The Old, Old, very Old Man or Thomas Par (トーマス・パーの伝記詩)日本語訳

internet archive より

ジョン・テーラー(John Taylor)によって書かれた、トーマス・パーの伝記詩です。トーマス・パーが死亡した1635年の出版とされています。初版ではなく、その後の版のようですが、出版年は同じ年になっている本が、現在まで伝わっています。上の画像がそれで、インターネット上に公開されています。(このあとがきを翻訳していて分かったのですが、この本は、1870年かその直後辺りに、注釈を付け加えて印刷され、出版されたもののようです。しかし、その事情は、この本には、どこにも、はっきりとは書かれていません。)

上の画像データを原本として、アーカイブの英文 Full text of “The old, old, very old man ; or, The age and long life of Thomas Par, the son of John Parr of Winnington …” を校正し、それを元に、日本語に翻訳してみました。
基本的にページ毎に分割して、日本語、英語原文の順に置いていきます。
英語原文のページ構成はそのままにして、日本語の方は、分かりやすいように、ページの区切りは多少前後させています。

日本語の各見出しは、分かりやすいように、適当に作りました。

(ページ数字、及びページタイトルは[]で閉じておきます。)
(原注の扱い方=右肩小文字で数字 1 2 や o などがあって、ページ下の ’” などの注を参照せよ、と示しています。ここでは、数字やoなどは、1,2などで表示します。ページ下の原注は{}で閉じておきます。この後、あとがきを訳していて分かったことですが、この本は、1870年かその直後辺りに、注釈を新たに付け加えて再印刷され、出版されたもののようです。つまり、原注は、ジョン・テーラーのものではないようです。)

(英語の古い文体では、th が3人称単数形として用いられます。does が doth follows が followeth となるなど。これを事前に知っていたらかなり捗ったと思いますので、参考までにここに書いておきます。)

英語の意味がよくつかめないものも、強引に日本語にしています。誤訳は承知の上で、参考になればと、アップロードしました。英語原文と照らし合わせながら、お読みください。間違いはあります。コメントや「問い合わせ」などで、ご指摘いただければ幸いです。
誤りに気付いたら、断りなく、適宜、修正していきます。

作者 John Taylor の日本語表記については、最初は「テイラー」としてきましたが、ある時、ブリタニカ国際大百科事典に掲載されていることが分かり、そこには「テーラー」と表記されていました。あのエリザベス・テーラーも、Taylor なのでした。ということで、今後はテーラーに統一します。(2022/12/7)

訳注は、この黄色い背景で書きます。年齢の問題を少しくどく書きました。他のことについては、訳注は最低限にとどめています。

見開き左ページ

老、老、大老翁、即ちトーマス・パー、シュロプシャー郡の、アルバーベリーの教区にあるウィニントンのジョン・パーの息子。1483年、エドワード4世の在位中に生まれ、今年1635年、152歳と数ヶ月でした。

The Old, Old, very Old Man, or Thomas Parr, the
Son of John Parr of Winnington, in the Parish of Al-
berbury, in the County of Shropshiere ; who was borne
in the yeare 1483, in, the Raigne of King Edward the
4th , being Aged, 152 Yeares and odd Monthes,
in this yeare, 1635.

見開き右ページ

老、老、大老翁、
即ちトーマス・パーの年齢と長寿。
彼は、ジョン・パーの息子として、サロップ(またはシュロップシャー)の郡、アルバーベリー教区のウィニントンに、エドワード4世の在位中、に生まれ、152歳と数ヶ月生きました。
彼の人生と会話はとても長い巡礼です。
彼の結婚、そして1635年の9月末頃に、ロンドンに連れて行かれたこと 。

あとがきに、この老人が生きている間に起きた、注目すべき出来事を追加しました。

ジョン・テーラー 著。

ロンドン
ヘンリー・ゴッフォンにより、城門そばにあるロンドン・ブリッジにある彼の店で、1635年印刷。

The old,old,very Old Man:
OR,
The Age and long Life of Thomas Par,
the Son of John Parr of Winnington, in the
Parish of Alberbury ; in the County of
Salopp (or Shropshire] who was Borne in
the Raigne of King Edward the 4th . be-
ing aged 152. yeares and odd
Monethes.

His Manner of Life and Conversation
in so long a Pilgrimage ; his Marriages,
and his bringing up to London about
the end of September last. 1635.

Whereunto is Added a Postscript, showing
the many remarkable Accidents that
hapned in the Life of this Old Man.

Written by IOHN TAYLOR.

LONDON,
Printed for Henry Goffon, at his Shop on
London Bridge , neere to the Gate.
1635

チャールズ王への献辞

神の恵みにより、高貴にして強大なチャールズ陛下、即ちグレートブリテン、フランス、アイルランドの王。信仰の守護者、へ捧げます。

謹んで、はっきりと申し上げます、陛下は、最も老いた者*1、最も巨大な者*2、そして最も小さい者*3をお持ちです。このようなことは、英国以外にはありません。

一人は、彼の並外れた体格と生まれながらの強い天分によって、あなたの門をしっかりと守ります。また彼は忠実で、正直で、元気で、公正で、健康的で、そして責任と信用のために最も有能です。
他の小さくて均整の取れた者は可愛い生き物の代表に値し、そして、偉大な人のように良い心を持ち、才能があります。彼は、見た目は小さいですが、精神的には偉大だと思われます、彼の最高の奉仕はすべて、喜びなのですから。
{*1 トーマス・パー. *2 ウイリアム・エバンス, *3 ジェフェリー・ハドソン卿 }

TO
THE HIGH AND MIGHTY PRINCE,
CHARLES, By the Grace of God,
King of great Britain, France, and
Ireland, Defender of the Faith, &c.

OF Subjects (my dread Liege) ‘tis manifest,
You have the oldst, the greatest, and the
least :
That for an Old *1, a Great *2 and Little man *3
No kingdom (sure) compare with Britain can ;
One, for his extraordinary stature,
Guards well your gates, and by instinct of Nature
(As he is strong), is Loyal, True, and Just,
Fit, and most able, for his Charge and Trust.
The other’s small and well composed feature
Deserves the Title of a Pretty Creature :
And doth (or may) retain as good a mind
As Greater men, and be as well inclined.
He may be great in spirit, though small in sight,
Whilst all his best of service, is Delight.
The Oldst, your Subject is ; but for my use,
{‘Old Parr. “William Evans, “Sir Jeffery Hudson. }

[ vi 書簡 ]

最も老いた者はあなたの臣民です。私はここで、彼を私の詩の主題にします。国王陛下にお会いし、陛下の手にキスをするという恵みを老人が得られましたように、私は謹んで、懇願いたします、即ち、彼の人生について書かれたことが受け入れられますように、陛下が以前よく私の詩に目を通されたように、この詩も読んでくださいますように。

敬具

陛下の卑しい臣民にして奴隷
ジョン・テーラー

[ vi THE EPISTLE. ]

I make him here, the Subject of my Muse :
And as his Aged Person gain’d the grace,
That where his Sovereign was, to be in place,
And kiss your Royal Hand; I humbly crave,
His Lives Description may Acceptance have.
And as your Majesty hath oft before
LooK’d on my Poems ; Pray read this one more.

Your Majesties
most
Humble Subject
and
Servant,
JOHN TAYLOR.

トーマス・パーと伯爵との出会い

この老人がシュロプシャーからロンドンに連れて行かれた事情。

太陽が輝かないではおれないように、火が熱を持たないではおれないように、磁石が鉄と不可分であるように、真の名誉は美徳と不可分であることは、否定できません。それは、大きな暴力を持ってしても、両者を分断することはできません。
そのことは、この国から、この貧しい昔の人について伝えられたことで、明らかになりました。記念物と言えます、ほとんど自然の奇跡です。
トーマス・アランデル(およびサリー)伯爵、軍務伯閣下が、領地の邸宅を訪問するために最近シュロップシャーに行きました。いくつかの重要な事情があって、領主権がその郡にあるようになりました。そして、この老人についての報告を聞いたのです。領主は、喜んで彼に会いました。

THE OCCASION OF
this Old Man’s being brought out
of Shropshire to LONDON.

AS it is impossible for the Sun to be without
light, or fire to have no heat ; so is it
undeniable that true Honour is as inse-
parably addicted to Virtue, as the Steel
to the Load-stone ; and without great
violence neither the one or the other can be
sundered. Which manifestly appears, in the convey-
ing out of the Country, of this poor ancient Man ;
Monument I may say, and almost Miracle of Nature.
For the Right Honorable, Thomas Earl of
Arundel and Surrey, Earl Marshal of England, &c.
being lately in Shropshire to visit some Lands and
Manors which his Lordship holds in that County, or,
for some other occasions of Importance, which
caused his Lordship to be there. The Report of
this Aged Man was certified to his Honour ; who
hearing of so remarkable a Piece of Antiquity, his
Lordship was pleased to see him, and in his Innated
Noble and Christian Piety, he took him into his

[2ページ]

<訳注>
アランデル伯爵がトーマス・パーと出会い、ロンドンへ連れて行こうとしたことから、トーマス・パーの運命が急展開します。何のためにロンドンへ連れて行こうとしたのでしょうか? 国王に見せるためだったのでしょう。もしそうだとすると、トーマス・パーの年齢について、可能な限りの検証を行った結果の判断だった、と思われます。
この点について、この伝記では書かれていません。書く必要もない、当然のこととして、何かがあった、と思わざるをえません。
なお、アランデル伯爵については、ウィキペディアの
トマス・ハワード (第21代アランデル伯爵)
をご参照ください。

生来の高貴さとキリスト教的敬虔さをもって、領主は老人に慈悲深い指導と保護を与えました。(年齢のためにとても弱っていた老人にとって、より楽な旅となるように)2頭の馬付きの籠を老人に提供するように命じました。

