、つけ置取出し、印子(はけ)を以てその根葉茎をすり洗ひ、清くして食すべし。

この事、近年、李笠翁(りりゅうおう)が書に見えたり。もろこしには、神を祭るに園菜を用ひずして、山菜水菜を用ゆ。園菜も、瓜、茄子(なすび)、壺盧(ゆうがお)、冬瓜(とうが)などはけがれなし。


飲酒

【酒は少し飲めば美禄、多く飲めば短命】(444)

 酒は天の美禄なり。少のめば陽気を助け、血気をやはらげ、食気をめぐらし、愁(うれい)を去り、興を発して、甚人に益あり。多くのめば、またよく人を害すること、酒に過たる物なし。水火の人をたすけて、またよく人に災あるが如し。邵尭夫(しょうぎょうふ)の詩に、「美酒を飲て微酔せしめて後」、といへるは、酒を飲の妙を得たりと、時珍(じちん)いへり。少のみ、少酔へるは、酒の禍なく、酒中の趣を得て楽多し。

人の病、酒によって得るもの多し。酒を多くのんで、飯を少なく食ふ人は、命短し。かくのごとく多くのめば、天の美禄を以て、却て身をほろぼす也。かなしむべし。

【酒は少し飲めば益多く、多く飲めば損多し】(445)

 酒を飲には、各(おのおの)人によつてよき程の節あり。少のめば益多く、多くのめば損多し。性謹厚なる人も、多飲を好めば、むさぼりてみぐるしく、平生の心を失ひ、乱に及ぶ。言行ともに狂せるがごとし。その平生とは似ず、身をかへり見慎むべし。若き時より早くかへり見て、みずから戒しめ、父兄もはやく子弟を戒(いまし)むべし。久しくならへば性となる。癖になりては一生改まりがたし。

生れ付て飲量すくなき人は、一二盞(さん)のめば、酔て気快く楽(たのしみ)あり。多く飲む人とその楽同じ。多飲するは害多し。白楽天が詩に、「一飲一石の者。徒に多を以て貴しと為す。その酩酊の時に及て。我与また異ること無し。笑て謝す多飲の者。酒銭徒に自ら費す」といへるはむべ也。

【食後の酒がよく、空きっ腹の酒は害がある】(446)

 凡そ、酒はただ朝夕の飯後にのむべし。昼と夜と空腹に飲べからず。皆害あり。朝間空腹にのむは、殊更脾胃をやぶる。

【温かい酒がよく、冷やしたり熱するのはダメ】(447)

 凡そ酒は夏冬ともに、冷飲熱飲に宣しからず。温酒をのむべし。熱飲は気升(のぼ)る。冷飲は痰をあつめ、胃をそこなふ。丹渓は、酒は冷飲に宣しといへり。然れ共多くのむ人、冷飲すれば脾胃を損ず。少飲む人も、冷飲すれば、食気を滞らしむ。凡そ酒をのむは、その温気をかりて、陽気を助け、食滞をめぐらさんがため也。冷飲すれば二の益なし。温酒の陽を助け、気をめぐらすにしかず。

【燗冷ましの酒を飲んではいけない】(448)

 酒をあたヽめ過して じん を失へると、或温めて時過、冷たると、二たびあたヽめて味の変じたると、皆脾胃をそこなふ。のむべからず。

【酒を勧めるときの作法】(449)

 酒を人にすヽむるに、すぐれて多く飲む人も、よき程の節をすぐせばくるしむ。若(もし)その人の酒量をしらずんば、すこししひて飲しむべし。その人辞してのまずんば、その人にまかせて、みだりにしひずして早くやむべし。量にみたず、少なくて無興(ぶきょう)なるは害なし。すぎては必ず人に害あり。客に美饌を饗しても、みだりに酒をしひて苦ましむるは情なし。大に酔しむべからず。

客は、主人しひずとも、つねよりは少多くのんで酔べし。主人は酒を妄(みだり)にしひず。客は、酒を辞せず。よき程にのみ酔て、よろこびを合せて楽しめるこそ、これ宣しかるべけれ。

【どぶろくと甘酒はダメ】(450)

 市にかふ酒に、灰を入たるは毒あり。酸味あるも飲べからず。酒久しくなりて味変じたるは毒あり。のむべからず。濁酒のこきは脾胃に滞り、気をふさぐ。のむべからず。醇酒の美なるを、朝夕飯後に少のんで、微酔すべし。醴酒(れいしゅ)は製法精(くわし)きを少熱飲すれば、胃を厚くす、悪しきを冷飲すべからず。

【酒を多く飲む人は短命】(451)

 『五湖漫聞』(ごこまんぶん)といへる書に、多く長寿の人の姓名と年数を載て、「その人皆老に至て衰ず。之問ふ皆酒を飲まず」といへり。今わが里の人を試みるに、すぐれて長寿の十人に九人は皆酒を飲ず人なり。酒を多く飲む人の長寿なるはまれなり。酒は半酔にのめば長生の薬となる。

【酒を飲むときに甘いものはいけない……】(452)

 酒をのむに、甘き物をいむ。また、酒後辛き物をいむ。人の筋骨をゆるくす。酒後焼酒をのむべからず。或一時に合のめば、筋骨をゆるくし煩悶す。

【焼酎は大毒。熱湯を飲むのもいけない】(453)

 焼酒(しょうちゅう)は大毒あり、多く飲べからず。火を付てもえやすきを見て、大熱なることを知るべし。夏月は、伏陰内にあり、また、表ひらきて酒毒肌に早くもれやすき故、少のんでは害なし。他月はのむべからず。焼酒にて造れる薬酒多く呑べからず、毒にあてらる。薩摩のあはもり、肥前の火の酒、猶、辛熱甚し。異国より来る酒、のむべからず、性しれず、いぶかし。焼酒をのむ時も、のんで後にも熱物を食すべからず。辛き物焼味噌など食ふべからず。

熱湯のむべからず。大寒の時も焼酒をあたヽめ飲べからず。大に害あり。京都の南蛮酒も焼酒にて作る。焼酒の禁(いましめ)と同じ。焼酒の毒にあたらば、緑豆(ぶんどう)粉、砂糖、葛粉、塩、紫雪など、皆冷水にてのむべし。温湯をいむ。


飲茶 烟草附

【茶について】(454)

 茶、上代は なし。中世もろこしよりわたる。その後、玩賞して日用かくべからざる物とす。性冷にして気を下し、眠をさます。陳臓器は、久しくのめば痩てあぶらをもらすといへり。母*(ぼけい)、東坡(とうば)、李時珍など、その性よからざることをそしれり。然ども今の世、朝より夕まで、日々茶を多くのむ人多し。のみ習へばやぶれなきにや。冷物なれば一時に多くのむべからず。

抹茶は用る時にのぞんでは、炊(い)らず煮ず、故につよし。煎茶は、用る時炒て煮る故、やはらかなり。故につねには、煎茶を服すべし。飯後に熱茶少のんで食を消し、渇をやむべし。塩を入てのむべからず。腎をやぶる。空腹に茶を飲べからず。脾胃を損ず。濃茶は多く呑べからず。発生の気を損ず。唐茶は性つよし。製する時煮ざればなり。虚人病人は、当年の新茶、のむべからず。眼病、上気、下血、泄瀉(せつしゃ)などの患(うれい)あり。正月よりのむべし。

人により、当年九十月よりのむも害なし。新茶の毒にあたらば、香蘇散、不換金、正気散、症によりて用ゆ。或白梅、甘草、砂糖、黒豆、生薑(しょうが)など用ゆべし。

【茶と酒は反対の作用】(455)

 茶は冷也。酒は温也。酒は気をのぼせ、茶は気を下す。酒に酔へばねむり、茶をのめばねむりさむ。その性うらおもて也。

【吸い物も茶も多く飲んではいけない】(456)

 あつものも、湯茶も、多くのむべからず。多くのめば脾胃に湿を生ず。脾胃は湿をきらふ。湯茶、あつものを飲むことすくなければ、脾胃の陽気さかんに生発して、面色光りうるはし。

【薬や茶を煎じるときは水を選ぶ】(457)

 薬と茶を煎ずるに、水をえらぶべし。清く味甘きをよしとす。雨水を用るも味よし。雨中に浄器を庭に置てとる。地水にまさる。然共これは久しくたもたず。雪水を尤(もっとも)よしとす。

【茶を煎じる方法】(458)

 茶を煎ずる法、よはき火にて炊り、つよき火にて煎ず。煎ずるに、堅き炭のよくもゆるを、さかんにたきて煎ず。たぎりあがる時、冷水をさす。この如くすれば、茶の味よし。つよき火にて炊るべからず。ぬるくやはらかなる火にて煎ずべからず。右は皆もろこしの書に出たり。湯わく時、**(よくい)の生葉を加へて煎ずれば、香味尤よし。性よし。『本草』に、「暑月煎じのめば、胃を暖め気血をます」。

【奈良の茶】(459)

 大和国中は、すべて奈良茶を毎日食す。飯に煎茶をそヽぎたる也。赤豆(あずき)、*豆(ささげ)、蚕豆(そらまめ)、緑豆、陳皮、栗子(くり)、零余子(むかご)など加へ、点じ用ゆ。食を進め、むねを開く。

【煙草は毒・損】(460)

 たばこは、近年、天正、慶長のころ、異国よりわたる。淡婆姑(たんばこ)は和語にあらず。蛮語也。近世の中華の書に多くのせたり。また、烟草と云。朝鮮にては南草と云。和俗これを莨*(ろうとう)とするは誤れり。莨*は別物なり。烟草は性毒あり。煙をふくみて眩ひ倒るヽことあり。習へば大なる害なく、少は益ありといへ共、損多し。病をなすことあり。また、火災のうれひあり。習へば癖になり、むさぼりて後には止めがたし。事多くなり、いたつがはしく家僕を労す。初よりふくまざるにしかず。貧民は費(ついえ)多し。


慎色慾

【飲食・男女は人の大欲、慎むべし】(461)

 『素問』に、「腎者五臓の本」、といへり。然らば養生の道、腎を養ふことをおもんずべし。腎を養なふこと、薬補をたのむべからず。只精気を保つてへらさず、腎気をおさめて動かすべからず。論語に曰く、わかきときは血気方(まさに)壮なり。「之を戒むること、色にあり」。聖人の戒守るべし。血気さかんなるにまかせ、色欲をほしいまゝにすれば、必ず先ず礼法をそむき、法外を行ひ、恥辱を取て面目をうしなふことあり。時過て後悔すれどもかひなし。

かねて、後悔なからんことを思ひ、礼法をかたく慎むべし。況(いわんや)精気をついやし、元気をへらすは、寿命を短くする本なり。おそるべし。年若き時より、男女の慾ふかくして、精気を多くへらしたる人は、生れ付さかんなれ共、下部の元気少なくなり、五臓の根本よはくして、必ず短命なり。つゝしむべし。飲食・男女は人の大慾なり。恣になりやすき故、この二事、尤かたく慎むべし。これをつつしまざれば、脾腎の真気へりて、薬補・食補のしるしなし。老人は、ことに脾腎の真気を保養すべし。補薬のちからをたのむべからず。

【セックスの回数】(462)

 男女交接の期(ご)は、孫思*(そんしばく)が『千金方』曰く。「人、年二十者は四日に一たび泄す。三十者は八日に一たび泄す。四十者は十六日に一拙す。五十者は二十日に一泄す。六十者は精をとぢてもらさず。もし体力さかんならば、一月に一たび泄す。気力すぐれて盛なる人、慾念をおさへ、こらへて、久しく泄さざれば、腫物を生ず。六十を過て慾念おこらずば、とぢてもらすべからず。

わかくさかんなる人も、もしよく忍んで、一月に二度もらして、慾念おこらずば長生なるべし」今案ずるに、『千金方』にいへるは、平人の大法なり。もし性虚弱の人、食少なく力よはき人は、この期にかかはらず、精気をおしみて交接まれなるべし。色慾の方に心うつれば、悪しきこと癖になりてやまず。法外のありさま、はづべし。つひに身を失ふにいたる。つつしむべし。右、『千金方』に、二十歳以前をいはざるに意あるべし。二十以前血気生発して、いまだ堅固ならず、この時しばしばもらせば、発生の気を損じて、一生の根本よはくなる。

【若くて盛んでも慎む。興奮剤などはダメ】(463)

 わかく盛なる人は、殊に男女の情慾、かたく慎しんで、過すくなかるべし。慾念をおこさずして、腎気をうごかすべからず。房事を快くせんために、烏頭付子等の熱薬のむべからず。

【成人前は慎みなさい】(464)

 『達生録』曰く、「男子、年二十ならざる者、精気いまだたらずして慾火うごきやすし」。たしかに交接を慎むべし。

【四十歳以後はいわゆる「接して漏らさず」】(465)

 孫真人が『千金方』に、房中補益説あり。「年四十に至らば、房中の術を行ふべし」とて、その説、頗(すこぶる)詳(つまびらか)なり。その大意は、四十以後、血気やうやく衰ふる故、精気をもらさずして、只しばしば交接すべし。この如くすれば、元気へらず、血気めぐりて、補益となるといへる意(こころ)なり。ひそかに、孫思*(そんしばく)がいへる意をおもんみるに、四十以上の人、血気いまだ大に衰へずして、槁木死灰の如くならず、情慾、忍びがたし。

然るに、精気をしばしばもらせば、大に元気をついやす故、老年の人に宜しからず。ここを以て、四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気をば泄すべからず。四十以後は、腎気やうやく衰る故、泄さざれども、壮年のごとく、精気動かずして滞らず。この法行ひやすし。この法を行へば、泄さずして情慾はとげやすし。然れば、これ気をめぐらし、精気をたもつ良法なるべし。四十歳以上、猶血気甚衰へざれば、情慾をたつことは、忍びがたかるべし。忍べば却て害あり。

もし年老てしばしばもらせば、大に害あり。故に時にしたがって、この法を行なひて、情慾をやめ、精気をたむつべし、とや。これによって精気をついやさずんば、しばしば交接すとも、精も気も少ももれずして、当時の情欲はやみぬべし。これ古人の教、情欲のたちがたきをおさへずして、精気を保つ良法なるべし。人身は脾胃の養を本とすれども、腎気堅固にしてさかんなれば、丹田の火蒸上げて、脾土の気もまた温和にして、盛になる故、古人の曰く、「脾を補ふは、腎を補なふにしかず」。

若年より精気ををしみ、四十以後、弥(いよいよ)精気をたもちてもらさず、これ命の根源を養なふ道也。この法、孫思*(そんしばく)後世に教へし秘訣にて、明らかに『千金方』にあらはせ共、後人、その術の保養に益ありて、害なきことをしらず。丹溪が如き大医すら、偏見にして孫真人が教を立し本意を失ひて信ぜず。この良術をそしりて曰く、「聖賢の心、神仙の骨(こつ)なくんば、未易為。もし房中を以て補とせば、人を殺すこと多からん」と、『各致余論』にいへり。

聖賢・神仙は世に難有ければ、丹溪が説の如くば、この法は行ひがたし。丹溪が説うたがふべきこと猶多し。才学高博にして、識見、偏僻なりと云うべし。

【腎気を鎮める方法】(466)

 情慾をおこさずして、腎気動かざれば害なし。若(し)情慾をおこし、腎気うごきて、精気を忍んでもらさざれば、下部に気滞りて、瘡*(そうせつ)を生ず。はやく温湯に浴し、下部をよくあたたむれば、滞れる気めぐりて、鬱滞なく、腫物などのうれひなし。この術、また知るべし。

【房室における禁止事項】(467)

 房室の戒多し。殊に天変の時をおそれいましむべし。日蝕、月蝕、雷電、大風(たいふう)、大雨、大暑、大寒、虹*(こうげい)、地震、この時房事をいましむべし。春月、雷初て声を発する時、夫婦の事をいむ。また、土地につきては、凡そ神明の前をおそるべし。日・月・星の下、神祠の前、わが父祖の神主の前、聖賢の像の前、これ皆おそるべし。且我が身の上につきて、時の禁あり。

病中・病後、元気いまだ本復せざる時、殊(ことに)傷寒、時疫、瘧疾(おこり)の後、腫物、癰疽いまだいえざる時、気虚、労損の後、飢渇の時、大酔・大飽の時、身労動し、遠路行歩につかれたる時、忿(いかり)・悲、うれひ、驚きたる時、交接をいむ。冬至の前五日、冬至の後十日、静養して精気を泄すべからず。また女子の経水、いまだ尽ざる時、皆交合を禁ず。これ天地・地祇に対して、おそれつつしむと、わが身において、病を慎しむ也。

若これを慎しまざれば、神祇のとがめ、おそるべし。男女共に病を生じ、寿を損ず。生るる子もまた、形も心も正しからず、或かたはとなる。禍ありて福なし。古人は胎教とて、婦人懐妊の時より、慎しめる法あり。房室の戒は胎教の前にあり。これ天地神明の照臨し給ふ所、尤おそるべし。わが身及妻子の禍も、またおそるべし。胎教の前、この戒なくんばあるべからず。

【オシッコを我慢してセックスしてはいけない】(468)

 小便を忍んで房事を行なふべからず。龍脳・麝香を服して房に入べからず。

【妊娠中にセックスしてはダメ】(469)

 『入門』曰く、「婦人懐胎の後、交合して慾火を動かすべからず」。

【脾腎は大切に】(470)

 腎は五臓の本、脾は滋養の源也。ここを以て、人身は脾腎を本源とす。草木の根本あるが如し。保ち養つて堅固にすべし。本固ければ身安し。


(巻第五)

五官

【心は五感の主君】(501)

 心は人身の主君也。故天君(てんくん)と云(いう)。思ふことをつかさどる。耳・目・口・鼻・形、この五は、きくと、見ると、かぐと、物いひ、物くふと、うごくと、各その事をつかさどる職分ある故に、五官と云。心のつかひ物なり。心は内にありて五官をつかさどる。よく思ひて、五官の是非を正すべし。天君を以て五官をつかふは明なり。五官を以て天君をつかふは逆なり。心は身の主なれば、安楽ならしめて苦しむべからず。五官は天君の命をうけ、各官職をよくつとめて、恣(ほしいまま)なるべからず。

【南向きの明るいところに居る】(502)

 つねに居る処は、南に向ひ、戸に近く、明なるべし。陰欝(いんうつ)にしてくらき処に、常に居るべからず、気をふさぐ。またかがやき過たる陽明の処も、つねに居ては精神をうばふ。陰陽の中にかなひ、明暗相半(なかば)すべし。甚(はなはだ)明るければ簾(すだれ)をおろし、くらければ簾をかかぐべし。

【寝るときは東枕】(503)

 臥(ふす)には必ず東首(ひがしまくら)して生気(しょうげ)をうくべし。北首(きたまくら)して死気をうくべからず。もし君父近きにあらば、あとにすべからず。

【座るときは正座】(504)