ロンドンへ出発


また、彼の義理の娘(ルーシーという名前)も彼に付き添うために、彼女自身が老人と一緒に乗れるように、馬をもう一頭用意することを命じました。
さらに(老人を元気づけ、彼を陽気にするために)、ジャックまたはジョンと呼ばれる昔風の道化師、すなわち背が高くて、力の強く、ヒゲのない男にも、馬1頭付きの馬車を用意させました。
一行は全て、そこからロンドンへ、楽な旅することになりました。費用はすべて、領主によって賄われました。
そして同様に彼の使用人の1人であるブライアン・ケリーが、彼らと一緒に馬に乗って付き添い、この旅行に伴う一切の費用を計算して、支払うようにさせました。
すべては次の通りでした。

ウィニントン村からロンドンへ(グーグルマップより)
グーグルで調べても分からない地名は省略しています。

ウィニントンはアルバーベリー教区の小さな村であり、シュルーズベリーから8マイルのところで、ウェルシュ・プールと呼ばれる場所の近くです。
彼は、そこから、前述の伯爵の町であるウィムに行きました。
翌日、一行は、シェフナル(領主の邸宅)に行き、そこで彼らは同じように一泊しました。
翌日はシェフナルからウールバーハンプトンに。

大騒ぎで、トーマス・パーは押しつぶされそうに


その翌日はブリミチャム*oに。 そこからコベントリーに行きました。マスター ケリーは、行く先々で、上にのしかかろうとする人々に、老人が押しつぶされないように、離すために多くのことをしなければなりませんでした。特に、コベントリーでは、ほとんど押しつぶされそうになりました。

{*o バーミンガム,}

[2 THE VERY OLD MAN : OR ]

charitable tuition and protection ; Commanding that
a Litter and two Horses (for the more easy carriage
of a man so enfeebled and worn with Age) to be
provided for him ; Also, that a Daughter-in-Law of
his (named Lucy] should likewise attend him, and
have a Horse for her own riding with him ; And (to
cheer up the Old Man, and make him merry) there
was an Antique-fac’d-fellow, called Jack or John
the Fool, with a high and mighty no Beard, that had
also a Horse for his carriage. These all were to be
brought out of the Country to London, by easy
Journeys ; the Charges being allowed by his Lord-
ship, and likewise one of his Honours own Servants,
named Bryan Kelly, to ride on horseback with them,
and to attend and defray all manner of Reckonings
and Expenses; all which was done accordingly, as
followeth.
Winnington is a Hamlet in the Parish of Alber-
bury, near a place called the Welsh Pool, eight miles
from Shrewsbury, from whence he was carried to
Wim, a Town of the Earls aforesaid ; and the next
day to Shefnall (a Manor House of his Lordship)
where they likewise staid one night ; from Shefnall
they came to Wolverhampton, and the next day to
Brimicham *o,from thence to Coventry; and although
Master Kelly had much to do to keep the people
off that pressed upon him in all places where he
{‘Birmingham,}

[3ページ]

というのも、人々は、この老人を見るために、大群衆で押し寄せ来たので、彼らは老人を守るために、疲れ果て、消耗しきっていました。特に、老人は息が止まりそうになりました。一言で言えば、群衆は全く言うことを聞かないので、 ブライアンは、これ以上進むべきではない、と思いました。
(無作法な人々は、目新しいことを聞いたり、見たりするのに貪欲です)
翌日、騒ぎは収まり、一行はダベントリーへ。
翌日、ストーニー・ストラットフォードへ。
翌日はレッドバーンへ。
そして、ロンドンに着きました。
そこでは、彼と付添人は、領主の負担で、楽しく、品物は十分で、足りていました。

3回の借地契約と、トーマス・パーの演技のこと

この老人の年齢の証明についての注目すべき一節は、省略されたり忘れられたりしてはなりません。それは、次のようでした。

<訳注>
the Old Mans policy の中の policy には語源として証明という意味があります。ここでは、政策では意味をなさないので、年齢を証明する出来事の意味だと思われます。

彼の63年にわたる3回の借地契約は期限切れを迎えました。

<訳注>
63年にわたる3回の借地契約=63年を3回という意味ではなく、21年毎の契約を3回にことだと思われます。そして4回目の契約期間中に、このピンの演技事件があったのだと思われます。トーマス・パーが親から自立して契約を結ぶようになってから、50年以上たっていた、ということをジョン・テーラーは言いたいのだと、思われます。しかし、この数字は少し変です。(契約書類での年齢計算で、まとめて触れます)

次の段落に「借地契約を(彼の妻のために)また更新しようとしていました」(this Old Man would (for his wife’s sake) renew his lease for years)とあるのは、トーマス・パーは最後の20年間は目が見えなかったということなので、妻がこの土地を耕作したという意味かと思われます。とすると、この土地は小作地というよりは、女手一人でも何とかできる、小さな農地だったかもしれません。でも、二人ぶんの食料を一人で作れたのでしょうか? 近所の支え? 子供の支え?


彼は彼の生活のために彼の地主(主人 ジョン・ポーター)と最後の借地契約をしました。老人はこの借地契約で50年以上にもわたって生活しました。(後で述べるように) しかし、この老人は何年にもわたって、借地契約を(彼の妻のために)また更新しようとしていましたが、地主は同意しようとしませんでした。

<訳注>
先のThomas Earl of Arundel という lordship の下に、このPorter家の landlord、Master があるのかと思います。トーマス・パーと直接、借地契約をしたのはこの Porter家のMaster ということですね。
Thomas Earl of Arundel は、Shefnall に a Manor House of his Lordship を持っています。一方、Porter の家は、トーマス・パーの家にちょこちょこ歩いていける近い所にあったのでしょう。そこに、トーマス・パーは一時、住み込んでいたのです。


ある時、オールド・パー(長い間盲目だった)が、暖炉のそばで椅子に座っていると、窓の外を見た彼の妻が、地主の息子である若旦那 エドワード・ポーターが彼らの家に向かってくるのに気づきました。

<訳注>
ここでは、トーマス・パーは盲目だったとあります。後の10ページでは片目が見えなかった、とあります。残った片目もかなり見えにくかった、ということでしょうか。

彼女は夫に言いました、「夫よ、私たちの若旦那がここに向かっています」と。「そうか」とオールド・パーは言ってから、「妻よ、私の足のそばの地面、つまり、私の右足のつま先の地面にピンを置いてくれ」と言いました。彼女はその通りにしました。

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 3 ]

came, yet at Coventry he was most oppressed : for they
came in such multitudes to see the Old Man, that
those that defended him, were almost quite tired
and spent, and the aged man in danger to have been
stifled ; and in a word, the rabble were so unruly
that Bryan was in doubt he should bring his charge
no further ; (so greedy are the vulgar to hearken to,
or gaze after novelties.) The trouble being over,
the next day they passed to Daventry, to Stony
Stratford, to Redburn, and so to London, where he
is well entertain’d and accommodated with all things,
having all the aforesaid attendants, at the sole charge
and cost of his lordship.
One remarkable passage of the Old Mans policy
must not be omitted or forgotten, which is thus.
His three leases of 63. years being expired, he
took his last lease of his landlord (one Master John
Porter) for his life, with which lease, he hath lived
more than 50 years (as is further hereafter declared;)
but this Old Man would (for his wife’s sake) renew
his lease for years, which his landlord would not
consent unto ; wherefore old Parr, (having been
long blind) sitting in his chair by the fire, his wife
look’d out of the window, and perceiv’d Master
Edward Porter, the son of his landlord, to come
towards their house, which she told her husband,
saying, Husband, our young landlord is coming
hither: Is he so, said old Parr ; I prithee wife

[4ページ]

そして、若い主人 ポーター(まだ40歳)が家に入ってきました。挨拶の後、老人は言いました、「妻よ、私の足元に落ちているのはピンではないか?」。彼女は答えました、「夫よその通り、それは間違いなくピンです」。そして、彼女はピンを取り上げました。主人 ポーターは、老人が彼の視力を取り戻したのかと思って、少し驚きました。
しかし、すぐに、機知に富んだ演技であることが分かりました。前述しましたように、妻のために契約更新したいと思って、演技して彼が実際よりもっと元気であると、彼らに思わせようとしたのでした。

最初の妻との結婚、2人の子供の死


彼には、最初の妻との間に、息子と娘の2人の子供がいました。男の子の名前はジョンで、10週間後に死亡しました。 女の子はジョアンと名付けられましたが、3週間で死亡しました。そのため、近所の人々の大部分よりは、3倍以上長生きしているように見えるのです。

<訳注>
3倍以上長生きしているように見える=普通の人はその人の死を子供が看取るのに、トーマス・パーの場合は、逆に子供を看取ったということで、長生きしているように見られた、ということか? トーマス・パーの子供のことを誰も見ていないので、子供が普通の長さを生きたと想像して、子供の死後生まれた人の普通の寿命を、トーマス・パーの普通の寿命と子供の普通の寿命の合計に加えて、合計3倍ということか? 理解しにくい所です。
とにかく、ジョン・テーラーは、トーマス・パーの152歳を信じていなかった、という意味に受け取られます。(ジーニアス英和辞典によると、「appear は客観的事実について、錯覚による判断を表すことがある」とのことです。ジョン・テーラーも、そういう意味で使っているように思われます。)

[4 THE VERY OLD MAN : OR ]

lay a pin on the ground near my foot, or at my right
toe ; which, she did ; and when young Master
Porter (yet forty years old) was come into the house,
after salutations between them, the Old Man said,
Wife, is not that a Pin which lies at my foot ? Truly
husband, quoth she, it is a pin indeed, so she took
up the Pin, and Master Porter was half in a maze
that the Old Man had recovered his sight again ; but
it was quickly found to be a witty conceit, thereby
to have them to suppose him to be more lively than
he was, because he hop’d to have his lease renew’d
for his wife’s sake, as aforesaid.
He hath had two children by his first wife, a
son and a daughter, the boys name was John, and
lived but ten weeks ; the girl was named Joan, and
she lived but three weeks. So that it appears he
hath out-lived the most part of the people that are
living near there, three times over.