 坐するには正坐すべし。かたよるべからず。燕居(えんきょ)には安坐すべし。膝をかゞむべからず。またよりより牀几(しょうぎ)にこしかけ居れば、気めぐりてよし。中夏の人は、つねにかくのごとくす。

【器具は簡単なもの、隙間はふさぐ】(505)

 常に居る室も常に用る器も、かざりなく質朴にして、けがれなく、いさぎよかるべし。居室は風寒をふせぎ、身をおくに安からしむべし。器は用をかなへて、事かけざれば事たりぬ。華美を好めば癖となり、おごりむさぼりの心おこりて、心を苦しめ、事多くなる。養生の道に害あり。坐する処、臥す処、少もすき間あらばふさぐべし。すき間の風と、ふき通す風は、人のはだえに通りやすくして、病おこる。おそるべし。夜臥して耳辺に風の来る穴あらば、ふさぐべし。

【寝るときの姿勢、仰向きはダメ】(506)

 夜ふすには必ず側(かたわら)にそばたち、わきを下にしてふすべし。仰(あお)のきふすべからず。仰のきふせば気ふさがりて、おそはるゝことあり。むねの上に手をおくべからず。寝入て気ふさがりて、おそはれやすし。この二(ふたつ)いましむべし。

【獅子眠のすすめ】(507)

 夜ふして、いまだね入らざる間は、両足をのべてふすべし。ねいらんとする前に、両足をかがめ、わきを下にして、そばだちふすべし。これを獅子眠(ししみん)と云。一夜に五度いねかへるべし。胸腹の内に気滞らば、足をのべ、むね腹を手を以てしきりになで下し、気上る人は、足の大指を、しきりに多くうごかすべし。人によりて、かくのごとくすれば、あくびをしばしばして、滞りたる邪気を吐出すことあり。大に吐出すをいむ。ね入らんとする時、口を下にかたぶけて、ふすべからず。眠りて後よだれ出てあしし。

あふのきてふすべからず。おそはれやすし。手の両の大指をかがめ、残る四の指にて、にぎりてふせば、手むねの上をふさがずして、おそはれず。後には習となりて、眠りの内にもひらかず。この法、『病源候論』と云医書に見えたり。夜臥(ふす)時に、のどに痰あらば必ずはくべし。痰あらば眠りて後、おそはれくるしむ。老人は、夜臥す時、痰を去る薬をのむべし、と医書にいへるも、このゆへなるべし。晩食夜食に、気をふさぎ痰をあつむる物、食ふべからず。おそはれんことをおそれてなり。

【灯火を消すか暗くして、口を閉じて眠る】(508)

 夜臥に、衣を以て面をおほふべからず。気をふさぎ、気上る。夜臥に、燈をともすべからず。魂魄定まらず。もしともさば、燈をかすかにして、かくすべし。ねむるに口をとづべし。口をひらきてねむれば、真気を失なひ、また、牙歯早くをつ。

【一日に一回は全身の按摩をする】(509)

 凡そ一日に一度、わが首(こうべ)より足に至るまで、惣身のこらず、殊につがひの節ある所、悉(ことごと)く人になでさすりおさしむること、各所十遍ならしむべし。先ず百会の穴、次に頭の四方のめぐり、次に両眉の外、次に眉じり、また鼻ばしらのわき、耳の内、耳のうしろを皆おすべし。次に風池、次に項の左右をもむ。左には右手、右には左手を用ゆ。次に両の肩、次に臂(ひじ)骨のつがひ、次に腕、次に手の十指をひねらしむ。

次に背をおさへ、うちうごかすべし。次に腰及腎堂をなでさする。次にむね、両乳、次に腹を多くなづる。次に両股、次に両膝、次に脛の表裏、次に足の踝(くるぶし)、足の甲、次に足の十指、次に足の心(うら)、皆、両手にてなでひねらしむ。これ『寿養叢書』の説也。我手にてみづからするもよし。

【心は静なるべし、身は動かすべし】(510)

 『入門』に曰く、導引の法は、保養中の一事也。人の心は、つねに静なるべし。身はつねに動かすべし。終日安坐すれば、病生じやすし。久く立、久く行より、久く臥、久く坐するは、尤(もっとも)人に害あり。

【引導の法を毎日行う】(511)

 導引の法を毎日行へば、気をめぐらし、食を消して、積聚(しゃくじゅ)を生ぜず。朝いまだおきざる時、両足をのべ、濁気をはき出し、おきて坐し、頭を仰(あおのき)て、両手をくみ、向(むこう)へ張出し、上に向ふべし。歯をしばしばたゝき、左右の手にて、項(うなじ)をかはるがはるおす。その次に両肩をあげ、くびを縮め、目をふさぎて、俄(にわか)に肩を下へさぐること、三度。

次に面(かお)を、両手にて、度々なで下ろし、目を、目がしらより目じりに、しばしばなで、鼻を、両手の中指にて六七度なで、耳輪(じりん)を、両手の両指にて挟み、なで下ろすこと六七度、両手の中指を両耳に入、さぐり、しばしふさぎて両へひらき、両手をくみ、左へ引ときは、かうべ右をかへり見、右へ引ときは、左へかへりみる。この如くすること各三度。次に手の背にて、左右の腰の上、京門(けいもん)のあたりを、すぢかひに、下に十余度なで下し、次に両手を以て、腰を按す。

両手の掌(たなごころ)にて、腰の上下をしばしばなで下す。これ食気をめぐらし、気を下す。次に手を以て、臀の上を、やはらかに打こと十余度。次に股膝を撫くだし、両手をくんで、三里の辺をかゝえ、足を先へふみ出し、左右の手を前へ引、左右の足、ともに、この如くすることしばしばすべし。次に左右の手を以て、左右の*(はぎ)の表裏を、なで下すこと数度。

次に足の心(うら)湧泉(ゆせん)の穴と云、片足の五指を片手にてにぎり、湧泉の穴を左手にて右をなで、右手にて左をなづること、各数十度。また、両足の大指をよく引、残る指をもひねる。これ術者のする導引の術なり。閑暇ある人は日々かくの如くす。また、奴婢児童にをしへて*(はぎ)をなでさせ、足心(あしのうら)をしきりにすらせ、熱生じてやむ。また、足の指を引(ひか)しむ。

朝夕この如くすれば、気下り、気めぐり、足の痛を治す。甚(はなはだ)益あり。遠方へ歩行せんとする時、または歩行して後、足心(あしのうら)を右のごとく按(お)すべし。

【足・足指のマッサージ】(512)

 膝より下の、はぎのおもてうらを、人をして、手を以て、しばしばなでくださせ、足の甲をなで、その後、足のうらを、しきりに多くなで、足の十指を引(ひか)すれば、気を下しめぐらす。みづからするは、尤(もっとも)よし。これ良法なり。

【爽快なとき、冬には按摩をしない】(513)

 気のよくめぐりて快き時に、導引按摩すべからず。また、冬月按摩をいむこと、『内経』に見えたり。身を労働して、気上る病には、導引、按摩ともにあしゝ。只身をしづかに動かし、歩行することは、四時ともによし。尤(もっとも)飯後によろし。勇泉(ゆせん)の穴をなづることも、四時ともによろし。

【髪をくしけずり、歯を叩き、眼を温める】(514)

 髪はおほくくしけづるべし。気をめぐらし、上気をくだす。櫛の歯しげきは、髪ぬけやすくしてあしゝ。牙歯はしばしばたゝくべし。歯をかたくし、虫はまず。時々両の手を合せ、すりてあたゝめ、両眼をあたゝめのすべし。目を明らかにし、風をさる。よつて髪ぎはより、下額と面を上より下になづること二十七遍、古人、「両手はつねに面に在べし」と云へるは、時々両手にて面をなづべしとなり。この如くすれば、気をめぐらし、上気をくだし、面色(かおいろ)をうるはしくす。左右の中指を以て、鼻の両わきを多くなで、両耳の根を多くなづべし。

【明け方に自分で足のマッサージをする】(515)

 五更におきて坐し、一手にて、足の五指をにぎり、一手にて足の心をなでさすること、久しくすべし。この如して足心(あしのうら)熱せば、両手を用ひて、両足の指をうごかすべし。右の法、奴婢(ぬび)にも命じて、かくのごとくせしむ。或云(あるいはいう)、五更にかぎらず、毎夜おきて坐し、この如くすること久しければ、足の病なし。上気を下し、足よはく、立がたきを治す。久しくしておこたらざれば、脚のよはきをつよくし、足の立かぬるをよくいやす。

甚しるしある事を古人いへり。『養老寿親書』(ようろうじゅしんしょ)、及東坡(とうば)が説にも見えたり。

【寝るときに子供に温かい手でマッサージをさせる】(516)

 臥す時、童子に手を以て合せすらせ、熱せしめて、わが腎堂を久しく摩(なで)しめ、足心(あしのうら)をひさしく摩(なで)しむべし。みつ゛からこの如くするもよし。また、腎堂の下、臀(しり)の上を、しつ゛かにうたしむべし。

【寝る前に髪をけづり、湯で足を洗い、口を漱ぐ】(517)

 毎夜ふさんとするとき、櫛(くし)にて髪をしきりにけつ゛り、湯にて足を洗ふべし。これよく気をめぐらす。また、臥(ふす)にのぞんで、熱茶に塩を加ヘ、口をすすぐべし。口中を清くし、牙歯(がし)を堅くす。下茶よし。

【老いて用のないときは眼を瞑るのがよい】(518)

 『入門』に曰く、「年四十以上は、事なき時は、つねに目をひしぎて宜し。要事なくんば、開くべからず」。

【中年以上の人に炬燵(こたつ)もよい】(519)

 衾炉(きんろ)は、炉上に、櫓(やぐら)をまうけ、衾(ふすま)をかけて火を入、身をあたたむ。俗に、こたつと云。これにあたれば、身をあたため過し、気ゆるまり、身おこたり、気を上(のぼ)せ、目をうれふ。只(ただ)中年以上の人は、火をぬるくしてあたり、寒をふせぐべし。足を出して箕踞(ききょ)すべからず。わかき人は用ることなかれ。わかき人は、厳寒の時、只(ただ)炉火に対し、また、たき火にあたるべし。身をあたゝめ過すべからず。

【厚着や熱い火、熱い湯などはダメ】(520)

 凡そ衣をあつくき、あつき火にあたり、あつき湯に浴し、久しく浴し、熱物を食して、身をあたゝめ過せば、気外(ほか)にもれて、気へり、気のぼる。これ皆人の身に甚(はなはだ)害あり、いましむべし。

【足のしびれにならない方法】(521)

 貴人の前に久しく侍べり、或(あるいは)公廨(くがい)に久しく坐して、足しびれ、にはかに立(たつ)事ならずして、たふれふすことあり。立んとする前より、かねて、みつ゛から足の左右の大指を、しばしば動し、のべかがめすべし。かやうにすれば、しびれなえずして、立がたきのうれひなし。平日、時々両足(りょうそく)の大指を、のべかがめ、きびしくして、ならひとなれば、転筋(てんきん)のうれひなし。

また、転筋したる時も、足の大指をしばしば動かせばやむ。これ急を治するの法なり。しるべし。上気する人も、両足をのべて、大指をしばしば動すべし、気下る。この法、また人に益あり。

【火鉢は頭から離す】(522)

 頭ノ辺リに火炉をおくべからず。気上る。

【薄着で寒風に遭ったときは】(523)

 東垣(とうえん)が曰く、にはかに風寒にあひて、衣うすくば、一身の気を、はりて、風寒をふせぎ、肌に入らしむべからず。

【眼鏡について】(524)

 めがねを*靆(あいたい)と云(いう)。『留青日札』(りゅうせいにっさつ)と云(いう)書に見えたり。また眼鏡(がんきょう)と云(いう)。四十歳以後は、早くめがねをかけて、眼力を養ふべし。和水晶(わすいしょう)よし。ぬぐふにきぬを以て、両指にて、さしはさみてぬぐふべし。或(あるいは)羅紗を以てぬぐふ。硝子(びいどろ)はくだけやすし。水晶におとれり。硝子は燈心にてぬぐふべし。

【歯の磨き方と目の洗い方】(525)

 牙歯(がし)をみがき、目を洗ふ法、朝ごとに、まつ゛熱湯にて目を洗ひあたため、鼻中をきよめ、次に温湯にて口をすゝぎ、昨日よりの牙歯(がし)の滞(とどこおり)を吐すて、ほしてかは(わ)ける塩を用ひて、上下の牙歯(がし)と、はぐきをすりみがき、温湯をふくみ、口中をすゝぐことニ三十度、その間に、まつ゛別の碗に、温湯を、あら布の小篩(こふるひ)を以てこして入れ置、次に手と面(かお)をあらひ、おはりて、口にふくめる塩湯を、右のあら布の小ぶるひにはき出し、こして碗に入、その塩湯を以て目を洗ふこと、左右各(おのおの)十五度(たび)、その後べちに入置きたる碗の湯にて、目を洗ひ、口をすすぐべし。

これにておはる。毎朝かくのごとくにして、おこたりなければ、久しくして牙歯(がし)うごかず。老てもおちず。虫くはず。目あきらかにして、老にいたりても、目の病なく、夜、細字をよみ書く。これ目と歯とをたもつ良法なり。こゝろみて、そのしるしを得たる人多し。予もまた、この法によりて、久しく行なふゆへ、そのしるしに、今八十三歳にいたりて、猶(なお)夜、細字をかきよみ、牙歯(がし)固くして一もおちず。目と歯に病なし。毎朝かくのごとくすれば、久しくして後は、ならひてむつ゛かしからず、牙杖(ようじ)にて、牙歯(がし)をみがくことを用ひず。

【歯の病気は胃からくる?】(526)

 古人の曰く、歯の病は胃火(いか)ののぼる也。毎日時々、歯をたゝくこと三十六度すべし。歯かたくなり、虫くはず。歯の病なし。

【若いときに歯で種を割ったりしてはいけない】(527)

 わかき時、歯のつよきをたのみて、堅き物を食ふべからず。梅、楊梅(やまもも)の核(さね)などかみわるべからず。後年に、歯早くをつ。細字を多くかけば、目と歯とを損ず。

【爪楊枝で歯をほじくってはいけない】(528)

 牙杖(ようじ)にて、牙根をふかくさすべからず。根うきて、うごきやすし。

【冬は遅く起きて、夏は早く起きる】(529)

 寒月はおそくおき、暑月は早くおくべし。暑月も、風にあたり臥すべからず。眠りの内に、風にあたるべからず。眠りの内に、扇にてあふがしむべからず。

【熱湯で口を漱ぐと歯がダメになる】(530)

 熱湯にて、口をすゝぐべからず。歯を損ず。

【食事の後は、……】(531)

 『千金方』曰く、「食しおはるごとに、手を以て、面(かお)をすり、腹をなで、津液(しんえき)を通流すべし。行歩(こうほ)すること数百歩すべし。飲食して即臥せば百病生ず。飲食して仰(あおの)きに臥せば、気痞となる」。

【食後に寝てはいけない】(532)

 『医説』曰く、「食して後、体倦(う)むとも、即(ち)寝(いぬ)ることなかれ。身を運動し、二三百歩しづかに歩行して後、帯をとき、衣をくつろぎ、腰をのべて端坐し、両手にて心腹を按摩して、たて横に往来すること、二十遍。また、両手を以て、わき腰の間より、おさへなでて下ること、数十遍ばかりにして、心腹の気ふさがらしめず。食滞、手に随つて消化す」。

【七つの穴は気を閉じ、耳は気の出入りなし】(533)

 目鼻口は面上の五竅(ごきょう)にて、気の出入りする所、気もれやすし。多くもらすべからず。尾閭(びりょ)は精気の出る所なり。過て、もらすべからず。肛門は糞気の出る所、通利ありて滑泄(こっせつ)をいむ。凡そ、この七竅皆とぢかためて、多く気をもらすべからず。只耳は気の出入なし。然(れ)ども久しくきけば神をそこなふ。

【瓦火桶の利用法】(534)

 瓦火桶と云物、京都に多し。桐火桶の製に似て大なり。瓦にて作る。高さ五寸四分(=十六センチメートル)、足はこの外也。縦のわたり八寸三分(=二十五センチ)、横のわたり七寸(=二十一センチ)、縦横少(し)長短あるべし。或(は)形まるくして、縦横なきもよし。上の形まるきこと、桐火桶のごとし。めぐりにすかしまどありて、火気をもらすべし。上に口あり、ふたあり。ふたの広さ、よこ三寸、たて三寸余なるべし。まるきもよし。ふたに取手あり。ふた二三の内、一は取手なきがよし。

やはらかなる灰を入置(いれおき)、用ゐんとする時、宵より小なる炭火を二三入て臥さむとする前より、早く衾(ふすま)の下に置、ふして後、足をのべてあたゝむべし。上気する人は、早く遠ざくべし。足あたゝまらば火桶を足にてふみ退け、足を引てかゞめふすべし。翌朝おきんとする時、また足をのべてあたたむべし。また、ふたの熱きを木綿袋に入て、腹と腰をあたゝむ。ふた二三こしらへ置、とりかへて腹、腰をあたゝむべし。

取手なきふたを以ては、こしをあたゝむ。こしの下にしくべし。温石(おんじゃく)より速(すみやか)に熱くなりて自由なり。急用に備ふべし。腹中の食滞気滞をめぐらして、消化しやすきこと、温石并(ならびに)薬力よりはやし。甚(はなはだ)要用の物なり。この事しれる人すくなし。


二便

【オシッコは空腹のときはしゃがんで、満腹のときは立って】(535)

 うへては坐して小便し、飽ては立て小便すべし。

【オシッコもウンコも我慢をしてはいけません】(536)

 二便は早く通じて去べし。こらゆるは害あり。もしは不意に、いそがしきこと出来ては、二便を去べきいとまなし。小便を久しく忍べば、たちまち小便ふさがりて、通ぜざる病となることあり。これを転*(てんぷ)と云。また、淋となる。大便をしばしば忍べば気痔となる。また、大便をつとめて努力すべからず。気上り、目あしく、心(むね)さわぐ。害多し。自然(じねん)に任すべし。

只津液を生じ、身体をうるほし、腸胃の気をめぐらす薬をのむべし。麻仁(まにん)、胡麻、杏仁(きょうにん)、桃仁(とうにん)など食ふべし。秘結する食物、*(もち)、柿、芥子(からし)など禁じてくらふべからず。大便、秘するは、大なる害なし。小便久しく秘するは危うし。

【いつも便秘をする人は】(537)

 常に大便秘結する人は、毎日厠(かわや)にのぼり、努力せずして、成べきほどは少づつ通利すべし。この如くすれば、久しく秘結せず。

【太陽や月などに向かってオシッコをしてはいけない】(538)

 日月、星辰、北極、神廟に向つて、大小便すべからず。また、日月のてらす地に小便すべからず。凡そ天神、地祇、人鬼おそるべし。あなどるべからず。


洗浴

【入浴は十日に一回?】(539)

 湯浴(ゆあみ)は、しばしばすべからず。温気過て肌開(えひら)け、汗出で気へる。古人、「十日に一たび浴す」。むべなるかな。ふかき盤(たらい)に温湯少し入て、しばし浴すべし。湯あさければ温過(あたたかすぎ)ずして気をへらさず。盤ふかければ、風寒にあたらず。深き温湯に久しく浴して、身をあたため過すべからず。身熱し、気上り、汗出(いで)、気へる。甚害あり。また、甚温なる湯を、肩背に多くそそぐべからず。

【熱い湯には害がある】(540)

 熱湯(あつゆ)に浴(ゆあみ)するは害あり。冷熱はみづから試みて沐浴(もくよく)すべし。快(こころよき)にまかせて、熱湯に浴すべからず。気上りてへる。殊に目をうれふる人、こらへたる人、熱湯に浴すべからず。

【夏でなければ五日に一度洗髪、……】(541)

 暑月の外、五日に一度沐(かみあら)ひ、十日に一度浴す。これ古法なり。夏月に非ずして、しばしば浴すべからず。気、快といへども気へる。

【かけ湯の効用】(542)

 あつからざる温湯を少(し)盥(たらい)に入て、別の温湯を、肩背より少しづゝそゝぎ、早くやむれば、気よくめぐり、食を消す。寒月は身あたゝまり、陽気を助く。汗を発せず。この如くすれば、しばしば浴するも害なし。しばしば浴するには、肩背は湯をそゝぎたるのみにて、垢を洗はず、只下部(げぶ)を洗ひて早くやむべし。久しく浴し、身を温め過すべからず。

【空腹時と満腹時】(543)

 うゑては浴すべからず。飽ては沐(かみあら)ふべからず。

【湯だらいの寸法と水風呂】(544)

 浴場の盥の寸尺の法、曲尺(かね)にて竪(たて)の長二尺九寸、横のわたり二尺。右、何(いずれ)もめぐりの板より内の寸なり。ふかさ一尺三寸四分、めぐりの板あつさ六分、底は猶(なお)あつきがよし。ふたありてよし。皆、杉の板を用ゆ。寒月は、上とめぐりに風をふせぐかこみあるべし。盤(たらい)浅ければ風に感じやすく、冬はさむし。夏も盤浅ければ、湯あふれ出てあしし。湯は、冬もふかさ六寸にすぐべからず。夏はいよいよあさかるべし。

世俗に、水風炉(ふろ)とて、大桶の傍に銅炉をくりはめて、桶に水ふかく入(いれ)て、火をたき、湯をわかして浴す。水ふかく、湯熱きは、身を温め過し、汗を発し、気を上せへらす。大に害有(あり)。別の大釜にて湯をわかして入れ、湯あさくして、熱からざるに入り、早く浴しやめて、あたゝめ過さゞれば害なし。桶を出んとする時、もし湯ぬるくして、身あたゝまらずば、くりはめたる炉に、火を少したきてよし。湯あつくならんとせば、早く火を去(さる)べし。この如くすれば害なし。

【病気のときの入浴】(545)

 泄痢(せつり)し、及食滞、腹痛に、温湯に浴し、身体をあたたむれば、気めぐりて病いゆ。甚しるしあり。初発の病には、薬を服するにまされり。

【身体に傷があるとき】(546)

 身に小瘡ありて熱湯(あつゆ)に浴し、浴後、風にあたれば肌をとぢ、熱、内にこもりて、小瘡も、肌の中に入て熱生じ、小便通ぜず、腫る。この症、甚危し。おほくは死す。つつしんで、熱湯に浴して後、風にあたるべからず。俗に、「熱湯にて小瘡を内にたでこむる」と云う。左にはあらず、熱湯に浴し、肌表、開きたる故に、風に感じやすし。涼風にて、熱を内にとづる故、小瘡も共に内に入るなり。

【入浴後の風】(547)

 沐浴(もくよく)して風にあたるべからず。風にあはゞ、はやく手を以て、皮膚をなでするべし。

(注) 私は、いつも扇風機の風に当たっているが、どうであろうか?


【女性が生理のときは髪を洗ってはダメ】(548)

 女人、経水(けいすい)来(きた)る時、頭を洗ふべからず。

【温泉について】(549)

 温泉は、諸州に多し。入浴して宜しき症あり。悪しき症あり。よくもなく、あしくもなき症有。凡そ、この三症有。よくゑ(え)らんで浴すべし。湯治(とうじ)してよき病症は、外症なり。打身(うちみ)の症、落馬したる病、高き所より落て痛める症、疥癬(かいせん)など皮膚の病、金瘡(きんそう)、はれ物の久しく癒(いえ)がたき症、およそ外病には神効(しんこう)あり。また、中風(ちゅうぶ)、筋引つり、しゞまり、手足しびれ、なゑたる症によし。内症には相応せず。

されども気鬱、不食、積滞(しゃくたい)、気血不順など、凡そ虚寒(きょかん)の病症は、湯に入あたためて、気めぐりて宜しきことあり。外症の速(すみやか)に効(しるし)あるにはしかず、かろく浴すべし。また、入浴して益もなく害もなき症多し。これは入浴すべからず。また、入浴して大に害ある病症あり。ことに汗症(かんしょう)、虚労(きょろう)、熱症に尤(も)いむ。妄(みだり)に入浴すべからず。湯治(とうじ)して相応せず、他病おこり、死せし人多し。慎しむべし。

この理をしらざる人、湯治(とうじ)は一切の病によしとおもふは、大なるあやまり也。『本草』(ほんぞう)の陳蔵器(ちんぞうき)の説、考みるべし。湯治(とうじ)のことをよくとけり。凡そ入浴せば実症の病者も、一日に三度より多きをいむ。虚人(きょじん)は一両度なるべし。日の長短にもよるべし。しげく浴すること、甚(はなはだ)いむ。つよき人も湯中に入(り)て、身をあたため過すべからず。はたにこしかけて、湯を杓(ひしゃく)にてそそぐべし。久しからずして、早くやむべし。

あたため過(すご)し、汗を出すべからず。大にいむ。毎日かろく浴し、早くやむべし。日数は七日二十七日なるべし。これを俗に一廻(めぐり)二廻と云。温泉をのむべからず。毒あり。金瘡の治のため、湯浴(ゆあみ)してきず癒(いえ)んとす。然るに温泉の相応せるを悦(よろこ)んで飲まば、いよいよ早くいえんとおもひて、のんだりしが、疵、大にやぶれて死せり。

【湯治の間の注意】(550)

 湯治(とうじ)の間、熱性の物を食ふべからず。大酒大食すべからず。時々歩行し、身をうごかし、食気をめぐらすべし。湯治(とうじ)の内、房事(ぼうじ)をおかすこと、大にいむ。湯よりあがりても、十余日いむ。灸(きゅう)治も同じ。湯治(とうじ)の間、また、湯治の後、十日ばかり補薬をのむべし。その間、性よき魚鳥の肉を、少(し)づつ食して、薬力をたすけ、脾胃を養ふべし。生冷、性悪しき物、食すべからず。また、大酒大食をいむ。湯治(とうじ)しても、後の保養なければ益なし。

【海水だけの入浴はダメ】(551)

 海水を汲(く)んで浴するには、井水(せいすい)か河水を半ば入れて、等分にして浴すべし。然らざれば熱を生ず。

【汲み湯はあまり効果がない】(552)

 温泉ある処に、いたりがたき人は、遠所に汲(くみ)よせて浴す。汲湯(くみゆ)と云。寒月は水の性損ぜずして、これを浴せば、少益あらんか。しかれども、温泉の地よりわき出たる温熱の気を失ひて、陽気きえつきて、くさりたる水なれば、清水の新たに汲めるよりは、性おとるべきかといふ人あり。


(巻第六)

病を慎しむ  病は生死のかかる所、人身の大事也。聖人の慎(み)給うこと、むべなるかな。

【病む前に自ずから防ぐ】(601)

 古語に、「常に病想を作す」。云意は、無病の時、病ある日のくるしみを、常に思ひやりて、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、酒食・好色の内欲を節にし、身体の起臥・動静をつつしめば病なし。また、古詩に曰く、「安閑の時、常に病苦の時を思へ」。云意は、病なくて安閑なる時に、初(め)病に苦しめる時を、常に思ひ出して、わするべからずと也。無病の時、慎ありて、恣ならざれば、病生ぜず。これ病おこりて、良薬を服し、鍼・灸をするにまされり。

邵康節の詩に、「その病(んで)後、能く薬を服せむより、病(やむ)前、能(く)自(ら)防ぐにしかず」といへるがごとし。

【予防をすれば病なし】(602)

 病なき時、かねてつつしめば病なし。病おこりて後、薬を服しても病癒がたく、癒ることおそし。小慾をつつしまざれば大病となる。小慾をつつしむことは、やすし。大病となりては、苦しみ多し。かねて病苦を思ひやり、のちの禍(わざわい)をおそるべし。

【ちょっと治ったときに注意!】(603)

 古語に、「病は少癒るに加はる」といえり。病少いゆれば、快きをたのんで、おこたりてつつしまず。少快しとして、飲食、色慾など恣(ほしいまま)にすれば、病かへつておもくなる。少いゑたる時、弥(いよいよ)かたくおそれつつしみて、少のやぶれなくおこたらざれば、病早くいゑて再発のわざはひなし。この時かたくつつしまざれば、後悔すとも益なし。

【一時の快楽は、後の禍】(604)

 『千金方』に曰く、「冬温なることを極めず、夏涼きことをきはめず、凡そ一時快き時は、必ず後の禍(わざわい)となる」。

【始めに注意をすれば、後に悔いなし】(605)

 病生じては、心のうれひ身の苦み甚し。その上、医をまねき、薬をのみ、灸をし、針をさし、酒をたち、食をへらし、さまざまに心をなやまし、身をせめて、病を治せんとせんよりは、初(はじめ)に内欲をこらゑ、外邪をふせげば、病おこらず。薬を服せず、針灸せずして、身のなやみ、心の苦みなし。初(はじめ)しばしの間、つヽしみしのぶは、少(すこし)の心づかひなれど、後の患(うれい)なきは、大なるしるしなり。後に薬と針灸を用ひ、酒食をこらへ、つヽしむは、その苦み甚しけれど、益少なし。

古語に、終わりをつヽしむことは、始(はじめ)におゐてせよといへり。万のこと、始によくつヽしめば、後に悔なし。養生の道、ことさらかくのごとし。

【肉欲を慎み、外邪を恐れる】(606)

 飲食、色慾の肉欲を、ほしゐまゝにせずして、かたく慎み、風・寒・暑・湿の外邪をおそれ防がば、病なくして、薬を用ひずとも、うれひなかるべし。もし慾をほしゐままにして、つゝしまず、只、脾腎を補ふ薬治と、食治とを頼まば、必ずしるしなかるべし。

【くよくよしてはいけない】(607)

 病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず。憂ひ苦しめば、気ふさがりて病くはゝる。病おもくても、よく養ひて久しければ、おもひしより、病いえやすし。病をうれひて益なし。只、慎むに益あり。もし必死の症は、天命の定れる所、うれひても益なし。人をくるしむるは、おろかなり。

【急いではいけない】(608)

 病を早く治せんとして、いそげば、かへつて、あやまりてを病をます。保養はおこたりなくつとめて、いゆることは、いそがず、その自然にまかすべし。万の事、あまりよくせんとすれば、返つてあしくなる。

【住居・部屋に関する注意】(609)

 居所(おりどころ)、寝屋(ねや)は、つねに風寒暑湿の邪気をふせぐべし。風寒暑は人の身をやぶること、はげしくて早し。湿は人の身をやぶることおそくして深し。故に風寒暑は人おそれやすし。湿気は人おそれず。人にあたることふかし。故に久しくしていえず。湿ある所を、早く遠ざかるべし。山の岸近き所を、遠ざかるべし。また、土あさく、水近く、床ひきゝ処に、坐臥すべからず。床を高くし、床の下の壁にまどを開きて、気を通ずべし。

新にぬりたる壁に近付て、坐臥すべからず。湿にあたりて病となりて、いえがたし。或(あるいは)疫病をうれふ。おそるべし。文禄の朝鮮軍に、戦死の人は少なく、疫死多かりしは、陣屋ひきく、まばらにして、士卒、寒湿にあたりし故也とぞ。居所(おりどころ)も寝屋も、高くかはける所よし。これ皆、外湿をふせぐなり。一たび湿にあたればいえがたし。おそるべし。また、酒茶湯水を多くのまず、瓜、菓、冷麪を多く食(くら)はざるは、これ皆、内湿をふせぐなり。

夏月、冷水を多くのみ、冷麪をしばしば食すれば、必ず内湿にやぶられ、痰瘧、泄痢をうれふ。つゝしむべし。

【おっかない傷寒に注意する】(610)

 傷寒を大病と云。諸病の内、尤(もっとも)おもし。わかくさかんなる人も、傷寒、疫癘をわずらひ、死ぬる人多し。おそるべし。かねて風・寒・暑・湿をよくふせぐべし。初発のかろき時、早くつつしむべし。

【酒飲みは中風に注意する】(611)

 中風は、外の風にあたりたる病には非ず、内より生ずる風に、あたれる也。肥白(ひはく)にして気すくなき人、年四十を過て気衰ふる時、七情のなやみ、酒食のやぶれによつて、この病生ず。つねに酒を多くのみて、腸胃やぶれ、元気へり、内熱生ずる故、内より風生じて手足ふるひ、しびれ、なえて、かなはず。口ゆがみて、物いふことならず。これ皆、元気不足する故なり。故に、わかく気つよき時は、この病なし。もし、わかき人にも、まれにあるは、必ず肥満して、気すくなき人也。

酒多くのみ、内かはき熱して、風生ずるは、たとへば、七八月に残暑甚しくて、雨久しくふらざれば、地気さめずして、大風ふくが如し。この病、下戸にはまれ也。もし、下戸にあるは、肥満したる人か、或(あるいは)気すくなき人なり。手足なえしびれて、不仁なるは、くち木の性なきが如し。気血不足して、ちからなく、なへしびるゝ也。肥白(ひはく)の人、酒を好む人、かねて慎あるべし。

【春といえども風寒に注意!】(612)

 春は陽気発生し、冬の閉蔵にかはり、人の肌膚(きふ)和して、表気やうやく開く。然るに、余寒猶烈しくして、風寒に感じやすし。つゝしんで、風寒にあたるべからず。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)の患(うれい)なからしむべし。草木の発生するも、余寒にいたみやすし。これを以て、人も余寒をおそるべし。時にしたがひ、身を運動し、陽気を助けめぐらして、発生せしむべし。

【夏は外邪に注意!】(613)

 夏は、発生の気いよいよさかんにして、汗もれ、人の肌膚(きふ)大いに開く故外邪入やすし。涼風に久しくあたるべからず。沐浴の後、風に当るべからず。且夏は伏陰とて、陰気かくれて腹中にある故、食物の消化することおそし。多く飲食すべからず。温(あたたか)なる物を食ひて、脾胃をあたゝむべし。冷水を飲べからず。すべて生冷の物をいむ。冷麪多く食ふべからず。虚人は尤(もっとも)泄瀉(せっしゃ)のうれひおそるべし。

冷水に浴すべからず。暑甚き時も、冷水を以て面目(かおめ)を洗へば、眼を損ず。冷水にて、手足洗ふべからず。睡中に、扇にて、人にあふがしむべからず。風にあたり臥べからず。夜、外に臥べからず。夜、外に久しく坐して、露気にあたるべからず。極暑の時も、極て涼しくすべからず。日に久しくさらせる熱物の上に、坐すべからず。

【四月は色欲を禁じる】(614)

 四月は純陽の月也。尤(もっとも)色慾を禁ずべし。雉(きじ)鶏など温熱(うんねつ)の物、食うべからず。

【夏はよく保養すべし】(615)

 四時の内、夏月、尤(もっとも)保養すべし。霍乱(かくらん)、中暑、傷食(しょうしょく)、泄瀉、瘧痢(ぎゃくり)の病、おこりやすし。生冷の飲食を禁じて、慎んで保養すべし。夏月、この病おこれば、元気へりて大いに労す。

【六・七月は元気が減りやすい】(616)

 六七月、酷暑の時は、極寒の時より、元気へりやすし、よく保養すべし。加味生脈散(かみしょうみゃくさん)、補気湯、医学六要の新製清暑益気湯など、久しく服して、元気の発泄するを収斂すべし。一年の内時令のために、薬を服して、保養すべきは、この時なり。東垣(とうえん)が清暑益気湯は湿熱を消散する方也。純補の剤にあらず、その病なくば、服すべからず。

【夏の井戸には有毒ガスがある】(617)

 夏月、古き井、深き穴の中に人を入(いるる)べからず。毒気多し。古井には先ず鶏の毛を入て、毛、舞ひ下りがたきは、これ毒あり、入(いる)べからず。火をもやして、入れて後、入(いる)べし。また、醋(す)を熱くわかして、多く井に入(いれ)て後、人入(いる)べし。夏至に井をさらえ、水を改むべし。

【秋は涼しい風に当たり過ぎない】(618)

 秋は、夏の間肌(はだえ)開け、七八月は、残暑も猶烈しければ、*理(そうり)いまだとちず。表気いまだ堅からざるに、秋風すでにいたりぬれば、感じてやぶられやすし。慎んで、風涼にあたり過すべからず。病ある人は、八月、残暑退きて後、所々に灸して風邪(ふうじゃ)をふせぎ、陽を助けて痰咳(たんせき)のうれひをまぬがるべし。

【冬は陽気を漏らさない】(619)

 冬は、天地の陽気とぢかくれ、人の血気おさまる時也。心気を閑(しずか)にし、おさめて保つべし。あたゝめ過して陽気を発し、泄(もら)すべからず。上気せしむべからず。衣服をあぶるに、少(すこし)あたゝめてよし。熱きをいむ。衣を多くかさね、または火気を以て身をあたゝめ過すべからず。熱湯(あつゆ)に浴すべからず。労力して汗を発し、陽気を泄(もら)すべからず。

【冬至には労働や房事を避ける】(620)

 冬至には、一陽初て生ず。陽気の微少なるを静養すべし。労動すべからず。この日、公事にあらずんば、外に出(いず)べからず。冬至の前五日、後十日、房事を忌む。また、灸すべからず。『続漢書』に曰く、「夏至水を改め、冬至に火を改むるは、瘟疫(おんえき)を去なり」。

【冬に針灸や按摩をしない】(621)

 冬月は、急病にあらずんば、針灸すべからず。尤(もっとも)十二月を忌む。また、冬月按摩をいむ。自身しづかに導引するは害なし。あらくすべからず。

【大晦日には寝ないで新年を迎える】(622)