非常に高齢の男
すなわちトーマス・パーの生涯。

老人は二度目の子供である(ことわざに言う)。
そして、近所の多くの老人はオールド・パーの後半生しか知りません、私が今書いている老人の。当然、彼には前の半生があります。

トーマス・パーの祖先

ヨークとランカスターズ家の戦争の時、彼らの血で、分裂したイングランドは血まみれになりました。甘い平和が内戦の炎を消すまで。
エドワード4世の治世が終わりに近づいた頃、ジョン・パー(ハズバンドリーの近くに住んでいた)は、このトーマス・パーを授かった。生まれたのは1483年。
トーマス・パーの父親の生活と仕事は、スキ、荷車、鋏、鎌、クワ、ショベルを使うことでした。マグワ、根掘り鍬、脱穀竿、熊手、フォーク、家畜の突棒、そして鞭を使い、また荷積み、荷降ろしをすることでした。

THE VERY OLD MAN:
OR,
The Life of Thomas Parr.
AN Old man’s twice a child (the proverb
says)
And many old men ne’er saw half his
days
Of whom I write ; for he at first had life,
When York and Lancasters Domestic strife
In her own blood had factious England drench’d,
Until sweet Peace those civil flames had quench’d.
When as fourth Edwards reign to end drew nigh,
John Parr (a man that liv’d by Husbandry)
Begot this Thomas Parr, and born was He
The year of fourteen hundred eighty three.
And as his Fathers Living and his Trade,
Was Plough, and Cart, Scythe, Sickle, Bill, and
Spade ;
The Harrow, Mattock, Flail, Rake, Fork, and
Goad,
And Whip, and how to load, and to Unload ;

[6ページ]

トムは、ジョンの息子に恥じないことを示しました。そして彼の父からの教えられたことは、一生なくなりませんでした。

かつて、私は、粗末な血統に生まれ、高貴な位に到達した者について、読んだことがあります。
アガトクレスは、陶芸家の子でしたが、シシリア王国を手に入れました。
大タンバーレインは、スキタイの羊飼いでしたが、彼が存命中に、すべての息子が、彼を凌ぐ優れた者になりました。
プトレマイオス1世(エジプトの王)は、アレクサンダーの血を引く貧乏人の子でした。
皇帝ディオクレシアンは、代書人の息子でしたが、帝国の軍隊から推戴されました。
ペルチナクスは奴隷の子でしたが、皇帝になりました。
バレンティニアンも縄作りの子孫でしたが、皇帝になりました。
そして牧人のマクシミヌスも皇帝になりました。
そして、もし私が真実を正しく見ているならば、
ユーグ・カペー、フランス国王は肉屋でした。
私は、この余談によって、出世は、東や西から吹いて来るのを待つものではない、と言いたいのです。

10人の王の時代を生きたトーマス・パー

さてさて、本題に戻りましょう。
このトーマス・パーは、過去の10人の偉大な王と女王の時代を生きてきました。今、11番目の王の時代です。(過去のすべての時代によって祝福されています)

[6 THE VERY OLD MAN : OR ]

Old Tom hath shew’d himself the Son of John,
And from his Fathers function hath not gone.
Yet I have read of as mean Pedigrees,
That have attain’d to Noble dignities :
Agathocles, a Potters Son, and yet
The Kingdom of Sicily he did get.
Great Tamberlane, a Scythian Shepherd was,
Yet (in his time) all Princes did surpass.
First Ptolomy (the King of Egypts land)
A poor mans Son of Alexanders Band.
Dioclesian, Emperor, was a Scriveners Son,
And Probus from a Gard’ner th’ Empire won.
Pertinax was a Bondmans Son, and wan
The Empire ; So did Valentinian,
Who was the off-spring of a Rope-maker,
And Maximinus of a Mule-driver.
And if I on the truth do righly glance,
Hugh Capet was a Butcher, King of France.
By this I have digressed, I have expressed
Promotion comes not from the East or West.
So much for that, now to my Theme again :
This Thomas Parr hath liv’d th’expired reign
Of ten great Kings and Queens, th’eleventh now
sways
The Sceptre, (blest by th’ancient of all days)
He hath surviv’d the Edwards, fourth and fifth ;
And the third Richard, who made many a shift
To place the Crown on his Ambitious head ;

[7ページ]

彼が生き抜いてきた時代は、
エドワード4世と
5世、
そして、リチャード3世、王位に就くために、多くの陰謀で王位に就いた野心家でした、
勇敢なヘンリー7世、
8世はどちらも死にました、
エドワード6世、
メアリー、
フィリップ、
エリザベス、
そして、祝福された記憶のジェームズ、
これらすべての王の死によって彼の人生は変わりました。
私たちの優しい国王チャールズの幸福な時代が始まってから約11年、
これを、トム・パーは、生きてきました。記録によれば、152年と9か月です。

<訳注>
イングランド国王の変遷については、ウィキペディアの
イングランド君主一覧
を参照していただくと分かりやすいです。
メアリーとフィリップが、少し問題あります。共同統治(というより、フィリップ(=スペイン王・フェリペ2世)にはほとんど権限がなかった)なので、ウエストミンスター寺院の碑文にもフィリップは書かれていません。したがって、フィリップを入れますと、ここの記述のように、謁見したチャールズは、「今、11番目の王の時代」となります。しかも、チャールズが王位について(1625年)から11年目となるのです。

厄年での年齢計算

これは、7年ごとに一般的に行われる、厄払いによって、確認されます。
そして、男の人生で最も危険なのは、63歳の時です。
つまり、9つ目の厄年です。でも今、私が書いているこの男は、(彼の人生の最初から)沢山の厄年を過ぎたので、ほとんど大厄年2回と20年を生きました。

借地契約書類での年齢計算

記録文書即ち、正しい証明書によれば、シュロップシャーの後半から、話は絡んできます。
彼は、父のジョンと17年間暮らしました、そして18年間、主人の家で奉公しました。これで、35年になります。
彼の父親の病気のために、残りの4年の契約期間を彼は受けました。
それが過ぎてから、ルイス・ポーター、ジェントルマンは、再度、21年間の借地契約をしました。

<訳注>
Sires decease の中の Sire は種馬、父馬、古い意味で、陛下という意味があるようです。ここでは父親という意味でしょう。
his Sires decease Left him four years Possession of a Lease 父が病気になり、21年の契約の内、残りの4年の契約は、トーマスが使うことになった、という意味でしょうか。(その後、父の話は出てこないので、父はこの病気で死んだのでしょう)
その後、21年の契約を新たにした(did then For twenty one years grant his Lease agen)、となります。最初の Lease は、死んだ父の借地契約という意味だと思われます。これ以降の新たな契約は、トーマスの契約になった、ということでしょう。

その借地契約も期限切れになって、ルイスの息子、ジョンは同じような契約をしました。そしてその契約も終わりました、
それからそのジョンの息子、ヒューは、さらに21年の借地契約をしました。
そして最後に、彼はヒューの息子であるジョンと契約しました。

<訳注>
この借地契約更新のことは、トーマス・パーの年齢に絡む重要なことなので、ここで整理してみましょう。
数字に納得できないところがありますので、始めの()で推定ADを、後の方でトーマス・パーの推定年齢を記します。

1.父ジョン・パーによる契約(1500から1521年)(18歳から39歳まで)
4年の契約期間を残して、父が死亡。この時、トーマスは、父と17年間暮らし、主人の家で18年間で35歳、借地契約期間の残りの4年は自分の家に戻った、として考えます。契約終了年は、トーマスが1482年生まれだとすると、1482+35+4=1521年となります。
2.ルイス・ポーターとの、トーマス初の契約(1521から1542年)(39歳から60歳まで)
3.ルイスの息子、ジョンとの契約(1542から1563年)(60歳から81歳まで)
4.ジョンの息子、ヒューとの契約(1563から1584年)(81歳から102歳まで)
5.「最後に、彼はヒューの息子であるジョンと契約」(1584から1605年)(102歳から123歳まで)
「for his life トーマスのために」、「これらの契約は、50年間続きました」ということなので、この最後の契約を何年か残して、トーマス死亡、となるのでしょう。(とすると、35歳+50年間=85歳あたりが、ジョン・テーラーの考えるトーマス・パーの死亡年齢となるのでしょうか?) が、期間満了の2,3,4の契約だけでも63年あります。50年間ではなく、最短でも63年以上続いていたのです。
トーマスは、もう耕作できないためか、次は妻のための契約となります。
6.エドワード・ポーターとの契約(1605から1626年) 成立せずか?
「彼の63年にわたる3回の借地契約は期限切れを迎えました」「彼は彼の生活のために彼の地主(主人 ジョン・ポーター)と最後の借地契約をしました。」「この老人は何年にもわたって、借地契約を(彼の妻のために)また更新しようとしていましたが、地主は同意しようとしませんでした。」これは、ピンの演技事件の時の話です。この契約は結ばれないまま、トーマスは死亡することになったのでしょうか。しかし、2,3,4,5の契約だけでも、4回、84年になります。正しくは、<彼の63年にわたる3回の借地契約は既に期限切れとなり、それに続く最後の契約が期限切れを迎えようとしていた>、だろうと思うのですが。が、この5の契約が満了しても、トーマス・パーの死亡年=1635年には届きません。(約30年不足か?)
1635年に届かない部分は、結局、トーマス・パーの年齢が152歳にその部分だけ届かない、ということの言い換えだと、思われます。それにしても、ジョン・テーラーがその違いをいくつと考えているのか、はっきりしません。

結局、借地契約のことでは、はっきりした数字が出てこない、という結果になってしまいます。

ジョン・テーラーは、計算が苦手なのか? 数字が出てくるたびに、こんがらがってくるように思います。何回の契約とかでなく、AD何年から何年までの契約、と書いておいてくれれば、親切でしたのに。(アランデル伯爵は、ADで判断しただろうと思うのですが)(文学系ではなく、技術系の人なら、この部分を簡潔、誤りなく書いて、こんな混乱にはならないと思うのに、・・・、残念)

そもそも、借地契約の計算で年齢が合っていなければ、アランデル伯爵も、トーマス・パーをロンドンに連れて行こうということには、ならなかったと思います。契約書自体は、簡単にチェックできるものだと思われます。ここで152歳が通用しないとなると、話が始まらなくなってしまいます。出だしの、アランデル伯爵の判断を信じたほうが納得できる、ということになるのでしょうか。

このアランデル伯爵とジョン・テーラーとの意見の違い、ということが、実は、政治がらみの大きな問題をはらんでいるのではないかと、思われるのです。詳しくは末尾の訳注で

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 7 ]

The seventh and eight brave Henries both are dead,
Sixth Edward, Mary, Philip, Elizabeth,
And blest remembred James, all these by death
Have changed life, and almost ‘leven years since
The happy reign of Charles our gracious Prince,
Tom Parr hath liv’d, as by Record appears
Nine months, one hundred fifty, and two years.
Amongst the learn’d, ‘tis held in general
That every seventh year’s climaterical,
And dang’rous to mans life, and that they be
Most perilous at th’Age of sixty three,
Which is, nine climactericals ; but this Man
Of whom I write, (since first his life began)
Hath liv’d of climactericals such plenty,
That he hath almost out-lived two and twenty.
For by Records, and true Certificate,
From Shropshire late, Relations doth relate,
That He liv’d 17 years with John his Father,
And 18 with a Master, which I gather
To be full thirty five ; his Sires decease
Left him four years Possession of a Lease ;
Which past, Lewis Porter Gentleman, did then
For twenty one years grant his Lease agen :
That Lease expir’d, the Son of Lewis called John,
Let him the like Lease, and that time being gone,
Then Hugh, the Son of John, (last nam’d before)
For one and twenty years sold one lease more.
And lastly, he hath held from John, Hugh’s Son,

[8ページ]

これらの契約は、50年間続きました。老いたトーマス・パーが大地に戻るまで、最後の借地契約は続きました。

80歳での結婚、妻の死、再婚

以上のように、彼の年齢の長さを示したので、次に、私は彼の人生行路のいくつかの活動を示します。

独り者の退屈な時間を、彼が結婚するまで、80年以上過ごしました。彼のこの節制は、答えられない問題ですが、男としての弱さであり、よく滑ったり、転倒しました。80年の間にサロップ郡で、妻を見つけられなかったのは、疑いありません。しかし、これについては、これ以上は触れません。
前述しました年齢で、彼は、ジョン・テーラーの娘、ジェーンと最初の結婚をしました。彼女はその時まで未婚だったと言われています。彼は彼女と32年間一緒に暮らしました。そして、彼女は死にました(すべての良い妻がそうなるように)。
彼女が死んでから、彼は10年間独り身でした。
それから、もう一度結婚しました。
そして彼の最初の妻ジェーンへの愛情のため(今も一緒に暮らしていると思えるように)、彼は、同じ名前の女性と結婚しました。彼女は未亡人で、かつての夫の名前はアントニー・アダといいました。彼女は(報告によると)、モンゴメリー・シャーにあるギルセル教区の、ジョン・ロイド(あるいはフラッドか?)の娘です。旧家の、由緒正しいウェールズの血筋です。

トーマス・パーの不倫、罰、その後の改心

ちょっと待って、私は忘れていました。最初の妻の時のことです。彼は、騒動を起こし、過ちを起こし、罪に陥りました。

[8 THE VERY OLD MAX : OR ]

A lease for’s life these fifty years, out-run :
And till old Thomas Parr, to Earth again
Return, the last lease must his own remain.
Thus having shew’d th’extention of his Age,
I’ll shew some Actions of his Pilgrimage.
A tedious time a Bachelor he tarried,
Full eighty years of age before he married :
His continence, to question I’ll not call,
Mans frailty’s weak, and oft doth slip and fall.
No doubt but he in four score years might find
In Salop’s County, females fair and kind :
But what have I to do with that ; let pass,
At th’age aforesaid he first married was
To Jane, John Taylor’s daughter ; and ‘tis said,
That she (before he had her) was a maid.
With her he liv’d years three times ten and two,
And then she died, (as all good wives will do.)
She dead, he ten years did a widower stay ;
Then once more ventured in the wedlock way :
And in affection to his first wife Jane,
He took another of that name again ;
(With whom he now doth live) she was a widow
To one nam’d Anthony (and surnam’d Adda)
She was (as by report it doth appear)
Of Gilsells Parish, in Mongom’ry-shire,
The Daughter of John Lloyd (corruptly Flood)
Of ancient house, and gentle Cambrian Blood.
But hold, I had forgot, in’s first wife’s time,
He frailly, foully, fell into a Crime,

[9ページ]

その罪は、金持ちも、貧乏な者も、年寄りも、若い者も、卑しい者も、高貴な者も、弱い者も、そして強い者も陥るものなのです。
キティラ島、あるいはPaphaeanゲーム、それを雷神ジュピターがしばしば煽るものです。最も悲惨なマルスは、喉を切られて、ジュピターの腕に抱かれました。それは、惹きつけてやまない愛の奴隷。異教の神々、半神半人です。肉欲の愛への共通の道です、皇帝から赤茶色の道化まで。すべての国で、男も女も、粗末な小屋から王冠まで。最初の創造以来すべての時代に。人々は、愛の誘惑に挫かれ、圧倒されました。

老いたトーマスもそうでした。たまたま美と出会い、愛が彼の目に入ってきました。その力強い動きが甘い合意に至ったのです。合意は行動を、行動は合意を引き寄せました。
しかし、それらの喜びの時期がついに過ぎたとき、甘い喜びはついに酸っぱいものとなりました。

骨の中で育つものを、肉は保持します、1匹のオスの子馬の歯がその時、老いたトムの頭の中にありました。他の人がそうだったように、彼はだまされたのかも知れません。他人の罪によって罰せられたのかもしれません。というのも、喜びは、罠、微笑み、誘惑、まるで(化粧した娼婦のように)妖精のように見えました。
しかし、彼女が一人になった時、邪悪な姿をもつ醜い野獣なら、そのような姿をとることはできません。

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 9 ]

Which richer, poorer, older men, and younger,
More base, more noble, weaker men, and stronger
Have fallen into.
The Cytherean, or the Paphaan game,
That thundering Jupiter did oft inflame ;
Most cruel cut-throat Mars laid by his Arms,
And was a slave to Loves enchanting charms,
And many a Pagan god, and semi-god,
The common road of lustful love hath trod :
For from the Emperor to the russet clown,
All states, each sex, from cottage to the Crown,
Have in all Ages since the first Creation,
Been foiled, and overthrown with Loves temptation :
So was old Thomas, for he chanc’d to spy
A Beauty, and Love entered at his eye,
Whose pow’rful motion drew on sweet consent,
Consent drew Action, Action drew Content,
But when the period of those joys were passed,
Those sweet delights were sourly sauc’d at last.
The flesh retains, what in the Bone is bred,
And one Colts tooth was then in old Toms head,
It may be he was gull’d as some have been,
And suffered punishment for others sin ;
For pleasures like a Trap, a grin, or snare,
Or (like a painted harlot) seems most fair ;
But when she goes away, and takes her leave,
No ugly Beast so foul a shape can have.
Fair Katherine Milton, was this Beauty bright,

[10ページ]

うるわしいキャサリン・ミルトンは輝く美しさでした。(天使のようにうるわしいく、もっと軽い) 他の誰の強烈な姿が、これほどまでに老トーマス・パーの燃えるような熱情を煽ることができたでしょう。

法律を考えれば、思慮があれば、シートを被って立つことによって、清められるべきでした。彼は百五歳の時、アルバーベリーの教区教会でそうしました。
そのように罪を犯したものは全て、そのように懺悔すべきです。ああ、リネンはどれくらい高くつくことでしょう。シーツになる全てもの、シャツ、仕事着、テーブルカバー、ポーターフロックは、すべてシーツになりました。しかし全ては一つ、彼は苦しみ、彼の罰は終わりました。

彼は、これ以後の人生で、関係においてより真面目になりました。

老いたトーマス・パーの様子

彼は驚異であり、称賛に値します。彼は、(この邪悪に満ちた時代に)、古代の遺物ではありません。現代の人なのです。

というのも、彼は、それほど長生きしたため、生きている記念碑でした。そして、高い塔のように、(それは肩越しに、空までそびえているように見えます)時間を食べて、消費し尽くし、朽ちました。ついには、全てが、粉々になって、廃墟に埋まるまで。

力は弱まり、歯がなくなり、片目の視力を失う、が、しっかりした精神

この老人は、そのように、彼の手足から力がなくなり、歯はすべてなくなり、片目の視力を失い、筋力は弱まり、体温は下がりました。

<訳注>
122歳で再婚し、130歳で脱穀作業をしたとのことですが、その後の20年間は、トーマス・パーにとって、筋力、視力が激落ちし、歯も抜ける、厳しい時期だったようです。再婚後に何があったのでしょうか?
ただの勘ぐりですが、二番目の妻は、旧家の、由緒正しいウェールズの血筋であった、ということですので、そこからの援助で生活が楽になって、エールやシェリーを多く嗜むようになり、また以前ほどには体を動かさずに済むようになったからかもしれませんね。最後の借地契約申込(ピンの演技)の時の様子が、何となく余裕がありそうなのは、そのためかもしれませんね。
なお、視力のことですが、ハーベイの解剖報告書には、「目が見えなかった」とあります。ここでは、片方の視力を失っていたとあります。先の3ページでは盲目とあります。しかし、その3ページの契約更新の際の、ピンが見えるというトーマス・パーの演技を考えると、仕事に差し支えるくらいに視力が落ちていた、ということのようにも考えられます。400年後の読者の真剣な関心をよそに、語呂合わせ(というか韻を踏むというか)で、適当に言葉を使っているのでしょうか?