 除日(じょにち)には、父祖の神前を掃除し、家内、殊に臥室のちりをはらひ、夕は燈(ともしび)をともして、明朝にいたり、家内光明ならしめ、香を所々にたき、かまどにて爆竹し、火をたきて、陽気を助くべし。家族と炉をかこみ、和気津々として、人とあらそはず、家人を、いかりのゝしるべからず。父母、尊重を拝祝し、家内、大小上下椒(しょう)酒をのんで歓び楽しみ、終夜いねずして旧(ふる)き歳をおくり、新き年をむかへて、朝にいたる。これを歳を守ると云(いう)。

【熱食いの汗】(623)

 熱食して汗いでば、風に当るべからず。

【打撲傷の注意】(624)

 凡そ人の身、高き処よりおち、木石におされなどして、損傷したる処に、灸をすることなかれ。灸をすれば、くすりを服してもしるしなし。また、兵器にやぶられて、血おほく出たる者は、必ずのんどかはくもの也。水をあたふべからず。甚あしゝ。また、粥をのましむべからず。粥をのめば、血わき出で、必ず死ぬ。これ等のこと、かねてしらずんばあるべからず。また、金瘡折傷、口開きたる瘡、風にあたるべからず。扇にてもあふぐべからず。、*症(ししよう)となり、或(あるいは)破傷風となる。

【冬に出かけるときは酒で暖まるのもよい】(625)

 冬、朝(あした)に出て遠くゆかば、酒をのんで寒をふせぐべし。空腹にして寒にあたるべからず。酒をのまざる人は、粥を食ふべし。生薑をも食ふべし。陰霧の中、遠く行べからず。やむ事を得ずして、遠くゆかば、酒食を以て防ぐべし。

【冷えた身体を急に温めてはいけない】(626)

 雪中に跣(はだし)にて行て、甚寒(ひ)えたるに、熱湯(あつきゆ)にて足を洗ふべからず。火に早くあたるべからず。大寒にあたりて、即熱(あつき)物を食飲すべからず。

【頓死のパターン】(627)

 頓死の症多し。卒中風(そっちゅうぷ)、中気、中悪、中毒、中暑、凍死、湯火、食傷、乾霍乱(かんかくらん)、破傷風、喉痺、痰厥(たんけつ)失血、打撲、小児の馬脾風等の症、皆卒死す。この外、また、五絶とて、五種の頓死あり。一には自(みずから)くびる。二にはおしにうたる。三には水におぼる。四には夜押厭はる。五には婦人難産。これ皆、暴死する症なり。常の時、方書を考へ、また、その治法を、良医にたつねてしり置(おく)べし。かねて用意なくして、俄に所置を失ふべからず。

【おかしなことにも錯覚や精神病がある】(628)

 神怪、奇異なること、たとひ目前に見るとも、必ず鬼神の所為とは云がたし。人に心病あり。眼病あり。この病あれば、実になき物、目に見ゆること多し。信じてまよふべからず。


択医

【医者を選びなさい】(629)

 保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、また、医をよくゑらぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以て庸医の手にゆだぬるはあやうし。医の良拙をしらずして、父母子孫病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝不慈に比す。「おやにつかふる者も、また医をしらずんばあるべからず」といへる程子の言、むべなり。医をゑらぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好否(よしあし)をしるべし。たとへば書画を能(よく)せざる人も、筆法をならひしれば、書画の巧拙をしるが如し。

【医は仁術、医は三世をよしとする】(630)

 医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以て、志とすべし。わが身の利養を専に志すべからず。天地のうみそだて給へる人を、すくひたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云、きはめて大事の職分なり。他術はつたなしといへども、人の生命には害なし。医術の良拙は人の命の生死にかゝれり。人を助くる術を以て、人をそこなふべからず。学問にさとき才性ある人をゑらんで医とすべし。

医を学ぶ者、もし生れ付鈍にして、その才なくんば、みづからしりて、早くやめて、医となるべからず。不才なれば、医道に通せずして、天のあはれみ給ふ人を、おほくあやまりそこなふこと、つみかふし。天道おそるべし。他の生業多ければ、何ぞ得手なるわざあるべし。それを、つとめならふべし。医生、その術にをろそかなれば、天道にそむき、人をそこなふのみならず、我が身の福(さいわい)なく、人にいやしめらる。

その術にくらくして、しらざれば、いつはりをいひ、みづからわが術をてらひ、他医をそしり、人のあはれみをもとめ、へつらへるは、いやしむべし。医は三世をよしとすること、礼記に見えたり。医の子孫、相つゞきてその才を生れ付たらば、世世家業をつぎたるがよかるべし。この如くなるはまれなり。三世とは、父子孫にかゝはらず、師、弟子相伝へて三世なれば、その業くはし。この説、然るべし。もしその才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。他の業を習はしむべし。不得手なるわざを以て、家業とすべからず。

【医者は儒書を読み、文義に通ず】(631)

 凡そ医となる者は、先ず儒書をよみ、文義に通ずべし。文義通ぜざれば、医書をよむちからなくして、医学なりがたし。また、経伝の義理に通ずれば、医術の義理を知りやすし。故に孫思ばく(ばく)曰く、「凡そ大医と為るには、先ず儒書に通ずべし」と。また曰く、「易を知らざれば以て医と為る可からず」。この言、信ずべし。諸芸をまなぶに、皆文学を本とすべし。文学なければ、わざ熟しても理にくらく、術ひきし。ひが事多けれど、無学にしては、わがあやまりをしらず。

医を学ぶに、殊に文学を基とすべし。文学なければ、医書をよみがたし。医道は、陰陽五行の理なる故、儒学のちから、易の理を以て、医道を明らむべし。しからざれば、医書をよむちからなくして、医道をしりがたし。

【良医・俗医・福医(時医)】(632)

 文学ありて、医学にくはしく、医術に心をふかく用ひ、多く病になれて、その変をしれるは良医也。医となりて、医学をこのまず、医道に志なく、また、医書を多くよまず、多くよんでも、精思の工夫なくして、理に通ぜず、或(あるいは)医書をよんでも、旧説になづみて、時の変をしらざるは、賤工也。俗医、利口にして、医学と療治とは別のことにて、学問は、病を治するに用なしと云て、わが無学をかざり、人情になれ、世事に熟し、権貴の家にへつらひちかづき、虚名を得て、幸にして世に用ひらるゝ者多し。

これを名づけて福医と云、また、時医と云。これ医道にはうとけれど、時の幸ありて、禄位ある人を、一両人療して、偶中すれば、その故に名を得て、世に用らるゝことあり。才徳なき人の、時にあひ、富貴になるに同じ。およそ医の世に用らるゝと、用られざるとは、良医のゑらんで定むる所為(しわざ)にはあらず。医道をしらざる白徒(しろうと)のすることなれば、幸にして時にあひて、はやり行はるるとて、良医とすべからず。その術を信じがたし。

【医は意なり】(633)

 古人、「医也者は意也」といへり。云意(こころ)は、意(こころ)精(くわ)しければ、医道をしりてよく病を治す。医書多くよんでも、医道に志なく、意(こころ)粗く工夫くはしからざれば、医道をしらず。病を治するに拙きは、医学せざるに同じ。医の良拙は、医術の精(くわ)しきと、あらきとによれり。されども、医書をひろく見ざれば、医道をくはしくしるべきやうなし。

【君子医・小人医】(634)

 医とならば、君子医となるべし、小人医となるべからず。君子医は人のためにす。人を救ふに、志専一なる也。小人医はわが為にす。わが身の利養のみ志し、人をすくふに志専ならず。医は仁術也。人を救ふを以て志とすべし。これ人のためにする君子医也。人を救ふ志なくして、只、身の利養を以て志とするは、これわがためにする小人医なり。医は病者を救はんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔なく、心を尽して病を治すべし。

病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行べし。遅々すべからず。人の命は至りておもし、病人をおろそかにすべからず。これ医となれる職分をつとむる也。小人医は、医術流行すれば我身にほこりたかぶりて、貧賤なる病家をあなどる。これ医の本意を失へり。

【ある人の意見】(635)

 或人の曰く、君子医となり、人を救はんが為にするは、まことに然るべし。もし医となりて仲景(ちゅうけい)、東垣(とうえん)などの如き富貴の人ならば、利養のためにせずしても、貧窮のうれひなからん。貧家の子、わが利養の為にせずして、只人を救ふに専一ならば、飢寒のうれひまぬがれがたかるべし。答て曰く、わが利養の為に医となること、たとへば貧賤なる者、禄のため君につかふるが如し。まことに利禄のためにすといへども、一たび君につかへては、わが身をわすれて、ひとへに君のためにすべし。

節義にあたりては、恩禄の多少によらず、一命をもすつべし。これ人の臣たる道なり。よく君につかふれば、君恩によりて、禄は求めずしてその内にあり。一たび医となりては、ひとへに人の病をいやし、命を助くるに心専一なるべきこと、君につかへてわが身をわすれ、専一に忠義をつとむるが如くなるべし。わが身の利養をはかるべからず。然れば、よく病をいやし、人をすくはゞ、利養を得ることは、求めずしてその内にあるべし。只専一に医術をつとめて、利養をば、むさぼるべからず。

【医者は趣味などあるべからず】(636)

 医となる者、家にある時は、つねに医書を見てその理をあきらめ、病人を見ては、また、その病をしるせる方書をかんがへ合せ、精(くわ)しく心を用ひて薬方を定むべし。病人を引うけては、他事に心を用ひずして、只、医書を考へ、思慮を精(くわ)しくすべし。凡そ医は、医道に専一なるべし。他の玩好あるべからず。専一ならざれば業精(くわ)しからず。

【良い医者に委ねるのがよい】(637)

 医師にあらざれども、薬をしれば、身をやしなひ、人をすくふに益あり。されども、医療に妙を得ることは、医生にあらざれば、道に専一ならずして成がたし。みづから医薬を用ひんより、良医をゑらんでゆだぬべし。医生にあらず、術あらくして、みだりにみづから薬を用ゆべからず。

只、略(ほぼ)医術に通じて、医の良拙をわきまへ、本草をかんがへ、薬性と食物の良毒をしり、方書をよんで、日用急切の薬を調和し、医の来らざる時、急病を治し、医のなき里に居(おり)、或(あるいは)旅行して小疾をいやすは、身をやしなひ、人をすくふの益あれば、いとまある人は、すこし心を用ゆべし。医術をしらずしては、医の良賤をもわきまへず、只、世に用ひらるゝを良工とし、用ひられざるを賤工とする故に、『医説』に、「明医は時医にしかず」といへり。

医の良賤をしらずして、庸医に、父母の命をゆだね、わが身をまかせて、医にあやまられて、死したるためし世に多し。おそるべし。

【素養をもっている子弟を医者に育てる】(638)

 士庶人の子弟いとけなき者、医となるべき才あらば、早く儒書をよみ、その力を以て、医書に通じ、明師にしたがひ、十年の功を用て、『内経』、『本草』以下、歴代の明医の書をよみ学問し、やうやく医道に通じ、また、十年の功を用ひて、病者に対して、病症を久しく歴見して習熟し、近代の日本の先輩の名医の療術をも考しり、病人に久しくなれて、時変を知り、日本の風土にかなひ、その術ますます精(くわ)しくなり、医学と病功と、前後凡そ二十年の久きをつみなば、必ず良医となり、病を治すること、験ありて、人をすくふこと多からん。

然らば、をのづから名もたかくなりて、高家、大人(たいじん)の招請あり、士庶人の敬信もあつくば、財禄を得ること多くして、一生の受用ゆたかなるべし。この如く実によくつとめて、わが身に学功そなはらば、名利を得んこと、たとへば俯して地にあるあくたを、ひろふが如く、たやすかるべし。これ士庶の子弟、貧賎なる者の名利を得る好(よき)計(はかりごと)なるべし。この如くなる良工は、これ国土の宝なり。公侯は、早くかゝる良医をしたて給ふべし。

医となる人、もし庸医のしわざをまなび、、愚俗の言を信じ、医学をせずして、俗師にしたがひ、もろこしの医書をよまず、病源と脈とをしらず、本草に通ぜず、薬性をしらず、医術にくらくして、只近世の日本の医の作れる国字の医書を、二三巻考へ、薬方の功能を少覚え、よききぬきて、我が身のかたちふるまひをかざり、辯説(べんぜつ)を巧にし、人のもてなしをつくろひ、富貴の家に、へつらひしたしみ、時の幸(さいわい)を求めて、福医のしわざを、うらやみならはゞ、身をおはるまで草医なるべし。

かゝる草医は、医学すれば、かへつて療治に拙し、と云まはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、この如くなる卑狭(ひきょう)なる術を行ふは云かひなし。

【俗医は学問を嫌う】(639)

 俗医は、医学をきらひてせず。近代名医の作れる和字の医書を見て、薬方を四五十つかひ覚ゆれば、医道をば、しらざれども、病人に馴て、尋常(よのつね)の病を治すること、医書をよんで病になれざる者にまされり。たとへば、*稗(ていはい)の熟したるは、五穀の熟せざるにまされるが如し。されど、医学なき草医は、やゝもすれば、虚実寒熱を取ちがへ、実々虚々のあやまり、目に見えぬわざはひ多し。

寒に似たる熱症あり。熱に似たる寒症あり。虚に似たる実症あり。実に似たる虚症あり。内傷、外感、甚相似たり。この如きまぎらはしき病多し。根ふかく、見知りがたきむづかしき病、また、つねならざるめづらしき病あり。かやうの病を治することは、ことさらなりがたし。

【まず志を立てる】(640)

 医となる人は、まづ、志を立て、ひろく人をすくひ助くるに、まことの心をむねとし、病人の貴賎によらず、治をほどこすべし。これ医となる人の本意也。その道明らかに、術くはしくなれば、われより、しゐて人にてらひ、世に求めざれども、おのづから人にかしづき用られて、さいはいを得ること、かぎりなかるべし。もし只、わが利養を求るがためのみにて、人をすくふ志なくば、仁術の本意をうしなひて、天道、神明の冥加あるべからず。

【貧民と愚民の死に方】(641)

 貧民は、医なき故に死し、愚民は庸医にあやまられて、死ぬる者多しと、古人いへり。あはれむべし。

【医術は博く精しく学ぶ】(642)

 医術は、ひろく書を考へざれば、事をしらず。精しく理をきはめざれば、道を明らめがたし。博(ひろき)と精(くわしき)とは医を学ぶの要なり。医を学ぶ人は、初より大に志ざし、博くしてまた精しかるべし。二ながら備はらずんばあるべからず。志小きに、心あらくすべからず。

【日本の医は中華の医に及ばない】(643)

 日本の医の中華に及ばざるは、まづ学問のつとめ、中華の人に及ばざれば也。ことに近世は国字(かな)の方書多く世に刊行せり。古学を好まざる医生は、からの書はむづかしければ、きらひてよまず。かな書の書をよんで、医の道これにてこと足りぬと思ひ、古の道をまなばず。これ日本の医の医道にくらくして、つたなきゆへなり。むかしの伊路波(いろは)の国字(かな)いできて、世俗すべて文盲になれるが如し。

【学ばなければ話にならない】(644)

 歌をよむに、「ひろく歌書をよんで、歌学ありても歌の下手はあるもの也。歌学なくして上手は有まじきなり」と心敬法師いへり。医術もまたかくの如し。医書を多くよんでも、つたなき医はあり。それは医道に心を用ずして、くはしならざればなり。医書をよまずして、上手はあるまじき也。から・やまとに博学多識にして、道しらぬ儒士は多し。博く学ばずして、道しれる人はなきが如し。

【仁をもって行い、利を求むべからず】(645)

 医は、仁心を以て行ふべし。名利を求むべからず。病おもくして、薬にて救ひがたしといへども、病家より薬を求むる事切ならば、多く薬をあたへて、その心ををなぐさむべし。わがよく病を見付て、生死をしる名を得んとて、病人に薬をあたへずして、すてころすは情けなし。医の薬をあたへざれば、病人いよいよちからをおとす。理なり。あはれむべし。

【医の温故知新】(646)

 医を学ぶに、ふるき法をたづねて、ひろく学び、古方を多く考ふべし。また、今世の時運を考へ、人の強弱をはかり、日本の土宜(どぎ)と民俗の風気を知り、近古わが国先輩の名医の治せし迹(あと)をも考へて、治療を行ふべし。いにしへに本づき、今に宜しくば、あやまりすくなかるべし。古法をしらずして、今の宜に合せんとするを鑿(うがつ)と云。古法にかゝはりて、今の宜に合ざるを泥(なずむ)と云。そのあやまり同じ。

古に「くらく、今に通ぜずしては、医道行はるべからず。聖人も、故を温ね新を知以て師とすべし」と、のたまへり。医師も、またかくの如くなるべし。

【適中と偶中】(647)

 薬の病に応ずるに適中あり、偶中あり。適中は良医の薬必ず応ずる也。偶中は庸医の薬不慮(はからざるに)相応ずるなり。これその人に幸ある故に、術はつたなけれども、幸にして病に応じたる也。もとより庸医なれば、相応ぜざること多し。良医の適中の薬を用ふべし。庸医は、たのもしげなし。偶中の薬はあやふし。適中は能(よく)射る者の的にあたるが如し。偶中は拙き者の不慮に、的に射あつるが如し。

【庸医の多くなる理由】(648)

 医となる者、時の幸を得て、富貴の家に用いらるゝ福医をうらやみて、医学をつとめず、只、権門につねに出入し、へつらひ求めて、名利を得る者多し。医術のすたりて拙くなり、庸医の多くなるはこの故なり。

【無益な諸芸が多い中で、医術は有用】(649)

 諸芸には、日用のため無益なること多し。只、医術は有用のこと也。医生にあらずとも少学ぶべし。凡そ儒者は天下のこと皆しるべし。故に、古人、医も儒者の一事といへり。ことに医術はわが身をやしなひ、父母につかへ、人を救ふに益あれば、もろもろの雑芸よりも最(もっとも)益多し。しらずんばあるべからず。然ども医生に非ず、療術に習はずして、妄(みだり)に薬を用ゆべからず。

【医学生の読むべき書】(650)

 医書は、『内経』(ないけい)『本草』(ほんぞう)を本とす。『内経』を考へざれば、医術の理、病の本源をしりがたし。『本草』に通ぜざれば、薬性をしらずして方を立がたし。且(かつ)、食性をしらずして宜禁(ぎきん)を定がたく、また、食治の法をしらず。この二書を以て医学の基(もとい)とす。