が、小さな慰めもありました。体の様々な不具合にも関わらず、彼の精神は彼の体の根幹を支配していました。

[10 THE VERY OLD MAN : OR ]

(Fair like an Angel, but in weight too light)
Whose fervent feature did inflame so far
The Ardent fervour of old Thomas Parr,
That for Laws satisfaction, ‘twas thought meet,
He should be purg’d, by standing in a Sheet,
Which aged (He) one hundred and five year,
In Alberbury’s Parish Church did wear.
Should All that so offend, such Penance do,
Oh, what a price would Linen rise unto,
All would be turn’d to sheets, our shirts and smocks
Our Table linen, very Porters Frocks
Would hardly ‘scape trans-forming, but all’s one,
He suffered, and his Punishment is done.
But to proceed, more serious in relation,
He is a Wonder, worthy Admiration,
He’s (in these times fill’d with Iniquity)
No Antiquary, but Antiquity ;
For his Longevity’s of such extent,
That he’s a living mortal Monument.
And as high Towers, (that seem the sky to shoulder)
By eating time, consume away, and moulder,
Until at last in piece meal they do fall ;
Till they are buried in their Ruins All :
So this Old Man, his limbs their strength have left,
His teeth all gone, (but one) his sight bereft,
His sinews shrunk, his blood most chill and cold,
Small solace, Imperfections manifold:
Yet still his sp’rits possess his mortal Trunk;

[11ページ]

また、彼の感覚は失われていくにも関わらず、聞き取りは速く、お腹の調子は良く、よく食べ、よく眠り、よく消化しました。彼は、心をこめて話し、笑い、喜びました。エールを飲み、時々シェリーも一杯。仲間を愛し、会話を理解し、そして(両手を支えられて)時々歩きました。
老いた顔は、しわだらけにもかかわらず、ハンサムで、まだ魅力的でした。元気そうな顔をしていました。髭はあまり手入れされていませんでしたが、よく伸び、放ったらかしにされているようには見えませんでした。
頭からかかとまで、生け垣のように、厚く毛が覆っていました。

以上のように、(非常に力足らずの説明ですが)私はこの貧しい老人を詳しく描きました。

年をとることは、どうにもならない出来事ですが、それでも、十分に年をとると、年齢は祝福になります。
そして、もし私たちの研究がただ見さえすれば、そして、自然を真剣に熟考すれば、私たちは、人間が、最も高貴な生き物であり、放蕩と過剰が、本性を殺してしまうのだということを知ります。

健康的な労働、節制


この男は、良い料理を食べたことはありませんでした。加工された肉、果物、鶏、魚の料理は。
大地、空気、無限の海のおかげで、この男は飢えることはありませんでした。医者から下剤を送ってもらって、飲むようなこともありませんでした。

[THE LIFE OR THOMAS PARR. 11]

Nor are his senses in his ruins shrunk,
But that his Hearing’s quick, his stomach good,
He’ll feed well, sleep well, well digest his food.
He will speak heartily, laugh, and be merry;
Drink Ale, and now and then a cup a Sherry;
Loves Company, and Understanding talk,
And (on both sides held up) will sometimes walk.
And though old Age his face with wrinkles fill,
He hath been handsome, and is comely still,
Well fac’d ; and though his Beard not oft corrected,
Yet neat it grows, not like a Beard neglected ;
From head to heel, his body hath all over,
A Quick-set, Thick-set nat’ral hairy cover.
And thus (as my dull weak Invention can)
I have Anatomiz’d this poor Old Man.
Though Age be incident to most transgressing,
Yet Time well spent, makes Age to be a blessing.
And if our studies would but deign to look,
And seriously to ponder Natures Book,
We there may read, that Man, the noblest Creature,
By riot and excess doth murder Nature.
This man ne’er fed on dear compounded dishes,
Of Metamorphos’d beasts, fruits, fowls, and fishes,
The earth, the air, the boundless Ocean
Were never rak’d nor forag’d for this Man ;
Nor ever did Physician to (his cost)
Send purging Physic through his guts in post ;
In all his life time he was never known,

[12ページ]

飲酒は他人の健康を損ないますが、彼自身の健康を損なうことは、生涯を通して決してありませんでした、オランダ、フランス、ギリシャ、スペインのブドウ酒。
先の理由によって、彼は放蕩することは決してありませんでした。

放蕩(Ryot)とトロイ(Troy)は文字の順番違いです。
そして、放蕩は剣と炎でトロイを消耗させました。そして確かに、王国がこぼす酒は、一人の愚かな男を殺す強力な力を持っています。味覚は喜びますが、体は二日酔いと病気で満たされます。
(戦争よりも)放蕩によって、男たちは殺されました。

この老人はその混乱から解放されています。彼はかつて不倫の罪を犯しました。そして(罰せられて)経験は勝ちました。良心に対する慎重なおそれが、彼を打ちのめしました。彼は二度とそのようなことを試みることはありませんでした。
私たちの理解はどちらの結果になるでしょう? 放蕩で男の寿命を縮めるか、あるいは、まずまずに満たされた食事によって長生きし、静かにぐっすりと眠るか?

誤解しないでください、私はあらゆる種類の良いものを除外しないで話します。あらゆる生き物は人間が使用するために作られ、人間に使われてきました。暴飲暴食によって悪用されるためにではありません。

スキャンダルと堕落によって、良い荘園管理人としての評判を台無しにすれば、そのような悪漢は絞首刑にしてしまえ。(あり得ないが)世間の評判を傷つけるよりは。

[12 THE VERY OLD MAN : OR ]

That drinking others healths, he lost his own ;
The Dutch, the French, the Greek, and Spanish
Grape,
Upon his reason never made a rape ;
For Ryot, is for Troy, an anagram ;
And Ryot, wasted Troy, with sword and flame :
And surely that which will a kingdom spill,
Hath much more power one silly man to kill,
Whilst sensuality the palate pleases,
The body’s filled with surfeits, and diseases ;
By riot (more than war) men slaughtered be,
From which confusion this old man is free.
He once was catched in the venereal sin,
And (being punished) did experience win,
That careful fear his Conscience so did strike,
He never would again attempt the like.
Which to our understandings may express
Mens days are shortened through lasciviousness,
And that a competent contenting diet
Makes men live long, and soundly sleep in quiet.
Mistake me not, I speak not to debar
Good fare of all sorts ; for all Creatures are
Made for mans use, and may by Man be us’d,
Not by voracious Gluttony abus’d.
For he that dares to scandal or deprave
Good house-keeping ; Oh hang up such a knave,
Rather commend (what is not to be found)
Than injure that which makes the world renowned.

[13ページ]

寛大さは無気力のスパイスであり、気前の良い歓待は、肺結核に行き着き、死に隣り合わせです。寛容は麻痺させ、呼吸できなくなることに近い。

イングランドの少数の優れた荘園管理人に、終わりのない栄光と永遠の休息がありますように。
そして、彼らの財産、土地、そして彼らの幸せな子孫が、天の祝福によって何倍にも増加し、栄えますように。

石と石灰で高い、雲を見下ろすような、巨大な邸宅を建てることは、狂気です。広々としたホール、大きな桟敷、素晴らしい部屋部屋、国王や、貴族、騎士と従者を受け入れるのに適しているような。
その部屋部屋の中に、悪魔は魔女を入れました。そして、小さなタバコ箱を台所に作りました。
というのも、貪欲は大いなる災いであり、キリスト者の博愛は至福への道だからです。
金で縁取られた糸で農場を囲い、そして、ピカピカ光るガーター勲章の価値があるマント型の衣装にはズボンと上着がついています。それらは、領主の費用です。派手なマント(ほぼ荘園3箇所の価格)、ビーバーの毛皮、帯、頭には羽毛。(教会に寄付すれば、貧しい人々のパンとなります)
着ている者は黄金の子牛たちがあがめるワインの大瓶のように、恐れられ、嫌悪されます。

そのようなものがない時、この2倍、3倍も年取った男を、私は知り、思い出します。
良い健康的な労働は彼のエクササイズでした。子羊と共に降り、そしてヒバリと共に上がる。大汗をかいて、一日中働きました。

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 13 ]

Bounty hath got a spice of Lethargy,
And liberal noble Hospitality
Lies in consumption, almost pin’d to death,
And Charity benum’d, near out of Breath.
May Englands few good house-keepers be blest
With endless glory, and eternal Rest ;
And may their goods, lands, and their happy seed
With heav’ns blest blessings multiply and breed.
‘Tis madness to build high with stone and lime,
Great houses, that may seem the clouds to climb,
With spacious halls, large galleries, brave rooms
Fit to receive a King, Peers, Squires, and grooms
Amongst which rooms, the devil hath put a witch in,
And made a small Tobacco-box the Kitchen ;
For Covetousness the Mint of Mischief is,
And Christian Bounty the Highway to Bliss.
To wear a farm in shoe-strings edged with gold,
And spangled Garters worth a Copy hold :
A hose and doublet ; which a Lordship cost,
A gaudy cloak (three Manors price almost)
A Beaver, Band, and Feather for the head,
(Priz’d at the Churches tythe, the poor mans bread)
For which the Wearers are fear’d, and abhorr’d
Like Jeroboams golden Calves ador’d.
This double, treble aged man, I wot,
Knows and remembers when these things were not ;
Good wholesome labour was his exercise,
Down with the Lamb, and with the Lark would rise,