二書の後、秦越人(しんえつじん)が『難経』、張仲景が『金匱要略』(きんきようりゃく)、皇甫謐(こうほひつ)が『甲乙経』、巣元方が『病源候論』、孫思*(そんしばく)が『千金方』、王とう(6500)が『外台秘要』、羅謙甫(らけんほ)が『衛生宝鑑』、陳無択が『三因方』、宋の恵民局の『和剤局方証類』、『本草序例』、銭仲陽が書、劉河間が書、朱丹溪が書、李東垣が書、楊しゅん(6501)が『丹溪心法』、劉宗厚が『医経小学』、『玉機微義』、熊宗立が『医書大全』、周憲王の『袖珍方』、周良采が『医方選要』、薛立斎(せつりゅうさい)が『医案』、王璽(おうじ)が『医林集要』、楼英が『医学綱目』、虞天民が『医学正伝』、李挺が『医学入門』、江篁南(こうこうなん)が『名医類案』、呉崑が『名医方考』、きょう(6502)挺賢が書数種、汪石山が『医学原理』、高武が『鍼灸聚英』、李中梓(りちゅうし)が『医宗必読』、『頤生微論』、『薬性解』、『内経知要』あり。また薛立斎が十六種あり。医統正脈は四十三種あり。歴代名医の書をあつめて一部とせり。

これ皆、医生のよむべき書也。年わかき時、先儒書を記誦し、その力を以て右の医書をよんで能記すべし。

【中国の歴代名医】(651)

 張仲景は、百世の医祖也。その後、歴代の明医すくなからず。各発明する処多しといへ共、各その説に偏僻の失あり。取捨すべし。孫思(ばく)は、また、養生の祖なり。『千金方』をあらはす。養生の術も医方も、皆、宗とすべし。老、荘、を好んで異術の人なれど、長ずる所多し。医生にすゝむるに、儒書に通じ、易を知るを以てす。盧照鄰に答へし数語、皆、至理あり。この人、後世に益あり。医術に功あること、皇甫謐、葛洪、陶弘景等の諸子に越たり。寿(いのち)百余歳なりしは、よく保養の術に長ぜし効(しるし)なるべし。

【『千金方』について】(652)

 むかし、日本に方書の来りし初は、『千金方』なり。近世、医書板行せし初は、医書大全なり。この書は明の正統十一年に熊宗立編む。日本に大永の初来りて、同八年和泉の国の医、阿佐井野宗瑞、刊行す。活板也。正徳元年まで百八十四年也。その後、活字の医書、やうやく板行す。寛永六年巳後、扁板鏤刻(るこく)の医書漸く多し。

【いろいろな意見を勘案して、……】(653)

 凡そ諸医の方書偏説多し。専一人を宗とし、一書を用ひては治を為しがたし。学者、多く方書をあつめ、ひろく異同を考へ、その長ずるを取てその短なるをすて、医療をなすべし。この後、才識ある人、世を助くるに志あらば、ひろく方書ゑらび、その重複をけづり、その繁雑なるを除き、その粋美なるをあつめて、一書と成さば、純正なる全書となりて、大なる世宝なるべし。この事は、その人を待て行はるべし。凡そ近代の方書、医論、脈法、薬方同じきこと、甚多し。

殊(ことに)*挺賢(きょうていけん)が方書部数、同じ事多くして、重出しげく煩はし。無用の雑言また多し。凡そ病にのぞんでは、多く方書を検すること、煩労なり。急病に対し、にはかに広く考へて、その相応ぜる良方をゑらびがたし。同事多く、相似たる書を多くあつめ考るも、いたづがはし。才学ある人は、無益の事をなして暇をつひやさんより、かゝる有益の事をなして、世を助け給ふべし。世にその才ある人、豈なかるべきや。

【医学書もさまざま】(654)

 『局方発揮』、出て『局方』すたる。『局方』に古方多し。古を考ふるに用べし。廃(す)つべからず。只、鳥頭附子の燥剤を多くのせたるは、用ゆべからず。近古、日本に『医書大全』を用ゆ。*挺賢(きょうていけん)が方書流布して、東垣が書及『医書大全』、その外の諸方をも諸医用ずして、医術せばくあらくなる。『三因方』、『袖珍方』、『医書大全』、『医方選要』、『医林集要』、『医学正伝』、『医学綱目』、『入門』、『方考』、『原理』、『奇効良方』、『証治準縄』等、その外、方書を多く考へ用ゆべし。

『入門』は、医術の大略備れる好書也。(きょう)廷賢が書のみ偏に用ゆべからず。*(きょう)氏が医療は、明季の風気衰弱の時宜に頗かなひて、その術、世に行はれし也。日本にても、またしかり。しかるべきことは、ゑらんで所々取用ゆべし。悉くは信ずべからず。その故にいかんとなれば、雲林が医術、その見識ひきし。他人の作れる書をうばひてわが作とし、他医の治せし療功を奪てわが功とす。

不経の書を作りて、人に淫ををしえ、紅鉛などを云穢悪の物をくらふことを、人にすゝめて良薬とす。わが医術をみづから衒ひ、自ほむ。これ皆、人の穢行なり。いやしむべし。

【他の医者の治療を誹(そし)ってはいけない】(655)

 我よりまへに、その病人に薬を与へし医の治法、たとひあやまるとも、前医をそしるべからず。他医をそしり、わが術にほこるは、小人の癖なり。医の本意にあらず。その心ざまいやし。きく人に思ひ下さるゝも、あさまし。

【本草学にはいろいろな説がある】(656)

 本草の内、古人の説まちまちにして、一やうならず。異同多し。その内にて考へ合せ、択(えら)び用ゆべし。また、薬物も食品も、人の性により、病症によりて、宜、不宜あり。一概に好否を定めがたし。

【病論・脈法・薬方】(657)

 医術もまた、その道多端なりといへど、その要三あり。一には病論、二には脈法、三には薬方、この三のことをよく知べし。運気、経絡などもしるべしといへども、三要の次也。病論は、内経を本とし、諸名医の説を考ふべし。脈法は、脈書数家を考ふべし。薬方は、本草を本として、ひろく諸方書を見るべし。薬性にくはしからずんば、薬方を立がたくして、病に応ずべからず。また、食物の良否をしらずんば、無病有病共に、保養にあやまり有べし。薬性、食性、皆本草に精からずんば、知がたし。

【病気になっても治らないのは、……】(658)

 或曰く、病あつて治せず、常に中医を得る、といへる道理、誠にしかるべし。然らば、病あらば只上医の薬を服すべし。中下の医の薬は服すべからず。今時、上医は有がたし、多くは中、下医なるべし。薬をのまずんば、医は無用の物なるべしと云。答曰く、しからず、病あつて、すべて治せず。薬をのむべからずと云は、寒熱、虚実など、凡そ病の相似て、まぎらはしくうたがはしき、むづかしき病をいへり。

浅薄なる治しやすき症は、下医といへども、よく治す。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)に参蘇飲(じんそいん)、風邪を発散するに香蘇散、敗毒散、*香(かくこう)、正気散(しょうきさん)。食滞に平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなくうたがはしからざる病なれば、下医も治しやすし。薬を服して害なかるべし。右の症も、薬しるしなき、むづかしき病ならば、薬を用ずして可也。


(巻第七)

用薬

【医者に上・中・下】(701)

人身、病なきことあたはず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。この三知を以て病を治して十全の功あり。まことに世の宝にして、その功、良相(りょうしょう)につげること、古人の言のごとし。下(か)医は、三知の力なし。妄(みだり)に薬を投じて、人をあやまること多し。

夫(れ)薬は、補瀉・寒熱(ほしゃかんねつ)の良毒の気偏なり。その気(き)の偏(へん)を用(い)て病をせむる故に、参*(じんぎ)の上薬をも妄(みだり)に用ゆべからず。その病に応ずれば良薬とす。必ずそのしるしあり。その病に応ざぜれば毒薬とす。たゞ益なきのみならず、また人に害あり。また、中医あり。病と脈と薬をしること、上医に及ばずといへ共、薬は皆気の偏にして、妄に用ゆべからざることをしる。故にその病に応ぜざる薬を与へず。

前『漢書』に班固(はんこ)が曰く、「病有て治せずば常に中医を得よ」。云意(いうこころ)は、病あれども、もしその病を明らかにわきまへず、その脈を許(つまびらか)に察せず、その薬方を精(くわ)しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。こゝを以て病あれども治せざるは、中品の医なり。下医(かい)の妄に薬を用(い)て人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して身をそこなふべからず。只保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のをのづから癒(いゆ)るを待べし。

この如くすれば、薬毒にあたらずして、はやくいゆる病多し。死病は薬を用ひてもいきず。下医は病と脈と薬をしらざれども、病家の求(もとめ)にまかせて、みだりに薬を用ひて、多く人をそこなふ。人を、たちまちにそこなはざれども、病を助けていゆることおそし。中医は、上医に及ばずといへども、しらざるを知らずとして、病を慎んで、妄(みだり)に治せず。こゝを以て、「病あれども治せざるは中品の医なり」といへるを、古来名言とす。病人もまた、この説を信じ、したがって、応ぜざる薬を服すべからず。

世俗は、病あれば急にいゑんことを求て、医の良賤をゑらばず、庸医の薬をしきりにのんで、かへつて身をそこなふ。これ身を愛すといへども、実は身を害する也。古語に曰く、「病の傷は猶癒(いやす)べし、薬の傷は最も医(くす)し難し」。然らば、薬をのむこと、つゝしみておそるべし。孔子も、季康子が薬を贈れるを、いまだ達せずとて、なめ給はざるは、これ疾をつゝしみ給へばなり。聖人の至教、則(のり)とすべし。今、その病源を審(つまびらか)にせず、脈を精(くわ)しく察せず、病に当否を知らずして、薬を投ず。薬は、偏毒あればおそるべし。

【薬をむやみに飲んではいけない】(702)

 孫思ばく曰く、「人、故なくんば薬を餌(くらう)べからず。偏(ひとえ)に助くれば、蔵気不平にして病生ず」。

【薬には偏性がある】(703)

 劉仲達(りゅうちゅうたつ)が『鴻書』(こうしょ)に、「疾(やまい)あつて、もし名医なくば薬をのまず、只病のいゆるを、しづかにまつべし。身を愛し過し、医の良否をゑらばずして、みだりに早く、薬を用ることなかれ。古人、病あれども治せざるは中医を得る」と云、この言、至論也といへり。庸医の薬は、病に応ずることは少なく、応ぜざること多し。薬は皆、偏性(へんしょう)ある物なれば、その病に応ぜざれば、必ず毒となる。

この故に、一切の病に、みだりに薬を服すべからず。病の災(わざわい)より薬の災多し。薬を用ずして、養生を慎みてよくせば、薬の害なくして癒(いえ)やすかるべし。

【臨機応変の処置ができる良医】(704)

 良医の薬を用るは臨機応変とて、病人の寒熱虚実の機にのぞみ、その時の変に応じて宜に従ふ。必ず一法に拘はらず。たとへば、善く戦ふ良将の、敵に臨んで変に応ずるが如し。かねてより、その法を定めがたし。時にのぞんで宜にしたがふべし。されども、古法をひろくしりて、その力を以て、今の時宜に(じぎ)にしたがひて、変に応ずべし。古(いにしえ)をしらずして、只今の時宜に従はんとせば、本(もと)なくして、時宜に応ずべからず。故(ふるき)を温(たず)ねて新をしるは、良医なり。

【薬ではなく穀物と肉類で身体を養う】(705)

 脾胃(ひい)を養ふには、只穀肉を食するに相宜(あいよろ)し。薬は皆気の偏なり。参ぎ、朮甘(じゅつかん)は上薬にて毒なしといへども、病に応ぜざれば胃の気を滞(とどこお)らしめ、かへつて病を生じ、食を妨げて毒となる。いはんや攻撃のあらくつよき薬は、病に応ぜざれば、大に元気をへらす。この故に病なき時は、只穀肉を以て、やしなふべし。穀肉の脾胃をやしなふによろしきこと、参ぎの補にまされり。故に、古人の言に薬補は食補にしかずといへり。老人は殊に食補すべし、薬補は、やむことを得ざる時用ゆべし。

【薬を飲まなくても自然に治る病気が多い】(706)

 薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。これをしらで、みだりに薬を用て薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑずして、死にいたるもまた多し。薬を用ることつつしむべし。

【発病のとき薬を間違えると、……】(707)

 病の初発の時、症(しょう)を明に見付(みつけ)ずんば、みだりに早く薬を用ゆべからず。よく病症を詳(つまびらか)にして後、薬を用ゆべし。諸病の甚しくなるは、多くは初発の時、薬ちがへるによれり。あやまつて、病症にそむける薬を用ゆれば、治しがたし。故に療治の要は、初発にあり。病おこらば、早く良医をまねきて治すべし。症により、おそく治(じ)すれば、病ふかくなりて治しがたし。扁鵲(へんじゃく)が斉候に告げたるが如し。

【養生の道あり、長生の薬なし】(708)

 丘処機(きゅうしょき)が、「衛生の道ありて長生の薬なし」といへるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。養生は、只むまれ付(き)たる天年をたもつ道なり。古(いにしえ)の人も術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人、多かりしかど、そのしるしなく、かへつて薬毒にそこなはれし人あり。これ長生の薬なき也。久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。信ずべからず。

内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動静を時にせば、生れ付(き)たる天年をたもつべし。これ養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷(まよい)をやぶれり。この説信ずべし。凡そ、うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは迷をとく道なり。

【良い薬を選ぶ】(709)

 薬肆(やくし)の薬に、好否あり、真偽あり。心を用ひてゑらぶべし。性悪しきと、偽薬とを用ゆべからず。偽薬とは、真ならざる似せ薬也。拘橘(くきつ)を枳穀(きこく)とし、鶏腿児(けいたいじ)を柴胡(さいこ)とするの類(たぐい)なり。また、薬の良否に心を用ゆべし。その病に宜しき良方といへども、薬性あしければ功なし。また、薬の製法に心を用ゆべし。薬性よけれ共、修(こしらえ)、治方に背(そむ)けば能なし。

たとへば、食物もその土地により、時節につきて、味のよしあしあり。また、よき品物も、料理あしければ、味なくして、くはれざるが如し。こゝを以て、その薬性のよきをゑらび用ひ、その製法をくはしくすべし。

【薬の煎じ方】(710)

 いかなる珍味も、これを煮る法ちがひてあしければ、味あしゝ。良薬も煎法ちがへば験(しるし)なし。この故、薬を煎ずる法によく心を用ゆべし。文火とは、やはらかなる火也。武火とは、つよき火なり。文武火とは、つよからずやはらかならざる、よきかげんの火なり。風寒を発散し、食滞を消導(しょうどう)する類(るい)の剛剤(ごうざい)を利薬と云(う)。

利薬は、武火にてせんじて、はやくにあげ、いまだ熱せざる時、生気のつよきを服すべし。この如くすれば、薬力つよくして、邪気にかちやすし。久しく煎じて熟すれば、薬に生気の力なくして、よわし。邪気にかちがたし。補湯は、やはらかなる文火にて、ゆるやかに久しく煎じつめて、よく熟すべし。この如くならざれば、純補(じゅんぽ)しがたし。こゝを以て、利薬は生に宜しく熟に宜しからず。補薬は熟に宜しくして、生に宜しからず。しるべし、薬を煎ずるにこの二法あり。

【日本では中国の薬療よりも少なめに】(711)

 薬剤一服の大小の分量、中夏(ちゅうか)の古法を考がへ、本邦の土宜にかなひて、過不及(かふきゅう)なかるべし。近古、仲井家(なからいけ)には、日本の土地、民俗の風気に宜しとて、薬の重さ八分を一服とす。医家によりて一匁(もんめ)を一服とす。今の世、医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは稀(まれ)なり。中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至(る)。東垣(とうえん)は、三匁を用ひて一服とせしことあり。

中夏の人、煎湯の水を用ることは少なく、薬一服は大なれば、煎汁(せんじしる)甚(だ)濃(く)して、薬力つよく、病を冶すること早しと云(う)。然るに日本の薬、この如く小服なるは何ぞや。曰く、日本の医の薬剤小服なる故三あり。一には中華の人は、日本人より生質健(すこやか)に腸胃(ちょうい)つよき故、飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は生(うまれ)つき薄弱にして、腸胃よわく食少なく、牛鳥、犬羊の肉を食ふに宜しからず。かろき物をくらふに宜し。この故に、薬剤も昔より、小服に調合すと云(う)。これ一説なり。

されども中夏の人、日本の人、同じくこれ人なり。大小強弱少(し)かはる共、日本人、さほど大(き)におとること、今の医の用る薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一には、いたるべからず。然れば日本の薬、小服なること、この如くなるべからずと云(う)人あり。一説に或人の曰く、日本は薬種ともし。わが国になき物多し。はるかなるもろこし、諸蕃国の異舶に、載せ来るを買て、価(あたい)貴とし。大服なれば費(ついえ)多し。こゝを以て、薬剤を大服に合せがたし。ことに貧医は、薬種をおしみて多く用ひず。

然る故、小服にせしを、古来習ひ来りて、富貴の人の薬といへども小服にすと云(う)。これ一説也。また曰く、日本の医は、中華の医に及ばず。故に薬方を用ること、多くはその病に適当せざらんことを畏る。この故に、決定(けつじょう)して一方を大服にして用ひがたし。若(し)大服にして、その病に応ざぜれば、かへつて甚(だ)害をなさんことおそるべければ、小服を用ゆ。薬その病に応ぜざれども、小服なれば大なる害なし。若(し)応ずれば、小服にても、日をかさねて小益は有ぬべし。

こゝを以て古来、小服を用ゆと云(う)。これまた一説也。この三説によりて日本の薬、古来小服なりと云(う)。

【少なめよりも、せめて同量に】(712)

 日本人は、中夏の人の健(すこやか)にして、腸胃のつよきに及ばずして、薬を小服にするが宜しくとも、その形体、大小相似たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半(ば)に及ぶべからざらんや。然らば、薬剤を今少(し)大にするが、宜しかるべし。たとひ、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過(あやま)つては、則(ち)改るにはばかることなかれ。今の時医の薬剤を見るに、一服この如く小にしては、補湯といへども、接養の力なかるべし。

況(や)利湯(とう)を用る病は、外、風寒肌膚(きふ)をやぶり、大熱を生じ、内、飲食腸胃に塞(ふさが)り、積滞(しゃくたい)の重き、欝結(うっけつ)の甚しき、内外の邪気甚(はなはだ)つよき病をや。小なる薬力を以て、大なる病邪にかちがたきこと、たとへば、一盃(ぱい)の水を以て、一車薪の火を救ふべからざるが如し。また、小兵を以て、大敵にかちがたきが如し。薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効(しるし)あるべからず。

砒毒(ひどく)といへども、人、服すること一匁許(ばかり)に至りて死すと、古人いへり。一匁より少なくしては、砒霜(ひそう)をのんでも死なず、河豚(ふぐ)も多くくらはざれば死なず。つよき大毒すらかくの如し。況(や)ちからよはき小服の薬、いかでか大病にかつべきや。この理を能(く)思ひて、小服の薬、効なきことをしるべし。今時の医の用る薬方、その病に応ずるも多かるべし。しかれども、早く効を得ずして癒(いえ)がたきは、小服にて薬力たらざる故に非ずや。

【利薬の分量について】(713)

 今ひそかにおもんぱかるに、利薬は、一服の分量、一匁五分より以上、二匁に至るべし。その間の軽重は、人の大小強弱によりて、増減すべし。

【補薬の分量について】(714)

 補薬一服の分量は、一匁より一匁五分に至るべし。補薬つかえやすき人は、一服一匁或(あるいは)一匁二分なるべし。これまた、人の大小強弱によりて増減すべし。また、攻補兼(かね)用(う)る薬方あり、一服一匁二三分より、一匁七八分にいたるべし。

【婦人の薬量は男子より少ない】(715)

 婦人の薬は、男子より小服に宜し。利湯は一服一匁二分より一匁八分に至り、補湯は一匁より一匁五分にいたるべし。気体強大ならば、これより大服に宜し。

【子供の場合はさらに少ない】(716)

 小児の薬、一服は、五分より一匁に至るべし。これまた、児の大小をはかつて増減すべし。

【薬を煎じる水の分量】(717)

 大人の利薬を煎ずるに、水をはかる盞(さかずき)は、一盞(さん)に水を入るゝこと、大抵五十五匁より六十匁に至るべし。これ盞の重さを除きて水の重さなり。一服の大小に従つて水を増減すべし。利薬は、一服に水一盞半入(れ)て、薪をたき、或(あるいは)かたき炭を多くたきて、武火(つよび)を以て一盞にせんじ、一盞を二度にわかち、一度に半盞、服すべし。滓(かす)はすつべし。二度煎ずべからず。病つよくば、一日一夜に二服、猶(なお)その上にいたるべし。

大熱ありて渇する病には、その宜(ぎ)に随つて、多く用ゆべし。補薬を煎ずるには、一盞に水を入(る)ること、盞の重さを除き、水の重さ五十匁より五十五匁に至る。これまた、一服の大小に随(い)て、水を増減すべし。虚人の薬小服なるには、水五十匁入(いる)る盞を用ゆべし。壮人の薬、大服なるには水五十五匁入(る)る盞を用ゆべし。

一服に水二盞入(れ)て、けし炭を用ひ、文火(とろび)にてゆるやかにせんじつめて一盞とし、かすには、水一盞入(れ)て半盞にせんじ、前後合せて一盞半となるを、少(し)づつ、つかへざるやうに、空腹に、三四度に、熱服す。補湯は、一日に一服、若(し)つかえやすき人は、人により、朝夕はのみがたし、昼間二度のむ。短日は、二度はつかえて服しがたき人あり、病人によるべし。つかえざる人には、朝夕昼間一日に一服、猶(なお)その上も服すべし。食滞あらば、補湯のむべからず。食滞めぐりて後、のむべし。

【補薬について】(718)

 補薬は、滞塞(たいそく)しやすし。滞塞すれば害あり益なし。利薬を服するより、心を用ゆべし。もし大剤にして気塞(ふさ)がらば、小剤にすべし。或(は)棗(なつめ)を去り生姜(しょうきょう)を増すべし。補中益気湯などのつかえて用(い)がたきには、乾姜(かんきょう)、肉桂(にくけい)を加ふべき由、薜立斉(せつりゅうさい)が『医案』にいへり。

また、症により附子(ぶし)、肉桂(にくけい)を少(し)加へ、升麻(しょうま)、柴胡(さいこ)を用るに二薬ともに火を忌(い)めども、実にて炒(り)用ゆ。これ『正伝惑問』の説也。また、升麻、柴胡(さいこ)を去(り)て桂姜(けいきょう)を加ふることあり。李時珍(りじちん)も、補薬に少(し)附子(ぶし)を加ふれば、その功するどなり、といへり。虚人の熱なき症に、薬力をめぐらさん為ならば、一服に五釐(りん)か一分加ふべし。然れども病症によるべし。壮人には、いむべし。

【小さい人と弱い人、大きくて強い人の薬量】(719)

 身体短小にして、腸胃小なる人、虚弱なる人は、薬を服するに、小服に宜し。されども、一匁より小なるべからず。身体長大にして、腸胃ひろき人、つよき人は、薬、大服に宜し。

【子どもの薬の煎じ方】(720)

 小児の薬に、水をはかる盞(さかずき)は、一服の大小によりて、これも水五十匁より、五十五匁入(る)ほどなる盞を用ゆ。これまた、盞の重を除きて、水の重さなり。利湯は、一服に水一盞入(り)、七分に煎じ、二三度に用ゆ。かすはすつべし。補湯には、水一盞半を用て、七分に煎じ、度々に熱服す。これまた、かすはすつべし。或(は)かすにも水一盞入(れ)、半盞に煎じつめて用ゆべし。

【中国と日本、喪と薬】(721)

 中華の法、父母の喪は必ず三年、これ天下古今の通法なり。日本の人は体気、腸胃、薄弱なり。この故に、古法に、朝廷より期の喪を定め給ふ。三年の喪は二十七月也。期の喪は十二月なり。これ日本の人の、禀賦(ひんぷ)の薄弱なるにより、その宜を考へて、性にしたがへる中道なるべし。然るに近世の儒者、日本の土宜をしらず、古法にかゝはりて、三年の喪を行へる人、多くは病して死せり。喪にたへざるは、古人これを不孝とす。

これによつて思ふに、薬を用るもまた同じ。国土の宜をはかり考へて、中夏の薬剤の半(なかば)を一服と定めば宜しかるべし。然らば、一服は、一匁より二匁に至りて、その内、人の強弱、病の軽重によりて多少あるべし。凡そ時宜をしらず、法にかゝはるは、愚人のすることなり。俗流にしたがひて、道理を忘るゝは小人(しょうじん)のわざなり。

【日本独自の評価を】(722)

 右、薬一服の分量の大小、用水の多少を定むること、予、医生にあらずして好事の誚(そしり)、僣率(せんそつ)の罪、のがれたしといへども、今時(こんじ)、本邦の人の禀賦(ひんぷ)をはかるに、おそらくは、かくの如くにして宜しかるべし。願くば有識の人、博く古今を考へ、日本の人の生れ付(つき)に応じ、時宜にかなひて、過不及の差(たがい)なく、軽重大小を定め給ふべし。

【煎薬に加える四味】(723)

 煎薬に加ふる四味あり。甘草(かんぞう)は、薬毒をけし、脾胃を補なふ。生姜(しょうきょう)は薬力をめぐらし、胃を開く。棗(なつめ)は元気を補ひ、胃をます。葱白(そうはく)は風寒を発散す。これ『入門』にいへり。また、燈心草(とうしんそう)は、小便を通じ、腫気を消す。

【泡薬の法とは】(724)

 今世、医家に泡薬(ひたしやく)の法あり。薬剤を煎ぜずして、沸湯(ふっとう)にひたすなり。世俗に用る振薬(ふりやく)にはあらず。この法、振薬にまされり。その法、薬剤を細(こまか)にきざみ、細なる竹篩(たけふるい)にてふるひ、もれざるをば、また、細にきざみ粗末とすべし。布の薬袋をひろくして薬を入れ、まづ碗を熱湯にてあたゝめ、その湯はすて、やがて薬袋を碗に入(れ)、その上より沸湯を少(し)そゝぎ、薬袋を打返して、また、その上より沸湯を少(し)そゝぐ。

両度に合せて半盞(はんさん)ほど熱湯をそゝぐべし。薬の液(しる)の自然(じねん)に出るに任せて、振出すべからず。早く蓋をして、しばし置べし。久しくふたをしおけば、薬汁(やくじゅう)出過(ぎ)てちからなし。薬汁出で、熱湯の少(し)さめて温(か)になりたるよきかんの時、飲(む)べし。かくの如くして二度泡(ひた)し、二度のみて後、そのかすはすつべし。袋のかすをしぼるべからず。薬汁濁(にごり)てあしし。この法薬力つよし。利薬には、この煎法も宜し。

外邪、食傷(しょくしょう)、腹痛、霍乱(かくらん)などの病には、煎湯よりもこの法の功するどなり、用ゆべし。振薬(ふりやく)は用ゆべからず。この法、薬汁早く出(で)て薬力つよし。たとへば、茶を沸湯に浸して、そのにえばなをのめば、その気つよく味もよし。久しく煎じ過せば、茶の味も気もあしくなるが如し。

【振薬とは】(725)

 世俗には、振薬(ふりやく)とて、薬を袋に入て熱湯につけて、箸にてはさみ、しきりにふりうごかし、薬汁を出して服す。これは、自然に薬汁出(いず)るにあらず。しきりにふり出す故、薬湯にごり、薬力滞(とどこおり)やすし。補薬は、常の煎法の如く、煎じ熟すべし。泡薬に宜からず。凡そ煎薬を入る袋は、あらき布はあしゝ。薬末もりて薬汁にごれば、滞りやすし。もろこしの書にて、泡薬の事いまだ見ずといへども、今の時宜によりて、用るも可也。古法にあらずしても、時宜よくかなはゞ用ゆべし。

【補湯と利薬】(726)

 『頤生微論』(いせいびろん)に曰く、「大抵散利の剤は生に宜(し)。補養の剤は熱に宜(し)」。『入門』に曰く、「補湯は熟を用須。利薬は生を嫌はず」。この法、薬を煎ずる要訣(けつ)なり。補湯は、久しく煎じて熟すれば、やはらかにして能(よく)補ふ。利薬は、生気のつよきを用て、はげしく病邪をうつべし。

【補湯の飲み方】(727)

 補湯は、煎湯熱き時、少づゝのめばつかえず。ゆるやかに験(げん)を得べし。一時に多く服すべからず。補湯を服する間、殊(に)酒食を過(すご)さず、一切の停滞する物くらふべからず。酒食滞塞(たいそく)し、或(あるいは)薬を服し過し、薬力めぐらざれば、気をふさぎ、服中滞り、食を妨げて病をます。しるしなくして害あり。故に補薬を用ること、その節制むづかし。良医は、用(い)やう能(よく)してなづまず。庸医は用やうあしくして滞る。

古人は、補薬を用るその間に、邪をさる薬を兼(ね)用(もち)ゆ。邪気されば、補薬にちからあり。補に専一なれば、なづみて益なく、かへつて害あり。これ古人の説なり。

【利薬の方法】(728)

 利薬は、大服にして、武火(つよび)にて早く煎じ、多くのみて、速に効(しるし)をとるべし。然らざれば、邪去がたし。『局方』に曰く、「補薬は水を多くして煎じ、熱服して効をとる」。

【丸薬とは】(729)

 凡そ丸薬は、性尤(も)やはらかに、その功、にぶくしてするどならず。下部(げぶ)に達する薬、また、腸胃の積滞(しゃくたい)をやぶるによし。散薬は、細末せる粉薬也。丸薬よりするどなり。経絡にはめぐりがたし。上部の病、また、腸胃の間の病によし。煎湯は散薬よりその功するどなり。上中下、腸胃、経絡にめぐる。泡(ひたし)薬は煎湯より猶(なお)するどなり。外邪、霍乱、食傷、腹痛に用(う)べし。その功早し。

【薬と食事】(730)

 『入門』にいへるは、薬を服するに、病、上部にあるには、食後に少づゝ服す。一時に多くのむべからず。病、中部に在(る)には、食遠に服す。病、下部にあるには、空心にしきりに多く服して下に達すべし。病、四肢、血脈にあるには、食にうゑて日中に宜し。病、骨髄に在には食後夜に宜し。吐逆(とぎゃく)して薬を納(め)がたきには、只一すくひ、少づゝ、しづかにのむべし。急に多くのむべからず。これ薬を飲法也。しらずんば有(る)べからず。

【砂かんについて】(731)

 また曰く、「薬を煎ずるに砂かん(しゃかん)を用ゆべし」。やきものなべ也。また曰く、「人をゑらぶべし」。云意(いうこころ)は、心謹信なる人に煎じさせてよしと也。粗率(そそつ)なる者に任すべからず。

【湯と散と丸薬】(732)

 薬を服するに、五臓四肢に達するには湯(とう)を用ゆ。胃中にとゞめんとせば、散を用ゆ。下部の病には丸(がん)に宜し。急速の病ならば、湯を用ゆ。緩々なるには散を用ゆ。甚(だ)緩(ゆる)き症には、丸薬に宜し。食傷、腹痛などの急病には煎湯を用ゆ。散薬も可也。丸薬はにぶし。もし用ひば、こまかにかみくだきて用ゆべし。

【いろいろな薬】(733)

 中華の書に、薬剤の量数をしるせるを見るに、八解散など、毎服二匁、水一盞(さん)、生薑(しょうきょう)三片、棗(なつめ)一枚煎じて七分にいたる。これは一日夜に二三服も用ゆべし。或は方によりて、毎服三匁、水一盞(さん)半、生薑(しょうきょう)五片、棗一枚、一盞に煎じて滓(かす)を去る。香蘇散(こうそさん)などは、日に三服といへり。まれには滓(かす)を一服として煎ずと云。多くは滓(かす)を去(さる)といへり。

人参養胃湯(にんじんよういとう)などは、毎服四匁、水一盞半、薑(きょう)七片、烏梅(うばい)一箇、煎じて七分にいたり、滓を去。参蘇飲(じんそいん)は毎服四匁、水一盞、生薑七片、棗一箇、六分に煎ず。霍香生気散(かつこうしょうきさん)、敗毒散(はいどくさん)は、毎服二匁、水一盞、生薑(しょうが)三片、棗一枚、七分に煎ず。寒多きは熱服し、熱多きは温服(おんぷく)すといへり。これ皆、薬剤一服の分量は多く、水を用ることすくなし。然れば、煎湯甚(だ)濃(く)なるべし。

日本の煎法の、小服にして水多きに甚(だ)異(かわ)れり。『局方』に、「小児には半餞を用ゆも児の大小をはかつて加減す」といへり。また、小児の薬方、「毎服一匁、水八分、煎じて六分にいたる」といへるもあり。『医書大全』、四君子湯方(ほう)後(のちに)曰く、「右*(きざむこと)、麻豆の大(の)如し。毎服一匁、水三盞、生薑五片、煎じて一盞に至る」。これ一服を十匁に合せたる也。水は甚(だ)少し。

【煎法は中国も朝鮮も同じ】(734)

 中夏の煎法(せんぽう)右の如し。朝鮮人に尋ねしにも、中夏の煎法と同じと云。

【煮散とは】(735)

 宋の沈存中(しんぞんちゅう)が『筆談』と云書に曰く、「近世は湯を用ずして煮散を用ゆ」といへり。然れば、中夏には、この法を用るなるべし。煮散のこと、『筆談』にその法詳(つまびらか)ならず。煮散は薬を麁末(そまつ)とし、細布の薬袋のひろきに入(れ)、熱湯の沸上(わきあが)る時、薬袋を入、しばらく煮て、薬汁出たる時、早く取り上げ用(い)るなるべし。麁末の散薬を煎ずる故、煮散と名づけしにや。薬汁早く出(で)、早く取上げ、にゑばなを服する故、薬力つよし。

煎じ過せば、薬力よはく成てしるしなり。この法、利湯を煎じて、薬力つよかるべし。補薬にはこの法用いがたし。煮散の法、他書においてはいまだ見ず。

【甘草について】(736)

 甘草(かんぞう)をも、今の俗医、中夏の十分一用ゆるは、あまり小にして、他薬の助(たすけ)となりがたかるべし。せめて方書に用たる分量の五分一用べしと云人あり。この言、むべなるかな。人の禀賦(ひんぷ)をはかり、病症を考へて、加へ用ゆべし。日本の人は、中華の人より体気薄弱にして、純補(じゅんぽ)をうけがたし。甘草、棗など斟酌(しんしゃく)すべし。

李中梓(りちゅうし)が曰く、「甘草性緩なり。多く用ゆべからず。一は、甘きは、よく脹(ちょう)をなすをおそる。一は、薬餌(やくじ)功なきをおそる」。これ甘草多ければ、一は気をふさぎて、つかえやすく、一は、薬力よはくなる故なり。

【生薑の用い方】(737)

 生薑(しょうきょう)は薬一服に一片、若し風寒発散の剤、或(は)痰を去る薬には、二片を用ゆべし。皮を去べからず。かわきたるとほしたるは用るべからず。或曰く、「生薑(しょうきょう)補湯には二分、利湯には三分、嘔吐の症には四分加ふべし」と云。これ生(なま)なる分量なり。

【棗について】(738)

 棗は、大なるをゑらび用ひてたねを去(り)、一服に半分入用ゆべし。つかえやすき症には去べし。利湯には、棗を用べからず。中華の書には、利湯にも、方によりて棗を用ゆ。日本の人には泥(なず)みやすし、加ふべからず。加ふれば、薬力ぬるくなる。中満、食滞の症及(び)薬のつかえやすき人には、棗を加ふべからず。龍眼肉も、つかえやすき症には去べし。

【中国の料理は脂っこい】(739)

 中夏の書、『居家必用』(きょかひつよう)、『居家必備』(きょかひつび)、『斉民要術』(せいみんようじゅつ)、『農政全書』、『月令広義』(がつりょうこうぎ)等に、料理の法を多くのせたり。そのする所、日本の料理に大いにかはり、皆、肥濃膏腴(ひのうこうゆ)、油膩(ゆに)の具、甘美の饌(せん)なり。その食味甚(だ)おもし。中土の人は、腸胃厚く、禀賦(ひんぷ)つよき故に、かゝる重味を食しても滞塞せず。今世、長崎に来る中夏人も、またこの如きと云。

日本の人は壮盛(そうせい)にても、かたうの饌食をくらはば飽満し、滞塞して病おこるべし。日本の人の饌食は、淡くしてかろきをよしとす。肥濃甘美の味を多く用ず。庖人の術も、味かろきをよしとし、良工とす。これ、からやまと風気の大に異る処なり。然れば、補薬を小服にし、甘草を減じ、棗を少、用ることむべなり。

【薬を煎じる水】(740)

 凡そ薬を煎ずるに、水をゑらぶべし。清くして味よきを用ゆ。新に汲む水を用ゆべし。早天に汲む水を井華水と云。薬を煎ずべし。また、茶と羹(あつもの)をにるべし。新汲水は、平旦ならでも、新に汲んでいまだ器に入ざるを云。これまた用ゆべし。汲で器に入、久しくなるは用ゆべからず。

【利湯の滓は捨てるべし】(741)

 今世の俗は、利湯をも、煎じたるかすに、水一盞入て半分に煎じ、別にせんじたると合せ服す。利湯は、かくの如く、かすまで熟し過しては、薬力よはくして、病をせむるにちからなし。一度煎じて、そのかすはすつべし。