[14ページ]

そして(彼のチームに)口笛を吹いて仕事の終わりを合図しました。雄鶏が彼に夜明けを告げる時計であり、そして1日が終わるまで、彼の時計は、主には日時計であり、つまり太陽でした。
彼は老ピタゴラスと同じ意見を持っていました。

トーマス・パーの健康的な食事と生活

そのグリーンチーズは(オニオン付きで)最も健康的な食物でした。雑穀(Meslin *1 )パン。また毎日、ミルク、バターミルク、水、ホエイ、Whigをたっぷり飲みました。
時には蜂蜜水(Metheglin *2)。

<訳注>
グリーンチーズ=熟成前の若いチーズ。
ここのグリーンは色のことではありません。英語の green には、未熟な、とか、未経験の、という意味があります。日本語の「青」のような使い方でしょうか。
Whig は、ホイッグ党の関係の意味しか出てきません。でも、飲み物として書いてあるので、どう強引にしても翻訳できませんでした。


そして運が良ければ、たまに一杯のエール、リンゴ酒、ナシ酒を飲んで最も幸福になれました。精霊降誕祭、通夜、結婚式、祭りで彼の手作りの。
クリスマスには、彼の良き領主の館で、彼は客として、他の者達と一緒に楽しみました。

彼以外の者たちがちょっとした楽しみ、すなわち居酒屋でhuffe-cap Aleを味わっても、彼は決して居酒屋へは行きませんでした。居酒屋の女も相手にしませんでした。彼は、大型馬車、タバコ、または梅毒を決して知りませんでした。

<訳注>
ここで出たエールの話です。長くなりますが、大変面白く参考になる思いますので、長めに引用します。

1,ビールの中の「エール」と「ラガー」
【入門ガイド】「エール」と「ラガー」って?より)
「エール」上面発酵
古くからのビールの造り方。酵母が麦汁の表面に浮き上がっていくのでそう呼ばれる。常温〜やや高温で発酵し、発酵期間は3〜4日。(その後の熟成期間は約2週間)
「ラガー」下面発酵
中世以降始まった造り方。酵母がタンクの底に沈んでいくのでそう呼ばれる。5度前後の低温で発酵し、発酵期間は7〜10日。(熟成期間は約1ヶ月)
ラガーが世界的に普及した後も、イギリスやベルギーではエールが好まれてきました。のどごしが良くすっきり爽快、ゴクゴク飲めるのが特徴であるラガーに対し、エールには芳醇で濃厚な味わいと飲み応えがあります。

2,イングランドでのエール
(王様でたどるイギリス史 (岩波ジュニア新書) 池上俊一(著) より
    ただし、引用文中のビールは、エールと読み替えてください)
中世の時代からビールは盛んに飲まれていました。大麦の麦芽を水に入れて煮、それを漉した液体に酵母を加えて発酵させればでき上がりです。修道士はビール造りの名人でしたし、農民たちもそれぞれ家庭で作っていました。生水は不衛生で体に悪いからと、代わりにビールを飲むことも多かったのです。
一三世紀後半から一四世紀にかけて、宿屋を兼ねたインとともに、居酒屋の一種エールハウ スが都市に林立し庶民の娯楽の場になりますが、賭博や売淫・犯罪の舞台にもなって衰退します。代わりに台頭したのがタヴァーンとよばれる居酒屋で、数的にはエールハウスに及ばないものの富裕層をターゲットに成長し、一六 – 一七世紀にもっとも栄えます。当初はワインだけを提供していましたが、後にビールも販売するようになりました。
宮廷でもビールは大量に消費されたようです。ビール消費はヘンリ八世およびエリザベス一世の時代がとくに目立っていて、宮廷の貴婦人らが朝食に一ガロン(約四・五リットル)のビールを飲み、おなじく使用人にも一ガロンないし半ガロンが供されていました。 エリザベス一世は 酒豪で朝から一クォート(約一・一三リットル)のビールを飲んだそうですが、乱れることはけっしてなかったようです。
そもそもイギリス人にとってはビールは栄養補給のための一種の食事であり、質実剛健、頑強な身体を作るにふさわしいものとされていました。「フランス人のようにワインばかり飲んでいては堕落して享楽生活に溺れてしまう」と考えられ、ワインの輸入が制限されたほどです。「肉体に良いビール」は、都市の肉体労働者によっても大量に飲まれました。一八世紀、ロンドンの港湾労働者は、一日に六パイント(約三・四リットル)も飲んでいたようです。

彼の薬は、サロップの大地が生み出す良いバターでした。それはキャンディ・オイルより甘いものでした。そして、彼は、ニンニクをベニス・テリアカ以上に最高の解毒剤として高く評価していました。
彼は、通風や痛みを感じることなく、楽しく過ごしました。彼が住んでいた場所の空気は良く、気候は穏やかでした。
ウタツグミ、そしてナイチンゲールの甘い声は、彼には、ラウンデレイやマドリガルとして響きました。
{ *1 MESLIN, 色々の穀物を混ぜたもの. *2 METHEGLIN, 蜂蜜と水で作られた飲み物. }

[14 THE VERY OLD MAN; OR ]

In mire and toiling sweat he spent the day,
And (to his team) he whistled time away :
The Cock his night-Clock, and till day was done,
His Watch, and chief Sun- Dial, was the Sun.
He was of old Pythagoras opinion,
That green cheese was most wholesome (with an
onion)
Course Meslin *1 bread, and for his daily swig,
Milk, Butter-milk, and Water, Whey, and Whig ;
Sometimes Metheglin *2 , and by fortune happy,
He sometimes sipp’d a Cup of Ale most nappy,
Cider, or Perry, when he did repair
T’a Whitsun Ale, Wake, Wedding, or a Fair,
Or when in Christmas time he was a Guest
At his good Land-lords house amongst the rest :
Else he had little leisure time to waste,
Or (at the alehouse) huff-cap Ale to taste.
Nor did he ever hunt a Tavern Fox,
Ne’er knew a Coach, Tobacco, or the Pox ;
His physic was good butter, which the soil
Of Salop yields, more sweet than Candy oil,
And Garlick he esteemed above the rate
Of Venice- Treacle, or best Mithridate.
He entertained no Gout, no Ache he felt,
The air was good and temperate where he dwelt,
Whilst Mavisses, and sweet tongued Nightingales
{‘MESLIN, a mixture of different sorts of grain.
“METHEGLIN, a beverage made of honey and water. }

[15ページ]

このように、自然の法則の範囲内で生活したことが、彼の長続きした人生の原因かもしれません。
全能者はすべての人にその寿命を割り当てています、そして、生と死を意のままに割り当てています。
それでも、自然が間違っていると、人の寿命と日付は短縮されるかも知れませんが、神は容認されるでしょう。

トーマス・パーの祖先の長生き


しかし、このトーマス・パーの父、祖父、そして曽祖父はいずれもとても長生きしました。

彼らは(父から子への言い伝えによって)書かれていない歴史を持っているようです。言い伝えによって、時代の移り変わりを示しています。

<訳注>
次の部分は()に入れたように解釈しました。
Then Parr might say he(Thomas) heard his(Thomas’s) Father well,
Say that his(Thomas’s father’s) Grand-fire heard his(his(Thomas’s father’s Grand-fire’s) Father tell


パーは彼の父から、パーの父の祖父(曽祖父)がその父(高祖父)から、有名な懺悔王エドワードの死、(ハロルド)と、その後継者、征服王ウィリアムのことを聞いたと、よく聞かされたものだと言っていました。

<訳注>
イングランド国王の変遷については、ウィキペディアの
イングランド君主一覧
を参照していただくと分かりやすいです。

<訳注>
エドワード懺悔王(エドワードざんげおう、あるいは、証聖王とも、英: Edward the Confessor、1042年頃 – 1066年1月5日)の死。
トーマス・パーが生まれる416年前の話です。トーマス・パーの高祖父の20歳の時の体験として、20年を足して、トーマス・パーの父までの4世代で割れば、1世代の平均は109年です。(世代交代=生年を定点として取れば、Aが生まれてから、Aの子が生まれるまで、109年の間隔があるということ)
全て重なり(子供が生まれてその子の父が死ぬまでの期間)が30年だと仮定すると、139歳の寿命となります。(父が109歳の時に生まれた子供が30歳になった時に、その父が死ぬ、という意味) とにかく、これだけでもすごいですね。トーマス・パーに限らず、代々高齢になって子供が生まれていた、ということですかね。もし、Aが30歳の時に、子供(B)が生まれていたら、間隔不足は79年になりますから、Aと孫(Bの子)との間に2世代分=109×2=218年の間隔を空けるためには、Bは109+79=188歳で子供(Aの孫)を産まなければならなくなってしまいます。
いずれも100歳を越えて、長男を産んだということでしょう。80歳での結婚は、代々の習慣であり、別に変わったことではなかったのですね。

彼の息子ロベール2世がエルサレムで勝利したこと、またアラビア人に打ち勝ち、征服したこと、
ウィリアム2世赤顔王が、次に彼の兄弟ヘンリーがどのように統治したか、
そして、スティーブンが次に王国をどのように強奪したか、
女王モード(マティルダ)(ヘンリー1世の娘)が、どのようにして彼女の権利を獲得するために、イングランドを大量殺人で満たしたか、
ヘンリー2世の美女ロザモンドのこと、
獅子心王リチャード、
彼の勇敢な相続人、ジョン王、ジョンの兄の息子であるアーサーの死に対する不正な疑いのこと、

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 15 ]

Did chant him Roundelays, and Madrigals.
Thus living within bounds within bounds of Natures
Laws,
Of his long lasting life may be some cause.
For though th’ Almighty all mans days do measure,
And doth dispose of life and death at pleasure,
Yet Nature being wrong’d, mans days and date
May be abridg’d, and God may tolerate.
But had the Father of this Thomas Parr,
His Grandfather, and his Great grandfather,
Had their lives threads so long a length been spun,
They (by succession) might from Sire to Son
Have been unwritten Chronicles, and by
Tradition shew Times mutability.
Then Parr might say he heard his Father well,
Say that his Grand-fire heard his Father tell
The death of famous Edward the confessor,
(Harold) and William Conq’ror his successor ;
How his Son Robert wan Jerusalem,
O’er-came the Saracens, and Conquer’d them :
How Rufus reign’d, and’s Brother Henry next,
And how usurping Stev’n this kingdom vext :
How Maud the Empress (the first Henries daughter)
To gain her Right fill’d England full of slaughter :
Of second Henry’s Rosamond the fair,
Of Richard Coeur-de-lion, his brave heir
King John, and of the foul suspicion
Of Arthurs death, Johns elder Brothers Son.