【生薑の片について】(742)

 生薑(しょうきょう)を片とするは、生薑根(こん)には肢(また)多し。その内一肢(また)をたてに長くわるに、大小にしたがひて、三片或(は)四片とすべし。たてにわるべし。或(は)問、生薑(しょうきょう)、医書にそのおもさ幾分と云ずして、幾片と云は何ぞや。答曰く、新にほり出せるは、生にしておもく、ほり出して日をいたるは、かはきてかろければ、その重さ幾分と定(さだめ)がたし。故に幾分と云ずして幾片と云。

【棗の取り方と加工法】(743)

 棗は、樹頭に在(り)てよく熟し、色の青きが白くなり、少(し)紅まじる時とるべし。青きはいまだ熟せず、皆、紅なるは熟し過て、肉たゞれてあしゝ。色少あかくなり、熟し過ざる時とり、日に久しくほし、よくかはきたる時、むしてほすべし。生にてむすべからず。なまびもあしゝ。薬舗(くすりや)及(び)市廛(てん)にうるは、未熟なるをほしてうる故に性あしゝ。用ゆべからず。或(は)樹上にて熟し過るもたゞれてあしゝ。用ゆべからず。棗樹は、わが宅に必ず植べし。熟してよきころの時とるべし。

【薬を飲んだ後は、……】(744)

 凡そ薬を服して後、久しく飲食すべからず。また、薬力のいまだめぐらざる内に、酒食をいむ。また、薬をのんでねむり臥すべからず。ねむれば薬力めぐらず、滞(とどこお)りて害となる。必ず戒むべし。

【薬と一緒に飲食してはいけないもの】(745)

 凡そ薬を服する時は、朝夕の食、常よりも殊につゝしみゑらぶべし。あぶら多き魚、鳥、獣、なます、さしみ、すし、肉(しし)ひしほ、なし物、なまぐさき物、ねばき物、かたき物、一切の生冷の物、生菜の熟せざる物、ふるくけがらはしき物、色あしく臭(か)あしく味変じたる物、生なる菓(このみ)、つくりたる菓子、あめ、砂糖、もち、だんご、気をふさぐ物、消化しがたき物、くらふべからず。また、薬をのむ日は、酒を多くのむべからず。のまざるは尤(もっとも)よし。

酒力、薬にかてばしるしなし。醴(あまざけ)ものむべからず。日長き時も、昼の間、菓子点心(てんじん)などくらふべからず。薬力のめぐる間は、食をいむべし。点心をくらへば、気をふさぎて、昼の間、薬力めぐらず。また、死人、産婦など、けがれいむべき物を見れば、気をふさぐ故、薬力めぐりがたく、滞やすくして、薬のしるしなし。いましめてみるべからず。

【薬を煎じるときの炭】(746)

 補薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などのつよき火を用ゆべからず。かれたる蘆(あし)の火、枯竹、桑柴(くわしば)の火、或(は)けし炭(ずみ)など、一切のやはらかなる火よし。はげしくもゆる火を用ゆれば、薬力を損ず。利薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などの、さかんなるつよき火を用ゆべし。これ薬力をたすくるなり。

【薬一服の量を調整】(747)

 薬一服の大小、軽重は、病症により、人の大小強弱によつて、増減すべし。補湯は、小剤にして少づゝ服し、おそく効(しるし)をとるべし。多く用ひ過せば、滞りふさがる。発散、瀉下(しゃげ)、疎通の利湯は、大剤にしてつよきに宜し、早く効(しるし)をとるべし。

【薬を煎じる器】(748)

 薬を煎ずるは、磁器よし、陶(やきもの)器也。また、砂罐(しゃかん)と云。銅をいまざる薬は、ふるき銅器もよし。新しきは銅(あかがね)気多くしてあしゝ。世俗に薬鍋(やくか)と云は、銅厚くして銅(あかがね)気多し。薬罐(やかん)と云は、銅うすくして銅(あかがね)気すくなし。形小なるがよし。

【煎じ詰めてはダメ】(749)

 利薬を久しく煎じつめては、消導(しょうどう)発散すべき生気の力なし。煎じつめずして、*(にん)を失はざる生気あるを服して、病をせむべし。たとへば、茶をせんじ、生魚を煮、豆腐を煮るが如し。生熟の間、よき程の*(にえばな)を失はざれば、味よくしてつかえず。*(にえばな)を失へば、味あしくして、つかえやすきが如し。

【毒消しの薬には冷水】(750)

 毒にあたりて、薬を用るに、必ず熱湯を用ゆべからず。熱湯を用ゆれば毒弥(いよいよ)甚し。冷水を用ゆべし。これ事林広記(じりんこうき)の説なり。しらずんばあるべからず。

【毒にあたって、毒消しがなかったら冷水】(751)

 食物の毒、一切の毒にあたりたるに、黒豆、甘草(かんぞう)をこく煎じ、冷になりたる時、しきりにのむべし。温熱なるをのむべからず。はちく竹の葉を、加ふるもよし。もし毒をけす薬なくば、冷水を多く飲べし。多く吐瀉(としゃ)すればよし。これ古人急に備ふる法なり。知(しる)べし。

【煎湯に酒を加えるとき】(752)

 酒を煎湯に加ふるには、薬を煎じて後、あげんとする時加ふべし。早く加ふるあしゝ。

【腎臓は他の臓器と関係?】(753)

 腎は、水を主(つかさ)どる。五臓六腑の精をうけてをさむ故、五臓盛(さかん)なれば、腎水盛なり。腎の臓ひとつに、精あるに非ず。然れば、腎を補はんとて専(もっぱら)腎薬を用ゆべからず。腎は下部にあつて五臓六腑の根とす。腎気、虚すれば一身の根本衰ろふ。故に、養生の道は、腎気をよく保つべし。腎気亡びては生命を保ちがたし。精気をおしまずして、薬治と食治とを以て、腎を補はんとするは末なり。しるしなかるべし。

【上焦・中焦・下焦】(754)

 東垣が曰く、細末の薬は経絡にめぐらず。只、胃中臓腑の積(しゃく)を去る。下部の病には、大丸を用ゆ。中焦(ちゅうしょう)の病は之に次ぐ。上焦を治するには極めて小丸にす。うすき糊(のり)にて丸(がん)ずるは、化しやすきに取る。こき糊にて丸ずるは、おそく化して、中下焦に至る。

【丸薬の大きさ】(755)

 丸薬、上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は小丸(しょうがん)にして堅かるべし。下焦の薬は大丸にして堅きがよし。これ、『頤生微論』(いせいびろん)の説也。また、湯は久き病に用ゆ。散は急なる病に用ゆ。丸(がん)はゆるやかなる病に用ること、東垣(とうえん)が『珍珠嚢』(ちんしゅのう)に見えたり。

【秤について】(756)

 中夏の秤(はかり)も、日本の秤と同じ。薬を合(あわ)するには、かねて一服の分量を定め、各品の分釐(ぶんり)をきはめ、釐等(りんだめ)を用ひてかけ合すべし。薬により軽重甚(だ)かはれり、多少を以て分量を定めがたし。

【さまざまな香】(757)

 諸香(こう)の鼻を養ふこと、五味の口を養ふがごとし。諸香は、これをかげば生気をたすけ、邪気をはらひ、悪臭をけし、けがれをさり、神明に通ず。いとまありて、静室に坐して、香をたきて黙坐するは、雅趣をたすけて心を養ふべし。これまた、養生の一端なり。香に四品あり。たき香あり、掛香あり、食香あり、貼(つけ)香あり。たき香とは、あはせたきものゝこと也。からの書に百和香(ひやつかこう)と云。

日本にも、『古今和歌集』の物の名に百和香をよめり。かけ香とは、かほり袋、にほひの玉などを云。貼香とは、花の露、兵部卿など云類の、身につくる香也。食香とは、食して香よき物、透頂香(とうちんこう)、香茶餅(こうさべい)、団茶(だんさ)など云物のこと也。

【悪気をさるに、蒼朮をたく】(758)

 悪気をさるに、蒼朮(そうじゅつ)をたくべし。胡*(こずい)の実をたけば、邪気をはらふ。また、痘瘡のけがれをさる。蘿*(らも)の葉をほしてたけば、糞小便の悪気をはらふ。手のけがれたるにも蘿*(らも)の生葉をもんでぬるべし。腥(なまぐさ)き臭(におい)悪しき物を、食したるに、胡*(こずい)をくらへば悪臭さる。蘿*(らも)のわか葉を煮て食すれば、味よく性よし。

【便秘のとき】(759)

 大便、瀉(しや)しやすきは大いにあしし。少(し)秘するはよし。老人の秘結するは寿(ながいき)のしるし也。尤(も)よし。然(れ)共、甚秘結するはあしし。およそ人の脾胃につかえ、食滞り、或(は)腹痛し、不食し、気塞(ふさが)る病する人、世に多し。これ多くは、大便通じがたくして、滞る故しかり。つかゆるは、大便つかゆる也。大便滞らざるやうに治(じ)すべし。麻仁(まにん)、杏仁(きょうにん)、胡麻などつねに食すれば、腸胃うるほひて便結せず。

【早く消化をする丸薬】(760)

 上中部の丸薬は早く消化するをよしとす。故に、小丸を用ゆ。早く消化する故也。今、新なる一法あり。用ゆべし。末薬をのりに和(か)してつねの如くに丸せず、線香の如く、長さ七八寸に、手にてもみて、引のべ、線香より少(し)大にして、日にほし、なまびの時、長さ一分余に、みじかく切て丸せず、そのまゝ日にほすべし。これ一づゝ丸したるより消化しやすし。上中部を治するに、この法宜し。下部に達する丸薬には、この法宜しからず。この法、一粒づゝ丸ずるより、はか行きて早く成る。


(巻第八)

養老

【親を養う】(801)

 人の子となりては、そのおやを養ふ道をしらずんばあるべからず。その心を楽しましめ、その心にそむかず、いからしめず、うれへしめず。その時の寒暑にしたがひ、その居室とその祢所(そのねどころ)をやすくし、その飲食を味よくして、まことを以て養ふべし。

【老人は子どものように】(802)

 老人は、体気おとろへ、胃腸よはし。つねに小児を養ふごとく、心を用ゆべし。飲食のこのみ、きらひをたづね、その寒温の宜きをこゝろみ、居室をいさぎよくし、風雨をふせぎ、冬あたゝかに、夏涼しくし、風・寒・暑・湿の邪気をよく防ぎて、おかさしめず、つねに心を安楽ならしむべし。盗賊・水火の不意なる変災あらば、先ず両親を驚かしめず、早く介保(かいほう)し出(いだ)すべし。変にあひて、病おこらざるやうに、心づかひ有べし。老人は、驚けば病おこる。おそるべし。

【老いては心静かに】(803)

 老の身は、余命久しからざることを思ひ、心を用ることわかき時にかはるべし。心しづかに、事少なくて、人に交はることもまれならんこそ、あひ似あひてよろしかるべけれ。これもまた、老人の気を養ふ道なり。

【老後は楽しむべし】(804)

 老後は、わかき時より月日の早きこと、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに、日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし。心しづかに、従容(しょうよう)として余日を楽み、いかりなく、慾少なくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし。人の子たる者、これを心にかけて思はざるべんけや。

【老いて多欲を慎む】(805)

 今の世、老て子に養はるゝ人、わかき時より、かへつていかり多く、慾ふかくなりて、子をせめ、人をとがめて、晩節をもたず、心をみだす人多し。つゝしみて、いかりと慾とをこらえ、晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、子の不孝をせめず、つねに楽しみて残年をおくるべし。これ老後の境界(きょうがい)に相応じてよし。孔子、年老血気衰へては得るを戒しめ給ふ。聖人の言おそるべし。世俗、わかき時は頗(すこぶる)つゝしむ人あり。

老後はかへつて、多慾にして、いかりうらみ多く、晩節をうしなうふ人多し。つゝしむべし。子としてはこれを思ひ、父母のいかりおこらざるやうに、かねて思ひはかり、おそれつゝしむべし。父母をいからしむるは、子の大不孝也。また子として、わが身の不孝なるを、おやにとがめられ、かへつておやの老耄(ろうもう)したる由を、人につぐ。これ大不孝也。不孝にして父母をうらむるは、悪人のならひ也。

【老人養生の道】(806)

 老人の保養は、常に元気をおしみて、へらすべからず。気息を静にして、あらくすべからず。言語(げんぎょ)をゆるやかにして、早くせず。言(ことば)少なくし、起居行歩をも、しづかにすべし。言語あらゝかに、口ばやく声高く、*言(ようげん)すべからず。怒なく、うれひなく、過ぎ去たる人の過を、とがむべからず。我が過を、しきりに悔ゆべからず。人の無礼なる横逆を、いかりうらむべからず。これ皆、老人養生の道なり。また、老人の徳行のつゝしみなり。

【老いても気を減らさない】(807)

 老ては気すくなし。気をへらすことをいむべし。第一、いかるべからず。うれひ、かなしみ、なき、なげくべからず。喪葬のことにあづからしむべからず。死をとぶらふべからず。思ひを過すべからず。尤多言をいむ。口、はやく物云べからず。高く物いひ、高くわらひ、高くうたふべからず。道を遠く行くべからず。重き物をあぐべからず。これ皆、気をへらさずして、気をおしむなり。

【老人を養う】(808)

 老人は体気よはし。これを養ふは大事なり。子たる者、つゝしんで心を用ひ、おろそかにすべからず。第一、心にそむかず、心を楽しましむべし。これ志を養ふ也。また、口腹の養におろそかなるべからず。酒食精(くわ)しく味よき物をすゝむべし。食の精(くわ)しからざる、あらき物、味悪しき物、性悪しき物をすゝむべからず。老人は、胃腸よはし、あらき物にやぶられやすし。

【老衰の人の夏と冬】(809)

 衰老の人は、脾胃よはし。夏月は、尤慎んで保養すべし。暑熱によつて、生冷の物をくらへば泄瀉(せつしゃ)しやすし。瘧痢(ぎゃくり)もおそるべし。一たび病すれば、大(い)にやぶれて元気へる。残暑の時、殊におそるべし。また、寒月は、老人は陽気少なくして寒邪にやぶられやすし。心を用てふせぐべし。

【老人の食べ物】(810)

 老人はことに生冷、こはき物、あぶらけねばく、滞りやすき物、こがれてかはける物、ふるき物、くさき物をいむ。五味偏なる物、味よしとても、多く食ふべからず。夜食を、殊に心を用てつゝしむべし。

【老いたら寂しいのを嫌う】(811)

 年老ては、さびしきをきらふ。子たる者、時々侍べり、古今のこと、しずかに物がたりして、親の心をなぐさむべし。もし朋友妻子には和順にして、久しく対談することをよろこび、父母に対することをむづかしく思ひて、たえだえにしてうとくするは、これその親を愛せずして他人を愛する也。悖徳(はいとく)と云べし。不孝の至也。おろかなるかな。

【暖かい日には、……】(812)

 天気和暖(かだん)の日は、園圃(えんぼ)に出、高き所に上り、心をひろく遊ばしめ、欝滞(うつたい)を開くべし。時時草木を愛し、遊賞せしめて、その意(こころ)を快くすべし。されども、老人みづからは、園囿(えんゆう)、花木に心を用ひ過して、心を労すべからず。

【老人は用心深くすべし】(813)

 老人は気よはし。万(よろず)の事、用心ふかくすべし。すでにその事にのぞみても、わが身をかへりみて、気力の及びがたきことは、なすべからず。

【行く先短い人に対して子は?】(814)

 とし下寿(かじゅ)をこゑ、七そぢにいたりては、一とせをこゆるも、いとかたきことになん。このころにいたりては、一とせの間にも、気体のおとろへ、時々に変りゆくこと、わかき時、数年を過るよりも、猶はなはだけぢめあらはなり。かくおとろへゆく老の身なれば、よくやしなはずんば、よはひを久しくたもちがたかるべし。また、このとしごろにいたりては、一とせをふること、わかき時、一二月を過るよりもはやし。

おほからぬ余命をもちて、かく年月早くたちぬれば、この後のよはひ、いく程もなからんことを思ふべし。人の子たらん者、この時、心を用ひずして孝をつくさず、むなしく過なんこと、おろかなるかな。

【老いては日を惜しめ】(815)

 老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。いかり、うらむべからず。また、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、天命をやすんじて、うれふべからず。つねに楽しみて日を送るべし。

人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。たとひ家まどしく、幸(さいわい)なくしても、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。

【老いたらなす事を少なく】(816)

 年老ては、やうやく事をはぶきて、少なくすべし。事をこのみて、おほくすべからず。このむ事しげゝれば、事多し。事多ければ、心気つかれて楽(たのしみ)をうしなふ。

【朱子の教え……肉を少なく】(817)

 朱子六十八歳、その子に与ふる書に、衰病の人、多くは飲食過度によりて、くはゝる。殊に肉多く食するは害あり。朝夕、肉は只一種、少食すべし。多くは食ふべからず。あつものに肉あらば、*(さい)に肉なきがよし。晩食には、肉なきが尤(も)よし。肉の数、多く重ぬるは滞りて害あり。肉を少なくするは、一には胃を寛くして、気を養ひ、一には用を節にして、財を養ふといへり。朱子のこの言、養生にせつなり。わかき人もこの如くすべし。

【大風雨・大寒暑・大陰霧のときは家にいる】(818)

 老人は、大風雨、大寒暑、大陰霧の時に外に出(いず)べからず。かゝる時は、内に居て、外邪をさけて静養すべし。

【食を過ごさないように】(819)

 老ては、脾胃の気衰へよはくなる。食すくなきに宜し。多食するは危し。老人の頓死するは、十に九は皆食傷なり。わかくして、脾胃つよき時にならひて、食過れば、消化しがたく、元気ふさがり、病おこりて死す。つゝしみて、食を過すべからず。ねばき飯(いい)、こはき飯、もち、だんご、(めん)類、糯(もち)の飯、獣の肉、凡そ消化しがたき物を多くくらふべからず。

【老人の食事】(820)

 「衰老の人、あらき物、多くくらふべからず。精(くわ)しき物を少なくらふべし」と、元の許衡(きょこう)いへり。脾胃よはき故也。老人の食、この如くなるべし。

【病気になったら、まず食事療法】(821)

 老人病あらば、先ず食治(しょくち)すべし。食治応ぜずして後、薬治を用ゆべし。これ古人の説也。人参、黄*(おうぎ)は上薬也。虚損の病ある時は用ゆべし。病なき時は、穀肉の養(やしない)の益あること、参*(じんぎ)の補に甚(はなはだ)まされり。故に、老人はつねに味美(よ)く、性よき食物を少づゝ用て補養すべし。病なきに、偏なる薬をもちゆべからず。かへつて害あり。

【間食を慎む】(822)