[16ページ]

ヘンリー3世の長い時代(60年)のこと、
バロン戦争、抵抗貴族たちの敗北。
長脛王エドワード1世がスコットランドとフランスをどのように征服したか、ウェールズの征服、そして彼の不運な息子をプリンスとした。
エドワード2世はカーナーボンと呼ばれた。スコットランド人に敗北し、女王に捕らえられた。
エドワード3世がどのように50年間支配したか、そして、ガーター勲章を定めたこと。
次に、リチャード2世がどのように生きて死んだか。
そして、ヘンリー4世の内輪もめのために、王国が(もっともぶしつけな)内乱、ヨーク家とランカスター家の間での長い争いによって、どのように分裂したか。
ヘンリー5世がどのように揺れたか、そして彼の息子ヘンリー6世が悲しき巡礼が実行したこと。
それからエドワード4世と美しい愛人ショア、またエドワード王に取り立てられたヘイスティングス男爵、
それから、エドワード5世がリチャード3世のトリックで殺害されたこと。
そして、そのリチャード3世が、ボスワース・フィールドの戦いでヘンリー7世によって殺されたこと。
彼とその息子のヘンリー8世が王権をどのように行使したか、
エドワード6世がどのように揺れたか、
メアリーがどのように支配したか、
そしてヘンリー8世の娘、エリザベスがどのように統治したか。(最高の女性)
そして、フェニックスのような終わり。そしてジェイムズ(もう一人のフェニックス)が、彼女の灰からブリテン王権を主張し、王位を得ました。
しかし(より良いものに変えて)王位を去りました。

[16 THE VERY OLD MAN ; OR ]

Of the third Henry’s long reign (sixty years)
The Barons wars, the loss of wrangling Peers,
How Long-shanks did the Scots and French
convince,
Tam’d Wales, and made his hapless son their Prince.
How second Edward was Carnarvon call’d,
Beaten by Scots, and by his Queen inthrall’d.
How the third Edward, fifty years did reign,
And t’honor’d Garters Order did ordain.
Next how the second Richard liv’d and died,
And how fourth Henries faction did divide
The Realm with civil (most uncivil) war
‘Twixt long contending York and Lancaster.
How the fifth Henry swayed, and how his son
Sixth Henry a sad Pilgrimage did run.
Then of fourth Edward, and fair Mistress Shore,
King Edwards Concubine Lord Hastings (—–)
Then how fifth Edward murdered with a trick
Of the third Richard ; and then how that Dick
Was by seventh Henries slain at Bosworth field ;
How he and’s son th’eighth Henry, here did wield
The Sceptre ; how sixth Edward sway’d,
How Mary rul’d, and how that royal maid
Elizabeth did Govern (best of Dames)
And Phoenix-like expir’d, and how just James
(Another Phoenix) from her Ashes claims
The right of Britain’s Sceptre, as his own,
But (changing for a better) left the Crown

[17ページ]

王位は今、チャールズ王にあります。彼と、神に最も祝福された子孫が永遠に名を知られ、王位にありますように。

このように、パーは(文字は読めないが)良く子孫が続きました。
彼の父から、また祖父の父から続いています。
話し伝えられることによって、以上のすべての女王と王の時代に起きた、最も有名な出来事が分かります。

しかし、彼は、質素倹約で育てられました。ヘリコニアンカップを味わうことは決してありませんでした。
彼は歴史を知っていなかったし、気にも留めていませんでした、知るべきだとも思いませんでした。しかし、穀物、干し草、雄牛、羊の値段についてはよく知っていました。夜明けは彼に仕事を始めさせ、夜は彼に休息を与えました。
彼の一番の野心は木を切ることであり、メイポールの頂点に登ることでした。
彼の楽しみは陽気な談話、笛吹き、そして、hobby-horseでした。この単純な楽しみで、子供から苦労して生きてきて、再び子供になりました。奇妙なことです。何年にもわたって成長した男が、再び子供になりました。

金持ちではないが、世間によく知られています。彼は、どんな土地や国でも生まれても、12ペンス貨幣の惑星で生まれても、(その惑星の影響力の働きによって)彼は、13ペンスの価値があるようには生きないでしょう。

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 17 ]

Where now ‘tis, with King Charles, and may it be
With him, and his most blest posterity
Till time shall end ; be they on Earth renown’d,
And after with Eternity be crown’d.
Thus had Parr had good breeding, (without
reading)
He from his sire, and Grand sires sire proceeding, .
By word of mouth might tell most famous things
Done in the reigns of all those Queens and Kings.
But he in Husbandry hath been brought up,
And ne’er did taste the Heliconian cup,
He ne’er knew History, nor in mind did keep
Ought, but the price of corn, hay, kine, or sheep.
Day found him work, and night allowed him rest.
Nor did Affairs of State his brain molest.
His high’st Ambition was, A tree to lop,
Or at the furthest to a May-poles top,
His Recreation, and his Mirths discourse
Hath been the Piper, and the hobby-horse.
And in this simple sort, he hath with pain,
From Childhood liv’d to be a Child again.
‘Tis strange, a man that is in years so grown
Should not be rich ; but to the world ‘tis known,
That he that’s born in any Land, or Nation,
Under a Twelve-pence Planet’s Denomination,
(By working of that Planets influence)
Shall never live to be worth thirteen pence.

[18ページ]

高齢は尊敬に値する

それによって(彼はそれを示すほどに学はありませんが)彼は(私のように)詩人になるには十分です。
しかし、私は結論を下します、私は述べます、尊敬に値する年齢の名誉ある状態があることを。
若い男は、老人、即ち過去の経験から以外に、どこから良い教えを受けることができるでしょうか?

レハブアム、(ソロモンの息子であり後継者)は老人の勧告を拒否し、王国をほとんど失いました。12部族のうち10部族を、イスラエルのヤロブアム王に奪われました。
そして、すべての賢明な王、そして偉大な有力者が、治安判事として老人たちから選びました。彼らの知恵、尊敬される容貌は、いつ、どのように罰するか、保護するかを知っていました。
洪水の前の祖先たちの、長い寿命のために、(正しく理解されているように)彼らは、子孫を維持し、増やすことができました。
人々は、住み、民族を増やすべきです。老人と彼らの繁栄は、自然の深い秘密を示します。天文学で空を測り、海の深さを知りました。しかし、まずは、泥と土で彼らを作った神に、どのように奉仕し、従うかということを知るためにです。
人は、今、彼らがしてきてように長く生きなければ、地球は人間の繁殖を維持することができないでしょう。

[18 THE VERY OLD MAN ; OR ]

Whereby (although his Learning cannot show it)
He’s rich enough to be (like me) a Poet.
But ere I do conclude, I will relate
Of reverend Age’s Honourable state ;
Where shall a young man good Instructions have,
But from the Ancient, from Experience grave ?
Rehoboam, (Son and Heir to Solomon)
Rejecting ancient Counsel, was undone
Almost ; for ten of the twelve tribes fell
To Jeroboam King of Israel.
And all wise Princes, and great Potentates
Select and chose Old men, as Magistrates,
Whose Wisdom, and whose reverend Aspect,
Knows how and when to punish or protect
The Patriarchs long lives before the Flood,
Were given them (as ‘tis righly understood)
To store and multiply by procreations,
That people should inhabit and breed Nations.
That th’Ancients their Prosperities might show
The secrets deep of Nature, how to know
To scale the sky with learned Astronomy,
And found the Oceans deep profundity ;
But chiefly how to serve, and to obey
God, who did make them out of slime and clay ;
Should men live now, as long as they did then,
The Earth could not sustain the Breed of Men.
Each man had many wives, which Bigamy,

[19ページ]

それぞれの男には多くの妻がいました。重婚が子孫のそのような増加をもたらしました。一人の老人が死ぬ前に見ることでしょう、彼の子孫だけが王国に満ちていることを。

超長寿だった人々の例

しかし、今では人間の財産はとてもはかないので、(比較して)人の人生も短いです。
しかし、洪水以来、多くの人々が、今私が書いている老人よりも長寿を維持したことは明白であることが証明されるでしょう。
即ち、アルパクシャドは438年生きました。
シェラは433年生きました。
エバーはもっと生きた、というのは、彼は264年を2度生きましたから。
テラは200年生きていました、
そして、アブラハムは175年生きました。
ヨブの災いの前に、聖書は次のように述べています。
彼の息子と娘は結婚状態にありました、
そして、彼が回復した後に、140年生き延びたことは最も明確です。
ジョン・ブッタデウス(報告が真実の場合)は、さまよえるユダヤ人と言われますが、私たちの救い主が死ぬのを見たが、今も生き続けています。
これらのことについては、既に読んだか、これから読まれることがあるでしょう。
この話は私が信じているものではありませんが、ドイツ人の年齢について書かれたものです。勇敢なシャルルマーニュ=カール大帝の従者であったヨハネス・ド・テンポリバスが、361歳まで生き、オールドジョンの時に土に帰った、と。

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 19 ]

Was such increase to their Posterity,
That one old man might see before he died,
That his own only off-spring had supplied
And Peopled Kingdoms.
But now so brittle’s the estate of man,
That (in Comparison) his life’s a span.
Yet since the Flood it may be proved plain,
That many did a longer life retain,
Than him I write of ; for Arphaxad liv’d
Four hundred thirty eight, Shelah surviv’d
Four hundred thirty three years, Eber more,
For he liv’d twice two hundred sixty four.
Two hundred years Terah was alive,
And Abr’ham liv’d one hundred seventy five.
Before Job’s Troubles, holy writ relates,
His sons and daughters were at marriage states,
And after his restoring, ‘tis most clear,
That he surviv’d one hundred forty year.
John Buttadeus (if report be true)
Is his name that is styl’d, The Wandering Jew,
‘Tis said, he saw our Saviour die ; and how
He was a man then, and is living now ;
Whereof Relations you (that will) may read ;
But pardon me, ‘tis no part of my Creed.
Upon a Germans Age, ‘tis written thus,
That one Johannes de Temporibus
Was Armour-bearer to brave Charlemagne,
And that unto the age he did attain

[2Oページ]

そして、トロイの包囲戦での高貴なネストルは、300年生きました。
ウォルター・ローリー卿(最も学識のあるナイト)は、アイルランドの伯爵夫人のデズモンドについて、140歳まで生きていて、彼女と話をした、と書いています。セント・アルバネス卿は彼女について、もっと言及しています。彼女は、エドワード4世の時に結婚し、3度歯を抜き、3度、生えてきた、と。
スコットランド高地とアイルランド荒野では、激しい労働と節度ある食事によって、人々は長生きしています。
野蛮なインディアンの中には200回の冬を強く、元気に生きる人々もいます。
ですから、私が前に言ったように今、詠います、自然に反することによって、人は寿命を縮めるのだと。

穏やかな人生が長生きをもたらした


したがって(現にそうであるように)私が今書いている彼は、ブリテンにおけるすべての時代を生き延びました、彼が生まれたときに生きていたすべての人々は、既に母なる大地に還りました。
もし、彼らの誰かが生きていて、答えるなら、残念ですが、私は間違っていたと告白します。
彼が商人だったら、おそらく、嵐、雷鳴、それに続く災難への恐れ、砂、岩、または海賊の徘徊、突風と嵐、そうしたことによって、彼は(とっくに)ウジ虫の餌か、彼自身が呉服商即ち蚕になっていたでしょう。そして、大きな利益が得られる希望を大いに信じて。そして、遅かれ早かれ手にして貯めようと努力して、彼の灰色の頭はとっくの昔に墓の中だったでしょう。

[2O THE VERY OLD MAN ; OR ]

Of years three hundred sixty one, and then
Old John of Times return’d to Earth agen.
And noble Nestor, at the siege of Troy,
Had liv’d three hundred years both Man and boy.
Sir Walter Raleigh (a most learned Knight)
Doth of an Irish Countess, Desmond, write
Of seven score years of Age, he with her spake :
The Lord Saint Albanes doth more mention make
That she was Married in Fourth Edwards reign,
Thrice shed her Teeth, which three time came
again.
The Highland Scots and the Wild Irish are
Long liv’d with Labour hard, and temperate fare.
Amongst the Barbarous Indians some live strong
And lusty, near two hundred winters long ?
So as I said before, my verse now says
By wronging Nature, men cut off their days.
Therefore (as Times are) He I now write on,
The age of all in Britain hath out gone ;
All those that were alive when he had Birth,
Are turn’d again unto their mother earth,
If any of them live, and do reply,
I will be sorry, and confess, I lie.
For had he been a Merchant, then perhaps,
Storms, Thunderclaps, or fear of Afterclaps,
Sands, Rocks, or Roving Pirates, Gusts and storms
Had made him (long ere this) the food of worms.
Had he a Mercer or a Silk-man been,

[21ページ]

あるいは彼が裁判官または治安判事でしたら、あるいは国務卿だったとしたら、昼は大変な仕事を、夜は気苦労を、ずっと続けるのです。彼の白髪はとっくの昔に埋葬されていたことでしょう。

しかし、私が前に書いたように、何も彼を悩ませるものはありませんでした。国務が彼を悩ませることなど一度もありませんでした。

住民記録簿は無かったこと

信じられない、と反対する人もいるかもしれません。彼の年齢はそんなに高かったことを、保証するものは無いからです。
彼が生まれた時には住民記録簿はありませんでした。住民記録簿は、ヘンリー8世(輝かしい王)によって、1538年、その王の30年目に。始められてから97年にしかなりません。老パーは、住民記録簿が始まった時、60歳近くのほとんど老人でした。

理性が求める限りのことを、私は書きました。
時はどのように経過し、契約はどのように期限切れになったか。慈悲深いわれらの王に対して、その郡の紳士は述べました、彼らの証明書に基づき、彼の年齢について、そして白髪が彼を戴冠させた時の流れについて。

そのように、私は彼について知ったよりも、彼をより年寄りのままにしておきます。

<訳注>
トーマス・パーの年齢について、ジョン・テーラーの過小評価とアランデル伯爵との問題について。政治がらみか?

最後の1行からも分かるように、ジョン・テーラーは、152歳だとしてロンドンに連れて来たアランデル伯爵を、チャールズ国王に対して告発するかのように(この伝記詩は国王に献呈されているのです)、トーマス・パーの年齢について疑問を投げかけ続けます。これを読んだアランデル伯爵は、きっと怒ったに違いありません。では、ジョン・テーラーは、そもそも、なぜ、この伝記詩を書いて、出版したのか?という疑問が湧いてきます。

チャールズは、最後は清教徒革命でクロムウェルによって処刑されてしまいます。彼のいわゆる個人統治 (1629–40) の期間中、彼は議会を解散し、布告によって統治したため、議会からは「11 年間の専制政治」として批判されていました。議会と激しく対立していたのです。

一方、アランデル伯爵は、チャールズ即位後は国王寵臣の初代バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズと敵対するようになったため、国王の命令でロンドン塔、ついで自邸に軟禁されました。貴族院でその件についての批判が高まり、アランデル伯釈放が要求されたため、1626年6月に一時的に解放されたが、その月のうちに再び軟禁され、それは再度貴族院がアランデル伯の釈放を要求する1628年3月まで続いた、というように、議会側であり、チャールズとは刃渡りのような厳しい状態が続いていました。(トーマス・パーも、その緊張を少しでも和らげるために連れて来られたのかもしれません)その後内戦が始まると、伯爵はすぐイングランドを離れ、大陸へ行ったそうです。

ジョン・テーラーといえば、この伝記詩でも、プロテスタントに批判的で、ローマ・カトリックに同情的です。イングランド内戦が始まると、テーラーはオックスフォード(チャールズの本拠)に移り、そこで王党派のパンフレットを書き、市が降伏した後 (1645 年)、ロンドンに戻り、死ぬまでパブ「ザ クラウン」(後の「ザ ポエッツ ヘッド」) を維持した、ということで、王党派、反議会派のようです。

この伝記詩は、アランデル伯爵による融和策(チャールズを喜ばせよう)としてのトーマス・パー上京に、冷水を浴びせるためであった、とも考えられるのではないでしょうか。数字を明確にしないで、むしろ意図的に曖昧なままにして、年齢を過小評価しているような不自然さは、これから説明できるように思います。もしそうなら、現代の私たちは、もっと冷静に、トーマス・パーの年齢を考えていく必要があります。
以上の憶測に当たっては、
https://www.britannica.com/biography/John-Taylor-British-writer
https://www.britannica.com/event/English-Civil-Wars/The-first-English-Civil-War-1642-46
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89_(%E7%AC%AC21%E4%BB%A3%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E4%BC%AF%E7%88%B5)
などを参考にしました。

[THE LIFE OF THOMAS PARR. 21 ]

And trusted much in hope great gain to win,
And late and early strived to get or save,
His Grey head long ere now had been i’th Grave.
Or had he been a Judge or Magistrate,
Or of Great Counsel in Affairs of state
Then days important business, and nights cares
Had long ere this, Interr’d his hoary hairs :
But as I writ before, no care opprest him,
Nor ever did Affairs of State molest him.
Some may object, that they will not believe
His Age to be so much, for none can give
Account thereof, Time being past so far,
And at his Birth there was no Register.
The Register was ninety seven years since
Giv’n by th’eight Henry (that Illustrious Prince)
Th’year fifteen hundred forty wanting twain)
And in the thirtieth year of that Kings reign ;
So old Parr now, was almost an old man,
Near sixty ere the Register began.
I have writ as. much as Reason can require,
How Times did pass, how Leases did expire ;
And Gentlemen o’th County did Relate
T’our gracious King by their Certificate
His age, and how time with grey hairs hath crowned
him ;
And so I leave him older than I found him.

あとがき(省略)

[22ページ あとがき]

この王国で、このトーマス・パー老人の誕生以来、作法の変化、様々な習慣、時代の移り変わり、ファッションの変化、宗教の交替、様々な宗派、いろいろな出来事がありました。その全てに言及する価値があるものではありませんが、その多くは記録に留められる価値があります。
(以下省略)

云々とあります。続きは↓をクリックして、ご覧ください。