 朝夕の飯、常の如く食して、その上にまた、*餌(こうじ)、*類(めんるい)など、わかき時の如く、多くくらふべからず。やぶられやすし。只、朝夕二時の食、味よくして進むべし。昼間、夜中、不時の食、このむべからず。やぶられやすし。殊(ことに)薬をのむ時、不時に食すべからず。

【年をとったら自分で楽しむ】(823)

 年老ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。時にしたがひ、自楽しむべし。自楽むは世俗の楽に非(あら)ず。只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一事のわづらひなく、天地四時、山川の好景、草木の欣栄(きんえい)、これまた、楽しむべし。

【老後は心と身体を養う】(824)

 老後、官職なき人は、つねに、只わが心と身を養ふ工夫を専(もっぱら)にすべし。老境に無益のつとめのわざと、芸術に、心を労し、気力をついやすべからず。

【老後は静かに過ごす】(825)

 朝は、静室に安坐し、香をたきて、聖経(せいきょう)を少(し)読誦(どくじゅ)し、心をいさぎよくし、俗慮をやむべし。道かはき、風なくば、庭圃(ていほ)に出て、従容(しょうよう)として緩歩(かんぽ)し、草木を愛玩し、時景を感賞すべし。室に帰りても、閑人を以て薬事をなすべし。よりより几案硯中(きあんけんちゅう)のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して、睡臥すべからず。また、世俗に広く交るべからず。老人に宜しからず。

【常に静養をしなさい】(826)

 つねに静養すべし。あらき所作をなくすべからず。老人は、少の労動により、少の、やぶれ、つかれ、うれひによりて、たちまち大病おこり、死にいたることあり。つねに心を用ゆべし。

【あぐらで背もたれを】(827)

 老人は、つねに盤坐(ばんざ)して、凭几(しょうぎ)をうしろにおきて、よりかゝり坐すべし。平臥を好むべからず。


育幼

【三分の飢えと寒さ】(828)

 「小児をそだつるは、三分の飢と寒とを存すべし」と、古人いへり。いふ意(こころ)は、小児はすこし、うやし(飢)、少(し)ひやすべしとなり。小児にかぎらず、大人もまたかくの如くすべし。小児に、味よき食に、あかしめ(飽)、きぬ多くきせて、あたゝめ過すは、大にわざはひとなる。俗人と婦人は、理にくらくして、子を養ふ道をしらず、只、あくまでうまき物をくはせ、きぬあつくきせ、あたゝめ過すゆへ、必ず病多く、或(あるいは)命短し。貧家の子は、衣食ともしき故、無病にしていのち長し。

【小児は熱を逃がすように】(829)

 小児は、脾胃もろくしてせばし。故に食にやぶられやすし。つねに病人をたもつごとくにすべし。小児は、陽さかんにして熱多し。つねに熱をおそれて、熱をもらすべし。あたため過せば筋骨よはし。天気よき時は、外に出して、風日にあたらしむべし。この如くすれば、身堅固にして病なし。はだにきする服は、ふるき布を用ゆ。新しききぬ、新しきわたは、あたゝめ過してあしゝ。用ゆべからず。

【参考図書】(830)

 小児を保養する法は、香月牛山医士のあらはせる『育草』(やしないぐさ)に詳(つまびらか)に記せり。考みるべし。故に今こゝに略せり。




【鍼の効用と注意】(831)

 鍼をさすことはいかん。曰く、鍼をさすは、血気の滞をめぐらし、腹中の積(しゃく)をちらし、手足の頑痺(がんひ)をのぞく。外に気をもらし、内に気をめぐらし、上下左右に気を導く。積滞(しゃくたい)、腹痛などの急症に用て、消導(しょうどう)すること、薬と灸より速(か)なり。積滞なきにさせば、元気をへらす。故に『正伝或問』に、「鍼に瀉(しゃ)あつて補なし」といへり。然れども、鍼をさして滞を瀉し、気めぐりて塞らざれば、そのあとは、食補も薬補もなしやすし。

『内経』(ないけい)に、「*々(かくかく)の熱を刺すことなかれ。渾々の脈を刺(す)ことなかれ。鹿々(ろくろく)の汗を刺ことなかれ。大労の人を刺ことなかれ。大飢の人をさすことなかれ。大渇の人、新に飽る人、大驚の人を刺ことなかれ」といへり。また曰く、形気不足、病気不足の人を刺ことなかれ、これ、『内経』の戒(いましめ)なり。「これ皆、瀉有て、補無きを謂也」と『正伝』にいへり。

また、浴(ゆあみ)して後、即時に鍼すべからず。酒に酔へる人に鍼すべからず。食に飽て即時に鍼さすべからず。針医も、病人も、右、『内経』の禁をしりて守るべし。鍼を用て、利あることも、害することも、薬と灸より速なり。よくその利害をえらぶべし。つよく刺て痛み甚しきはあしゝ。また、右にいへる禁戒を犯せば、気へり、気のぼり、気うごく、はやく病を去んとして、かへつて病くはゝる。これよくせんとして、あしくなる也。つゝしむべし。

【年寄りの治療は緩やかに】(832)

 衰老の人は、薬治、鍼灸、導引、按摩を行ふにも、にはかにいやさんとして、あらくすべからず。あらくするは、これ即効を求むる也。たちまち禍となることあり。若(もし)当時快しとても後の害となる。


灸法

【灸の効用】(833)

 人の身に灸をするは、いかなる故ぞや。曰く、人の身のいけるは、天地の元気をうけて本(もと)とす。元気は陽気なり。陽気はあたゝかにして火に属す。陽気は、よく万物を生ず。陰血も、また元気より生ず。元気不足し、欝滞してめぐらざれば、気へりて病生ず。血もまたへる。然る故、火気をかりて、陽をたすけ、元気を補へば、陽気発生してつよくなり、脾胃調ひ、食すゝみ、気血めぐり、飲食滞塞せずして、陰邪の気さる。これ灸のちからにて、陽をたすけ、気血をさかんにして、病をいやすの理なるべし。

【艾草の製法と用法】(834)

 艾草(もぐさ)とは、もえくさの略語也。三月三日、五月五日にとる。然共(しかれども)、長きはあし故に、三月三日尤(もっとも)よし。うるはしきをゑらび、一葉づゝつみとりて、ひろき器(うつわもの)に入、一日、日にほして、後ひろくあさき器に入、ひろげ、かげぼしにすべし。数日の後、よくかはきたる時、またしばし日にほして早く取入れ、あたゝかなる内に、臼にてよくつきて、葉のくだけてくずとなれるを、ふるひにてふるひすて、白くなりたるを壷か箱に入、或袋に入おさめ置て用べし。

また、かはきたる葉を袋に入置、用る時、臼にてつくもよし。くきともにあみて、のきにつり置べからず。性よはくなる。用ゆべからず。三年以上、久しきを、用ゆべし。用て灸する時、あぶり、かはかすべし。灸にちからありて、火もゑやすし。しめりたるは功なし。

【艾草の産地】(835)

 昔より近江の胆吹山(いぶきやま)下野の標芽(しめじ)が原を艾草の名産とし、今も多く切てうる。古歌にも、この両処のもぐさをよめり。名所の産なりとも、取時過て、のび過たるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ゆべし。

【艾の芯の大小】(836)

 艾*(がいしゅ)の大小は、各その人の強弱によるべし。壮(さかん)なる人は、大なるがよし、壮数も、さかんなる人は、多きによろし。虚弱にやせたる人は、小にして、こらへやすくすべし。多少は所によるべし。熱痛をこらゑがたき人は、多くすべからず。大にしてこらへがたきは、気血をへらし、気をのぼせて、甚害あり。やせて虚怯(きょこう)なる人、灸のはじめ、熱痛をこらへがたきには、艾*(がいしゅ)の下に塩水を多く付、或(あるいは)塩のりをつけて五七壮灸し、その後、常の如くすべし。

この如くすれば、こらへやすし。猶もこらへがたきは、初(はじめ)五六壮は、艾を早く去べし。この如くすれば、後の灸こらへやすし。気升(のぼ)る人は一時に多くすべからず。明堂灸経(めいどうきゅうけい)に、頭と四肢とに多く灸すべからずといへり、肌肉うすき故也。また、頭と面上と四肢に灸せば、小きなるに宜し。

【灸に使用する火】(837)

 灸に用る火は、水晶を天日にかゞやかし、艾を以下にうけて火を取べし。また、燧(ひうち)を以て白石或水晶を打て、火を出すべし。火を取て後、香油を燈(ともしび)に点じて、艾*(がいしゅ)に、その燈の火をつくべし。或香油にて、紙燭をともして、灸*(きゅうしゅ)を先ず身につけ置て、しそくの火を付くべし。松、栢(かしわ)、枳(きこく)、橘(みかん)、楡(にれ)、棗(なつめ)、桑(くわ)、竹、この八木の火を忌べし。用ゆべからず。

【灸と身体の位置】(838)

 坐して点せば、坐して灸す。臥して点せば、臥して灸す。上を先に灸し、下を後に灸す。少を先にし、多きを後にすべし。

【灸をするときの注意】(839)

 灸する時、風寒にあたるべからず。大風、大雨、大雪、陰霧、大暑、大寒、雷電、虹*(こうげい)にあはゞ、やめて灸すべからず。天気晴て後、灸すべし。急病はかゝはらず。灸せんとする時、もし大に飽、大に飢、酒に酔、大に怒り、憂ひ、悲み、すべて不祥の時、灸すべからず。房事は灸前三日、灸後七日いむべし。冬至の前五日、後十日、灸すべからず。

【灸の後の注意】(840)

 灸後、淡食にして血気和平に流行しやすからしむ。厚味を食(くい)過すべからず。大食すべからず。酒に大に酔べからず。熱(めん)、生冷、冷酒、風を動の物、肉の化しがたき物、くらふべからず。

【灸の大きさの加減】(841)

 灸法、古書には、「その大さ、根下三分ならざれば、火気達せず」といへり。今世も、元気つよく、肉厚くして、熱痛をよくこらふる人は、大にして壮数も多かるべし。もし元気虚弱、肌肉浅薄(きにくせんぱく)の人は、艾*(がいしゅ)を小にして、こらへよくすべし。壮数を半減ずべし。甚熱痛して、堪へがたきをこらゆれば、元気へり、気升(のぼ)り、血気錯乱す。その人の気力に応じ、宜に随(したが)ふべし。

灸の数を、幾壮と云は、強壮の人を以て、定めていへる也。然れば、『灸経』にいへる壮数も、人の強弱により、病の軽重によりて、多少を斟酌すべし。古法にかゝはるべからず。虚弱の人は、灸*(きゅうしゅ)小にしてすくなかるべし。虚人は、一日に一穴、二日に一穴、灸するもよし。一時に多くすべからず。

【灸瘡に関する注意】(842)

 灸して後、灸瘡(きゅうそう)発せざれば、その病癒がたし。自然にまかせ、そのまゝにては、人により灸瘡発せず。しかる時は、人事をもつくすべし。虚弱の人は灸瘡発しがたし。古人、灸瘡を発する法多し。赤皮の葱(ひともじ)を三五茎(きょう)青き所を去て、糠のあつき灰中(はいのなか)にて*(わい)し、わりて、灸のあとをしばしば熨(うつ)すべし。また、生麻油を、しきりにつけて発するもあり。

また、灸のあとに、一、二壮、灸して発するあり。また、焼鳥、焼魚、熱物を食して発することあり。今、試るに、熱湯を以てしきりに、灸のあとをあたゝむるもよし。

【阿是の穴について】(843)

 阿是の穴は、身の中、いずれの処にても、灸穴にかゝはらず、おして見るに、つよく痛む所あり。これその灸すべき穴なり。これを阿是の穴と云。人の居る処の地によりて、深山幽谷の内、山嵐の瘴気、或は、海辺陰湿ふかき処ありて、地気にあてられ、病おこり、もしは死いたる。或疫病、温瘧(おんぎゃく)、流行する時、かねてこの穴を、数壮灸して、寒湿をふせぎ、時気に感ずべからず。灸瘡にたえざる程に、時々少づゝ灸すれば、外邪おかさず、但禁灸の穴をばさくべし。一処に多く灸すべからず。

【多く灸をすればいいとは限らない】(844)

 今の世に、天枢脾兪(てんすうひのゆ)など、一時に多く灸すれば、気升(のぼ)りて、痛忍(こら)へがたきとて、一日一二荘灸して、百壮にいたる人あり。また、三里を、毎日一壮づゝ百日づゝけ灸する人あり。これまた、時気をふせぎ、風を退け、上気を下し、衂(はなぢ)をとめ、眼を明にし、胃気をひらき、食をすゝむ。尤益ありと云。医書において、いまだこの法を見ず。されども、試みてその効(しるし)を得たる人多しと云。

【禁灸の日があるが、……】(845)

 方術の書に、禁灸の日多し。その日、その穴をいむと云道理分明ならず。『内経』に、鍼灸のことを多くいへども、禁鍼、禁灸の日をあらはさず。『鍼灸聚英』(しんきゅうじゅえい)に、「人神、尻神(きゅうしん)の説、後世、術家の言なり。『素問』(そもん)『難経』(なんけい)にいはざる所、何ぞ信ずるに足らんや」といへり。

また、曰く、「諸の禁忌、たゞ四季の忌む所、『素問』に合ふに似たり。春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍(ほそ)、冬は腰、これ也」。『聚英』に言所はかくの如し。まことに禁灸の日多きこと、信じがたし。

今の人、只、血忌日(ちいみび)と、男子は除の日、女子は破の日をいむ。これまた、いまだ信ずべからずといへ共、しばらく旧説と、時俗にしたがふのみ。凡そ術者の言、逐一に信じがたし。

【子どもの灸】(846)

 『千金方』に、「小児初生に病なきに、かねて針灸すべからず。もし灸すれば癇をなす」といへり。癇は驚風(きょうふう)なり。小児もし病ありて、身柱(ちりけ)、天枢など灸せば、甚いためる時は除去(のぞきさり)て、また、灸すべし。若(もし)熱痛の甚きを、そのまゝにてこらへしむれば、五臓をうごかして驚癇(きょうかん)をうれふ。熱痛甚きを、こらへしむべからず。小児には、小麦の大さにして灸すべし。

【項の灸はダメ】(847)

 項(うなじ)のあたり、上部に灸すべからず。気のぼる。老人気のぼりては、癖になりてやまず。

【内臓の弱い人の灸】(848)

 脾胃虚弱にして、食滞りやすく、泄瀉(せつしゃ)しやすき人は、これ陽気不足なり。殊に灸治に宜し。火気を以て土気を補へば、脾胃の陽気発生し、よくめぐりてさかんになり、食滞らず、食すゝみ、元気ます。毎年二八月に、天枢、水分、脾兪(ひのゆ)、腰眼(ようがん)、三里を灸すべし。京門(けいもん)、章門もかはるがはる灸すべし。脾の兪、胃の兪もかはるがはる灸すべし。

天枢は尤しるしあり。脾胃虚し、食滞りやすき人は、毎年二八月、灸すべし。臍中より両旁(りょうぼう)各二寸、また、一寸五分もよし。かはるがはる灸すべし。灸(ちゅう)の多少と大小は、その気力に随ふべし。虚弱の人老衰の人は、灸(ちゅう)小にして、壮数もすくなかるべし。天枢などに灸するに、気虚弱の人は、一日に一穴、二日に一穴、四日に両穴、灸すべし。一時に多くして、熱痛を忍ぶべからず。日数をへて灸してもよし。

【灸はツボにすべし】(849)

 灸すべき所をゑらんで、要穴に灸すべし。みだりに処多く灸せば、気血をへらさん。

【生き返るかもしれない?】(850)

 一切の頓死、或夜厭(おそはれ)死したるにも、足の大指の爪の甲の内、爪を去こと、韮葉(にらのは)ほど前に、五壮か七壮灸すべし。

【老人の灸には用心】(851)

 衰老の人は、下部に気少なく、根本よはくして、気昇りやすし。多く灸すれば、気上りて、下部弥(いよいよ)空虚になり、腰脚よはし。おそるべし。多く灸すべからず。殊に上部と脚に、多く灸すべからず。中部に灸すとも、小にして一日に只一穴、或二穴、一穴に十壮ばかり灸すべし。一たび気のぼりては、老人は下部のひかへよはくして、癖になり、気升ることやみがたし。老人にも、灸にいたまざる人あり。一概に定めがたし。但、かねて用心すべし。

【病人の灸】(852)

 病者、気よはくして、つねのひねりたる灸ちゅう(831)を、こらへがたき人あり。切艾(きりもぐさ)を用ゆべし。紙をはゞ一寸八分ばかりに、たてにきりて、もぐさを、おもさ各三分に、秤にかけて長くのべ、右の紙にてまき、そのはしを、のりにてつけ、日にほし、一ちゅう(831)ごとに長さ各三分に切て、一方はすぐに、一方はかたそぎにし、すぐなる方の下に、あつき紙を切てつけ、日にほして灸*(きゅうしゅ)とし、灸する時、塩のりを、その下に付て灸すれば、熱痛甚しからずして、こらへやすし。

灸*(きゅうしゅ)の下にのりを付るに、艾の下にはつけず、まはりの紙の切口に付る。もぐさの下に、のりをつくれば、火下まで、もえず。このきりもぐさは、にはかに熱痛甚しからずして、ひねりもぐさより、こらへやすし。然れ共、ひねり艾より熱すること久しく、きゆることおそし。そこに徹すべし。

【できものに対する灸】(853)

 癰疽(ようそ)及諸瘡腫物(しょそうしゅもつ)の初発に、早く灸すれば、腫(はれ)あがらずして消散す。うむといへ共、毒かろくして、早く癒やすし。項(うなじ)より上に発したるには、直に灸すべからず。三里の気海(きかい)に灸すべし。凡そ腫物(しゅもつ)出て後、七日を過ぎば、灸すべからず。この灸法、三因方以下諸方書に出たり。医に問て灸すべし。

【灸は午後に】(854)

 『事林広記』に、午後に灸すべしと云へり。


後記

 右にしるせる所は、古人の言をやはらげ、古人の意をうけて、おしひろめし也。また、先輩にきける所多し。みづから試み、しるしあることは、憶説といへどもしるし侍りぬ、これ養生の大意なり。その条目の詳なることは、説つくしがたし。保養の道に志あらん人は、多く古人の書をよんでしるべし。大意通しても、条目の詳なることをしらざれば、その道を尽しがたし。愚生、昔わかくして書をよみし時、群書の内、養生の術を説ける古語をあつめて、門客にさづけ、その門類をわかたしむ。

名づけて『頤生輯要』(いせいしゅうよう 天和二年=1682年)と云。養生に志あらん人は、考がへ見給ふべし。ここにしるせしは、その要をとれる也。

八十四翁貝原篤信書

  正徳三巳癸年(=1713年)正月吉日


KurodaKouta(2006.01.03/2012.01.13)